超人特集

vol.9

健常者レースでも活躍する
英国のスター選手

パラサイクリスト

サラ・ストーリー 選手

選手プロフィール

1977年10月26日生まれ。英国の自転車選手、コーチ、モチベーショナルスピーカー。障がいは先天性の左手先の発育不全。パラリンピックでは水泳で16個、のち自転車に転向し6個のメダルを獲得。「健常者の自転車競技」の選手でもあり、現在は夫のバーニーとともに率いる女子プロチームでUCI女子ワールドツアーなどに出場。2013年に出産、育児と競技を両立させる“アスリートマザー“のパイオニアのひとり。

UCIのパラサイクリングの
歴史とともに

現在、世界のパラサイクリングを代表する存在のひとり、サラのパラリンピックでのキャリアは14歳のとき、水泳選手として始まった。1992年バルセロナ大会から4大会出場し、金5、銀8、銅3を獲得。2005年、耳の感染症で泳げなかったことがきっかけでトレーニングのため自転車に乗り始める。その年のうちにパラサイクリングの欧州選手権で3つのタイトルを獲得。アテネを前にした合宿で、のちにコーチであり夫となるタンデムパイロットのバーニー・ストーリーと出会ったことがサラの運命を変えた。27歳で自転車を始めたサラは、公的な才能発掘育成プログラムのサポートを受けるには「少々、年をとりすぎていた」が、非常に速いスピードでレベルアップできたのは、バーニーのサポートのおかげだと言う。
折しもサラがパラサイクリングの世界選手権に初めて出場した「2006IPC自転車世界選手権」は、パラサイクリングの統括がIPC(国際パラリンピック委員会)からUCI(国際自転車競技連合)へ正式に移管するのに先立って、IPCの名のもと、実質的にUCIがパラサイクリングの世界選手権の運営を仕切った最初の大会である。健常者の自転車競技団体がパラサイクリングをマウンテンバイクなどと同様のひとつの競技のカテゴリとして扱い、「障がい者のスポーツ」からエリートスポーツへと競技性を高めていく劇的な変化の時期が、まさにサラの自転車競技のキャリアと重なっていく。サラはその柔らかい発想力とオープンな人柄で、同志バーニー、そして応援する人たちとのさまざまな共同作業の場を築き、障がい者スポーツの文脈にとどまることなく、自らの活動と人生をクリエイティブに切り拓いてきた。
サラはパラサイクリングでは、2006年の世界選手権から現在まで、トラック・ロードともに数々の種目で優勝。出産で小休止した2013年を除き、世界チャンピオンの証であるマイヨ・アルカンシエル(虹色ジャージ)をまとい続けている。同時にサラは健常者の自転車競技の選手でもあり、2009年英国選手権の個人追抜で優勝、2011年UCIトラックワールドカップ・カリ大会の団体追抜でも優勝している。2012年のロンドン大会では母国でのオリンピックとパラリンピックのダブル出場を目指したが、惜しくもオリンピック出場は果たせなかった。
2013年に出産し、そのわずか8ヵ月後の2014年4月にメキシコで行われたパラサイクリングトラック世界選手権のタイムトライアル[女子C5]で3位、個人追抜[女子C5]で優勝。メダルを胸に幼い娘を抱いたサラの笑顔は、周囲の懸念とは逆に、彼女が出産や育児を理由にレースの先頭から退くつもりは全くないことを強く印象づけた(写真3枚目)。2015年2月には、英国で人気の冬のトラックイベント、レボリューション・シリーズの中で、トラックで1時間走れる距離のUCI公認記録「アワーレコード」に挑戦。健常者女子の世界記録には563m及ばなかったが英国記録を更新し、観客を大いに沸かせた。
現在サラはParalympics GB(英国パラリンピックチーム)の選手であるとともに、バーニーとともにマネジメントする女子チーム「Podium Ambition Pro Cycling powered by Club La Santa」のキャプテンとして健常者レースで走る選手でもある。
サラたちは、女子プロチームそして自転車クラブである同チームで、女子の道(pathway)をつくり、また女子と並行してパラサイクリストが走る機会を広げたいと考えた。当初は国内の実力派アマチュアチームとして結成され今年で3年目となる。サラによれば「これまで英国で最も成功したチーム」であり、サラ自身のリオへの準備にも活用されている。


