超人特集

vol.3

冬季・夏季パラリンピック
金メダリストが目指す場所。

車いすアスリート

土田和歌子 選手

選手プロフィール

1974年10月15日東京都生まれ。高校2年の時、交通事故で車いす生活になる。パラリンピックは94年、リレハンメル冬季大会のアイススレッジスピードレースで初出場。98年長野大会で4つのメダル獲得後、陸上競技に転向。2000年シドニーから夏季4大会に連続出場、5000mの金を含む3つのメダル獲得。13年大分国際車いすマラソンで、T54クラスのフルマラソン世界記録(1時間38分7秒)を更新。八千代工業所属

競技転向もなんのその。
目標に向かって、ただただ前へ

「アクシデントがあっても、気持ちの切り替えがはやく、立ち止まらずに次の目標に向かっていける。それが私の強み」。土田和歌子はそう、自己分析する。
パラアスリートとしての生活は、優に20年を超えた。そんな彼女を形容する言葉はいくつもある。
“冬2回、夏4回連続出場のパラリンピアン”――交通事故により車いす生活となった土田は、リハビリの一環でスポーツを始めた。そしてまず、特製のそりに乗って氷上を走る競技、アイススレッジスピードレースに出会い、1994年リレハンメルパラリンピックに初出場する。
「アスリートとしては体も心も未熟なままでの出場で、結果は惨敗だった」と振り返るが、その悔しさはバネになった。目標を4年後の長野大会に置き、戦略的に強化を図った日々は、金と銀のメダルを2個ずつ獲得という結果につながった。
そして、土田は車いす陸上に転向する。アイススレッジスピードレースが長野を最後にパラリンピック競技から外されることが決まっていたからだ。3年ほど前から練習の一環で車いすマラソンにも挑戦を始めていた。冬季競技から夏季競技へと環境の変化は大きかったが、土田はただ前に進んだ。2000年シドニー大会ではマラソンで銅メダル、次のアテネ大会ではマラソンで銀、5000mでは金メダルを獲得。土田は、“日本人初の冬季・夏季両方のパラリンピックで金メダリスト”という称号も手にした。


悔しさをバネに、
パラリンピックとともに
成長。家族を力に、
完全燃焼を目指す日々

とはいえ、順風満帆だったわけではない。土田は、“不運のアスリート”でもある。
過去2大会で銅、銀とステップアップの結果を出し、マラソンに適性を見出していた土田が、「次は、金」を目標したのは自然な流れだった。そのための練習も、自信も積み上げ、満を持して臨んだ08年北京大会。だが、最終日のマラソンの数日前に出場した5000m、悲劇は起こる。集団の中で上位をうかがっていた土田はラスト500m付近で、前を走っていた選手たちのクラッシュに巻き込まれ、無念の途中棄権。肋骨骨折の重傷を負い、絶対安静のまま日本に搬送された。4年間目標としてきたマラソンは、スタートラインにすら立てなかったのだ。
入院は2ヵ月にも及び、引退も考えた。しかし、土田は、“不屈のアスリート”でもあった。「北京は不完全燃焼。このままでは終われない」。退院後、再び走り出す。30代半ばという年齢とも戦いながら、距離を踏み、過酷なスピード練習にも取り組んだ。そうして迎えた12年ロンドン大会。4年前に悪夢のリタイアとなった5000mは6位ながら無事に完走し、ようやく8年越しでマラソンのスタートラインにたどり着く。
「思い切っていこう」と走り出したレースは中盤まで順調に進む。6人の先頭集団のなかで、「さあ後半。ここからが勝負」と思った矢先のことだった。土田は再び“不運”に見舞われる。差し掛かった左カーブで遠心力に負け、転倒してしまったのだ。ライバルたちの背中はあっという間に遠ざかり、独り残された。ショックと痛みで起き上がることさえ、すぐにはできなかった。
だが、沿道の声援で我に返り、乗り越えてきた苦しい日々と支えてくれた人たちの顔がふいに思いだされた。「とにかく、ゴールに帰ろう」。残る力を振り絞り、車いすを必死に漕いだ。結果は5位。北京では見られなかったフィニッシュラインを超えられたことには達成感を覚えた。だが、「不完全燃焼感」は、またも残った。
どれもこれもすべてを糧にして、土田は今、自身7度目のパラリンピックとなるリオ大会に向かっている。「自分自身が描いたイメージ通りのレースをして、今度こそ、納得感の得られる大会にしたい」。集大成ともなる、リオでの目標だ。
そんな土田の形容詞として、もう一つ忘れてはならないのが、“ママアスリート”だ。05年に結婚し、翌年長男を出産している。アスリートとしては体への負担や練習量の制限などリスクもあったが、女性としての一大イベントを経験し、家族の絆を得たことで、さらに強くなれたという。
「競技と子育ての両立は簡単ではありません。どちらも体を使うし、気を抜けない仕事ですから。でも、家族はチーム。同じ目標に向かってくれる、ありがたい存在です。ひとりより2人、3人と力が集まれば、大きな力になります。競技のパフォーマンスにもつながっていく大切な力なんです」
そう話しながら、かたわらで自転車遊びに興じていた、一人息子のほうに目を向けた。そのまなざしは、とても優しかった。



text Kyoko Hoshino
photo by X-1

2016-01-05

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