2017.05.10

【陸上競技】[第33回静岡国際陸上競技大会]日本陸上界で初めて義足のパラリンピックメダリストになった山本篤。先駆者として走り続ける理由

2017年日本グランプリシリーズ第4戦で、この夏にロンドンで開催される世界選手権の代表選考会も兼ねた、「第33回静岡国際陸上競技大会」がエコパスタジアム(静岡県袋井市)で5月3日、開催された。多くの陸上ファンが集まったなか、特別種目として「男子パラ100m」が行われ、リオパラリンピックメダリストら、義手や義足の5選手が出走した。

リオパラリンピックで走り幅跳び銀、4x100mリレー(T42-47クラス)で銅を獲得し、100mの日本記録(12秒61)をもつ山本篤(T42クラス/片大腿切断など) もその一人。この日の13秒28というタイムには、「ちょっと微妙なタイム。まだ、シーズン序盤なので、これから世界選手権に向けて仕上げていきたい」と前向きにレースを振り返った。


報道陣の質問に答える山本。地元静岡出身で2008年からスズキに所属する photo by Kyoko Hoshino


普及のため、パラ種目の実施を呼びかけ

山本は高校2年だった2000年の春、交通事故で左脚を太腿から失い、義足生活となり、義肢装具士の資格取得を目指すなかで陸上競技と出会う。04年4月にはスポーツ推薦で大阪体育大学体育学部に入学。陸上部で健常選手と練習を積み、専攻するスポーツバイオメカニクスの理論や研究を通じ自らを実験台としながら、大腿義足の陸上選手の第一人者として数々の記録を塗り替えてきた。

特に走り幅跳びでは、初出場だった2008年北京パラリンピックで2位となり、日本の義足陸上選手として初のメダリストになる。13年、15年の世界選手権では2連覇し、16年には当時の世界記録(6m56)を樹立する。その後、世界記録は外国選手に塗り替えられるも、自身のベストは6m62まで伸ばした。16年リオ大会では惜しくも2位で、「北京では、獲れちゃった銀メダル。今回は8年間、金を狙いにいっての銀。だから、悔しい」と無念さを示し、7月の世界選手権で王者奪還を期す。

「やりたいと思ったことはやる。いつでも挑戦していたい」がモットーだ。一競技者として常にトップを目指すとともに、パラスポーツ全体にも目を向け、PR活動にも熱心だ。実は冒頭の静岡国際大会でのパラ種目実施も、山本が仕掛け人だ。

世界では一般大会でパラ種目が公開競技として多数実施されているが、日本では過去、世界選手権などで単発的に行われるだけだった。「日本でも実施して、パラスポーツ普及につなげたい」と考えた山本は、まずは自らが所属するスズキが協賛する同大会での実施を思い立ち、関係各所に働きかけた。おかげで、2013年大会で初めて実施され、今年で5回目と恒例化した。以来、パラ種目を実施する大会が着実に増えている。

「日本は前例を作るのが難しい。でも、一度作ってしまえば、次々とつながっていく。いい前例を作れたのが静岡国際だと思う。ここからいろいろな大会に飛び火して少しずつ広がっている。いい流れだと思う」と手応えを口にする。

山本の競技生活を一言で例えるなら、「先駆者」だ。一競技者として先進的なトレーニング理論や方法を試し、結果につなげてきたことに加え、講演会やパラスポーツ体験会、選手発掘イベントへの参加やテレビ番組のゲスト出演、2017年4月には母校の大阪体育大学客員准教授にも就任。特別講演などを通じて「今まで取り組んできた経験を学生に伝えたい」と抱負を述べた。

また、今年2月にはパラスノーボード大会に初出場して初優勝を飾り、夏冬両パラリンピック出場への挑戦を表明し、周囲を驚かせた。中学1年から始めたスノーボードは義足になってからも趣味で続けていたそうだが、14年ソチ冬季大会からパラリンピックに採用されたこともあり、スノーボードへの思いが再燃。4月には日本障害者スキー連盟のスノーボード強化指定選手にも選出されている。競技者として挑戦でもあるが、さらに、陸上で頂点を極めた自分が話題になることでパラスポーツへの注目を高めたいという思いもあるという。こうした精力的な活動でパラアスリートやパラスポーツファンを増やし、2020年の東京パラリンピックの会場を満員にし、大成功させたいと願っているのだ。

常に強い選手でありたい。その理由とは?

そんな山本が手本とするのは、右脚義足の鈴木徹(T44クラス/下腿切断など)だという。2000年のシドニー大会で義足の陸上選手として日本人初のパラリンピアンとなって以来、走り高跳びではリオまで5大会に出場し、連続入賞。義足選手初のプロ契約活動や、母校のハンドボール部監督就任など、鈴木もまた先駆者だ。

山本は、「僕のなかでは、徹さんがパラ陸上のレジェンド。ずっと彼を追いかけてきた。義足選手としてたった一人、第一線でやってきて、そこに僕が加わり、さらに新たな仲間が続く、という流れを途切れさせたくない」と話す。

その言葉通り、彼に憧れ、慕う後輩たちも増えている。たとえば、大学生の池田樹生(T44クラス)。元々バスケットボール選手だったが、練習中に義足が壊れ、訪れた修理所で、義足で力強く走る山本の写真を見て釘付けになった。陸上競技に転向すると短距離走で才能が開花。静岡国際にも連続出場し、今年度は初めてリレー特別強化選手にも選ばれた。

日本のリレーチームはリオパラリンピックで山本をアンカーに擁し、初めての銅メダルを手にしている。池田は、「僕が篤さんのポジションを任されるかたちになると思う。プレッシャーもありますが、結果を出すこと。そして、背中を見ているだけでなく、追い越すことが恩返しになるのかなと思っています」と意気込む。

山本は求められれば、競技者や義肢装具士としての観点から惜しみなくアドバイスすることでも知られる。将来的には自身の経験を伝え、指導者になることも目標のひとつだといい、「その選手がパラリンピックで金メダルを獲ってくれたら嬉しい」と意欲を示す。

「でも、僕自身が強い選手でないと、ついてきてくれないと思う。だから、常に強い選手でありたい」

まずは今夏の世界選手権で3連覇という偉業を達成し、まだまだ大きな背中を見せるつもりだ。


text by Kyoko Hoshino
photo by PHOTO KISHIMOTO