26歳の時に眼科で「網膜色素変性症」であると診断される。障がいがあることにより、できる事が出来なくなっていく。そんなネガティブな面に注目するのではなく、まだできる事、そして自分が杉内周作であり続けるために、以前より続けていた「水泳」に再挑戦することにした。夢であった日本代表になり、アテネ大会を戦い、目標であったメダル(銅)を獲得。その後現役を退き、後進の指導を続けている。パラ水泳連盟のアスリート委員会の発足にも寄与。また日水連のアスリート委員会にも参加し、「水泳」そのものの普及活動も続けている。東京2020大会においてはTVやラジオ放送の開設者を行う。
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Q:趣味
A:鉄道旅行、ゲーム、PC作成、アニメ
Q:子供の頃の将来の夢
A:電車の運転手、学校の先生、物理学者、戦闘機のパイロット
Q:これまで一番嬉しかったこと
A:アテネから帰ってきた真夜中の羽田空港で、娘が駆け寄ってきて抱き着いたとき、娘にメダルを掛けてあげたら、「メダルよりパパが元気に帰ってきた事が嬉しい」と言ってくれた時。泣きました。
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【所属】
富士通株式会社/日本パラ水泳連盟