[車いすフェンシング日本選手権大会]13人の車いすフェンサーが集結、13年ぶりの日本選手権開催が実現

[車いすフェンシング日本選手権大会]13人の車いすフェンサーが集結、13年ぶりの日本選手権開催が実現
2016.08.13.SAT 公開

車いすフェンシングの平成28年度日本選手権大会が7日、京都市内のホテルで開催された。種目は胴体への突きのみが有効なフルーレの個人戦のみで、男女あわせて13人が出場。女子は櫻井杏理(京都府)が、男子は安直樹(東京都)がそれぞれ優勝した。

櫻井がけん引する女子は競技人口増加に期待

極めて至近距離で攻防が繰り広げられる車いすフェンシング。剣のコントロールの正確性とスピード、そして一瞬の油断も許されない集中力が求められる。この日も、独特の緊張感が漂うなか、ホテルの一室に設置された特設会場に剣を交える金属音が鳴り響いた。

女子は4選手がエントリー。総当たり戦の6試合が行われた。強化指定選手の櫻井以外の出場者が競技に取り組み始めて間もないこともあり、櫻井の圧勝で終えた。

昨年10月頃から車いすフェンシングを始めたという森由起恵(北海道)は、大会に出場するのは今回が初めて。体格が小さくても世界で活躍する選手がいると聞き、フェンシングに興味を持った。今は練習次第で上達することを実感している最中だという。1勝はならなかったが、他の選手の試合を懸命に目で追う姿が印象的だった。

櫻井は、「本来は強化選手と育成選手を明確に分けるべき」としながらも、「普段、緊張感がある中でやることがないので、こういう大会形式はいい機会」と理解を示した。また、櫻井は男子の部にもエントリー。男子と比べて女子は動きが細かいなど戦い方に違いがあるが、普段から男子相手の練習もしているといい、準決勝まで勝ち上がるなどさすがの存在感を見せた。

試合前、腕の長さで対戦相手との距離を決める
試合前、腕の長さで対戦相手との距離を決める
女子の櫻井(右)と森の対戦
女子の櫻井(右)と森の対戦

安は優勝も「もっと剣の技術が必要」と反省

その男子は9選手がエントリー。予選と決勝トーナメントが行われた。決勝は、ともに盤石の強さで勝ち上がった安と加納慎太郎(東京都)のカードに。序盤は互いに点を取らせない展開が続くが、安が先制すると3点を連続得点。その後は加納もじわじわと積極的なアタックでポイントを重ねるが、15対7で安が勝利した。

試合後、「力が入り、単調になってしまったが、最後まで勝ち切れたのは良かった。早く(練習拠点の)東京に戻って練習したい」と語った安。

車椅子バスケットボールプレーヤーから転向して1年余り。自分の攻撃スタイルを多角度から模索する中で、左手で持っていた剣を右手に持ち替えるチャレンジにも取り組んだ。それにより、「アタックのフォームが変わり、突く威力も良くなった」と安。バスケ時代に身に付けた屈強な筋肉も落ち、体重は9キロ減の“フェンシング仕様”に。東京パラリンピック出場でのメダル獲得を目標に、今後も積極的に海外で実践を積む予定だ。

男子のベスト4に女子の櫻井が入った
男子のベスト4に女子の櫻井が入った
男子で優勝した安
男子で優勝した安

課題は車いすフェンシング専門の指導者不足

1998年に第一回大会が開催された日本選手権だが、参加者の減少により2003年を最後に中断していた。だが、東京パラリンピック開催が決定したことを機に、競技団体は2015年にNPO法人日本車いすフェンシング協会として再スタートを切り、体験会やデモンストレーションなどを全国で積極的に展開。地道にアピールを続けた結果、競技人口が2人から40人近くに増え、実に13年ぶりの今大会の開催に至った。

ゲストとして選手たちを激励した久川豊昌氏
ゲストとして選手たちを激励した久川豊昌氏

小松真一会長は、「試合をやれば参加者のモチベーションが上がる。始めたばかりの人は横一線でスタートすることになり、互いに競い合うことでパラリンピックを目指す人が出てくると思う」と、選手権再開の意義を口にする。

会場では、シドニー大会から3大会連続で日本代表としてパラリンピックに出場した久川豊昌氏が後輩たちを見守っていた。現役時代は国内で練習相手を探すことすら難しく、海外遠征に行くたび、ライバルたちがチームで練習をしている様子を見て、羨ましく思っていたという。だからこそ、この国内の競技人口の増加は「嬉しい変化」だと語る。一方で、「選手の障がいレベルはさまざま。(そうした側面も理解して指導できる)コーチングを専門でできる人がまだ少ない」と、日本の車いすフェンシング界が直面する重要な問題を指摘する。

日本車いすフェンシング協会によると、今年の秋から、パラリンピックで3つの金メダルを獲得した、香港の馮英騏 (フン・イン・キィ)氏を日本代表のコーチとして招聘する予定とのこと。彼はこれまでもたびたび来日して特別コーチとして日本人選手の指導に当たっており、選手たちとの絆も生まれている。東京まであと4年。これを機に、ハード・ソフト両面の環境整備がさらに進むことが期待される。

text&photos by Miharu Araki

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