超人特集

vol.8

片大腿切断の最速男が
世界中を回る理由

義足のアスリート

ハインリッヒ・ポポフ 選手

選手プロフィール

1983年7月14日、カザフスタン生まれ。7歳で家族とともにドイツに移住。8歳のとき、左ふくらはぎに腫瘍が見つかり膝関節から切断する。13歳から陸上を始め、2004年アテネパラリンピック初出場、T42クラスの100m、200m、走り幅跳びで銅メダルを獲得。以降、100mに注力し08年北京では銀、12年ロンドンは金、13年には世界記録樹立(12秒11)。TSVバイエルン04レバークーゼン所属、義肢装具士でもある。

世界各地でクリニックを開催
義足で走る楽しさを伝える

 

左脚大腿義足のアスリート、ハインリッヒ・ポポフ。100mを専門とし、ロンドンパラリンピック金メダリストにして、片大腿切断クラスの世界記録保持者だ。リオ大会でも、金メダルの最有力候補である。
そんな彼が今、競技活動と並行し熱心に取り組むのが、病気やケガで脚を大腿から切断した人を対象にした、ランニング・クリニックだ。少しでも活動的な日常生活ができるようスポーツ義足での歩行や走り方を教える講師として、地元ドイツの義肢装具メーカーと組み、ここ数年、世界中を回っている。
彼自身20年以上の義足ユーザーで、トップアスリート。その経験を惜しみなく伝える講義内容が、「走れる喜びを再び感じた」などと好評で、これまでに実施したのはアメリカや中国、ブラジルなど約10ヵ国。2015年には日本でも初開催された。
「『義足では走れない』という思い込みは、言葉や文化が違っても、どの国にもある。そんな人たちに『走れるよ』と言ってあげるのが僕の役目。走れるようになったときの彼らの嬉しそうな表情には本当に心を動かされる。僕も脚を切断してから、たくさんの人に助けられた。クリニックは、お世話になった人への、僕からの恩返しでもあるんだ」

ポポフが義足をつけるようになったのは、8歳のとき。左脚に骨肉腫を発症し、「生存率はほぼゼロ」と診断されて、命と引き換えに切断した。両親に「無理だ」と言われたが、サッカーが大好きだったから、義足をつけてすぐにピッチに戻った。最初は転んでばかりで、ゴールキーパーをやることも多かったが、少しずつ走れるようになる。
17歳でパラリンピックの存在を知ると、本格的に陸上競技の世界に飛び込む。初めての大会は日常用義足で走ったが、タイムは当時の世界ランク10位相当。才能の片鱗を示した。
次のレースでは、「日常義足より速く走れる」と聞き、スポーツ用義足を試した。記録更新を期待したが、タイムは散々。「ショックだった。でも、当然なんだ。義足の反発力を受け止めるだけの技術も筋力も、そのときの僕にはなかったのだから」
そんな経験を踏まえ、クリニックでは、義足を履けば誰でも速く走れるのでなく、義足をどう使うか、ユーザー側の努力しだいだと訴える。少しの挑戦で難しさに気づき、やめてしまう人も少なくないが、彼は「まずはきれいに歩くことを目指し、筋力をつけてジョギングへ。一歩一歩の努力で、必ず走れるようになる」と励ます。「諦めずに練習した人が上手く走れた瞬間に見せる嬉しそうな表情が、僕はたまらなく好きなんだ。特に子どもたちの笑顔は最高だね」

 
 

パラリンピックに連続出場。
アスリートとしての経験を
余すことなく伝えたい

 

重い病に打ち勝ち、義足のスプリンターとして世界の頂点を極めるという稀有な経験を重ねてきたポポフ。「このまま死んでしまうのは、もったいない。貴重な体験から学んだことを伝えるのも、僕の使命。引退したら、クリニックにすべてのエネルギーを注ぎたい」。アスリートとして掲げる、最終的な目標だ。

これまでに出場した3回のパラリンピックから学んだことも多い。初出場のアテネ大会の印象は、「自由と開放感」だ。実は、脚を切断したとき彼は失意のなかで、「いつか必ず、大きなスタジアムでスポーツをする」という夢を描いていた。思うように走れず、つらかったリハビリ期間もその夢が支えとなり、アテネまで導いてくれた。
4年後の北京大会は一転、「プレッシャー」が思い出だ。競技者としてプロ意識も強まり、結果が求められるなか、1日2回の練習を毎日懸命にこなした。プロになろうともがきながら、陸上を楽しむ気持ちは薄れていった時代。結果は100mで銀メダル。あと一歩で頂点を逃がした。
3回目のロンドン大会は「タフ」。完全なるプロアスリートとなり、金メダル獲得を公言し、「かけすぎかな」と思うほど強いプレッシャーを自分にかけて臨んだ大会だった。ただし、同じプレッシャーでも、北京のときとは違っていた。
レース30分前の招集所で他の選手の緊張を感じたとき、ふと我に返る。「僕らは国を代表してここにいる。もっと誇りに思おう。そして、走れることに感謝して、楽しもう」
気持ちを切り替えてスタート地点に立ったポポフは、そのままトップでフィニッシュラインを駆け抜けた。「プレッシャーだけではダメ。楽しむ気持ちが、よりよい結果を生むんだ」。またひとつ、アスリートとして大切な教訓を学んだ。

目前に迫ったリオ大会での目標は、もちろん、金メダル防衛だ。だが、ただの金メダルではない。走ることを純粋に楽しめたアテネと、プロとしてよい緊張感のなかで結果を出したロンドン。「リオではその両方を実現したい。そうできたら、完璧だ」
いつか子どもたちに、“完璧なレース”の話をするときは、きっとこれ以上ないほど優しい目をしていることだろう。


text by Kyoko Hoshino
photo by X-1

2016-06-15

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