走り始めたばかりの人も、パラリンピアンも、みんなの笑顔が僕を動かす。【義肢装具士・臼井二美男の場合】


日本でのスポーツ義足製作のパイオニアとして、長年、多くの選手を支えてきた臼井二美男。パラリンピック出場レベルのトップアスリートも担当してきた。


だが、「パラリンピアンを育てようと思っていたわけじゃない。走れない人が3歩でも5歩でも走れるようになったらいいな、という思いが原点。それは今も変わらない」と、臼井は言い切る。

28歳のとき、切断障がい者が日常生活を取り戻すための義肢をつくる職人になった臼井。スポーツ用義足も手がけ始めたのは、その7年目で1980年代の終わりだった。きっかけは、海外の義肢装具専門誌で目にした、義足で颯爽と走るアスリートの写真だ。

当時の日本では、「義足で走るなんて考えたこともない」と言う人ばかり。臼井はさっそく丈夫なカーボン製の足部など部品を海外から取り寄せ、試行錯誤する。ようやくできた試作品の挑戦者第一号は大腿切断の若い女性患者だった。ゆっくりと、でもたしかに、足を交互に動かし、走った。彼女の喜ぶ姿がさらに臼井をやる気にさせた。

1991年には切断者の陸上クラブも立ち上げた。チーム名は「ヘルスエンジェルス」。最初は数人だったが、口コミなどで会員はしだいに増え、今では月1回の練習会に小学生から70代まで50人ほどが集まる。

「自分からチャレンジする人は今でも少ない。義足をつくり、寄り添って伴走するから、『走ってみようよ』と背中を押すことが僕の役目。走れるようになると、歩くことも上手くなって生活動作が楽になる。その人の一生にとって有意義なことだし、生きる意欲にもつながる。それがやりがいかな」

そんな草の根の活動から生まれた一握りのパラリンピアンたち。彼らの活躍がまた、臼井の原動力になる。

text by Kyoko Hoshino
photo by X-1

  • Share on Facebook
  • Share on Twitter
  • Share on Google+