世界のトップであるために
環境は自ら作り出す

自転車競技では世界指折りのレベルである英国。一方で、英国の自転車競技連盟にあたるブリティッシュサイクリングは、それだけ選手層が厚いということもあり、結果が出なければ選手もコーチも容赦なく入れ替えていく。「英国のような恵まれた環境だから強い」のではなく、サラは、より競技に適した環境作りも含めたさまざまな努力を重ねてきた。
英国は早い時期からパワーメーターデータ解析などの科学的アプローチを健常者の自転車競技だけでなくパラサイクリングにも取り入れてきたが、サラ自身もリーズメトロポリタン大学のスポーツ科学の学位を持っており、コーチとして必要な知識を習得している。
学校でスポーツを学び、すべてのスポーツのパフォーマンスの裏にある科学をいつも興味深く思っていたというサラは、またコーチングなどの短期コースや、自分のチームを持つことでもビジネスマネジメント、後方支援のマネジメント、マーケティングなどの違ったスキルを養っていった。「大学は私にたくさんの研究について教えてくれた。多くのアスリートが学業をあきらめてしまう中で、それを自分ができたことを喜んでいます」とサラは言う。
彼女は現在、自身のトレーニングについてはブリティッシュサイクリングではなくサラ独自のコーチのチームで行っている。ブリティッシュサイクリングのスタッフは入れ替わりが頻繁なため、ベストな環境を求めた結果だ。ブライトン大学のゲイリー・ブリックリー氏、バーニー、 マンチェスターメトロポリタン大学など、ブリティッシュサイクリングからは独立したスポーツ科学アドバイザーのサポートを受けているという。


競技にも家庭にも
支援の質と量を確保

 周囲を味方にできる力は選手として欠かせない重要な能力だが、コーチだけでなく人生の最大のサポーターとして、サラの両親も忘れてはいけない。
2006年からの世界選手権で、サラの母親はいつも客席で、沿道で、スイスで、イタリアで、メキシコで、地球のあらゆる場所でキルトの応援旗とユニオンジャック柄の服を来た手作りの人形を振ってサラを応援し続けてきた(ちなみにその人形の左手はサラ本人と同じ指のない形になっていて、バーニーとの結婚後は右手の薬指にマリッジリングの刺繍が増えた)。この応援団にはバーニーの両親、そして最近は「GO GO GO MUMMY」の旗を持ったサラの娘ルイーサも加わった。
ルイーサを肩車して応援に現れる優しい笑顔のバーニーは、ロンドンパラリンピック1kmタイムトライアル[男子B]でニール・ファキーと世界新をマークして優勝するなど、数々の輝かしい戦績を持ち、世界に敵なしのタンデムパイロットとして一世を風靡した選手だ。ロンドンでは、ともに金メダルを首から下げたサラとバーニーのウイニングキスに、カメラマンが群がったのも記憶に新しい。
バーニーは現在「Podium Ambition」の監督、サラとバーニーのチーム「Team Storey Sport」で行っている個人コーチ、モチベーショナルスピーカー、そしてルイーサのパパでありサラの夫としても活躍している。2014年のサラの競技への復帰当初から、大きなリュックとだっこひもを着けルイーサを抱くバーニー、孫を連れ歩く夫妻の両親たちの姿は会場をなごませ、ルイーサはいつも他の選手たちに「一緒に写真撮らせて!」と囲まれる人気者だ。
サラは言う。「私はとても幸運だと思います。自分に、そして水泳から自転車に転向する自分のニーズに特別なサポートをしてくれる人たちと会えた。私の両親はいつも最大のサポーターで、バーニーとそして今はルイーサがそのチームに加わってくれた。私は本当にlucky ladyです!」
アスリートマザーの先駆者のひとりであるサラに、後進へのアドバイスを聞いてみた。
サラによれば、妊娠中のトレーニングは、体の声をよく感じ取り、脱水症状を避けるための助言を重視し、疲れ過ぎず、心拍数を閾(しきい)値(乳酸が貯まらず継続して走り続けることができる最大の心拍数)内に納めることで十分可能である。出産後も体の声をよく聞き、健康状態がゆっくり戻っていくのを辛抱強く待つ必要がある。
読んで参考にできるものがなかったサラは、チームドクターと自分のコーチングチームから指導を受け、自分の感覚にもとづいてトレーニングを行った。トレーニングについては「とても難しいことだが、やりすぎないことが重要」だという。
妊娠中ずっと経過良好で健康だったサラだが、出産は帝王切開だった。回復までの時間は長くなり、注意深く過ごさなければならなかったが、プレッシャーはなかった。「長い間アスリートだったので、自然に受け止めることができたのでは」とサラは分析する。
サラにとって、ルイーサを母乳で育てることと、トレーニングがあるからといってルイーサを後回しにしないことは、非常に重要なことだった。家族を持ちたいと思っているアスリートたちへのアドバイスとして、サラは考える。スポーツキャリアと家庭の両立には、膨大な量のサポートをその両方に対して確保する必要がある。赤ちゃんはトレーニングスケジュールなんて気にしていないし、選手はトレーニングが必要なので、すべてを赤ちゃんに合わせる新しい方法を見つける必要があるからだ、と。
トレーニングのポイントと女性アスリートのサポートについては「強みと同時に弱点に対しても働きかけを続け、それも強みに変えること」を挙げている。水泳、そして今は自転車でサラがずっとやってきた方法だ。
この9月、サラは38歳。さまざまな道を自分で拓いてきたサラは、7回目となるパラリンピックの舞台に立つ。メダルを胸にした彼女がルイーサを抱くとき、女性アスリートたちの未来はまた少し姿を変えていくに違いない。

text&photos by Yuko Sato

2016-07-31

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