安 直樹 ×

Naoki YASU | 車いすフェンシング | WHEELCHAIR FENCING

太田 雄貴

Yuki OTA | 日本フェンシング協会 | FEDERATION JAPONAISE D'ESCRIME

写真=甲斐啓二郎 文=田口悟史

フェンシングのちょっと深い話をしよう
構えて突く、その一瞬をめぐる多彩な思考について
アンガルド、プレ、アレ!掛け声とともに、ピストに固定された車いすに乗るその人は躍動する。白いジャケットとニッカーズ、堅牢なマスクに身を包んで。響く剣の金属音、軋む車いす。ほとんど一瞬のうちに決する攻防。安直樹はそんな勝負の世界の住人となった。たった2年前、20年間情熱を燃やした籠球のコートを後にして。期するのは、2年後の東京パラリンピックでの活躍。目下、持ち前の運動能力とストイシズムでめきめきと上達中、とまではいかないようだが、車いすフェンシングというスポーツの奥深さに触れつつある。そしてどうやら苦闘している。ならば話を聞くのは、この人しかいない。太田雄貴。日本フェンシングの歴史を作った、世界のトップ・オブ・トップ。無論、その思考も型破り。
高橋和樹・柏野牧夫
似ているようで、違うようで、
やっぱり似ている
車いすフェンシング、太田さんも体験されたことがあるとか。健常者のフェンシングとは違いますか?
太田雄貴[以下、太田] : そうですね。フェンシングは、試合開始の掛け声の前から駆け引きが始まっていて、車いすフェンシングはその要素がより強い。というのも、相手との距離が固定されているので、掛け声の瞬間に勝負が決まることも多いですから。どこを攻める、どこを攻められるっていうのを、試合開始前に読んでいないといけないんですよね。野球の感覚に近いのかな。ストレートを投げるのか、スライダーを投げるのか。ピッチャーが18.44メートル離れたマウンドから投げるボールを打つのに、見定めてからバットを振っても遅い。だから球種やコースを読んで、ボールがリリースされる前からバッターは始動しますよね。あれと同じで、ある程度は「こう来るだろうな」という推測を立てる。それがハマると気持ちいいし、ハマんないとやられるっていう感じですかね。合ってます?
安 直樹[以下、安] : いやいや(笑)、合ってるも何も。
僕はまさにその感覚を磨き始めたばっかりです(笑)。この競技を始めた頃は「逃げ場のないところでの突き合い」という感覚だけ。「読み」とか「駆け引き」なんてまったく知らなかったんですよね。でもようやく、馮英騏(フェンインキィ)コーチ*¹や長良円コーチと出会えて、車いすフェンシングとは何かが見えてきた状況というか。
読み合いや駆け引きについて学び始めているんですね。
安 : その前から、なんとなくそういうスポーツなのかなっていう感じはあったんですけど、試合になれば駆け引きというよりも、自分がこの技をしたいからするというだけ。相手の状況を読んで、どういう技がいいかとか、そういうことは一切考えていなかった。だから突き合い、避け合いみたいにしかならなくて。ようやく学び始めたんです。そしたらけっこう苦しくて。
競技の奥深さみたいなものが見えてきたのでしょうか。
安 : それまではいかに速く剣で突いてポイントを取れるかっていうことだけをやっていたんです。でも今は、駆け引きのトレーニングをやって、その中で自分の技をいかに正確なタイミングで出していけるかということを追求しています。
健常者のフェンシングでも、駆け引きは大切な要素になりますよね?
太田 : そうですね。そこをトレーニングするようになると、一度、試合で勝てなくなるんです。安さんもきっとそうなります(笑)。フェンシングって誰でも最初はチャンバラからスタートするんです。剣をぶんぶん振り回してるだけでも、身体の強さがあれば、たまたまでもクリーンヒットしたりする。そのポテンシャルだけで勝てるんですが、そのやり方では限界点が決まっていて。もうひとつ上のフェーズに行くには、一度、スクラップ&ビルドしなきゃいけないんです。その最中は勝てない。
強くなるには必要なプロセスなんですね。
太田 : そうです。安さんは身体のポテンシャルはすごいものがあるし、スピードもパワーも国内では図抜けてるから、それだけで勝てる。でも海外の試合だと、同じようなスピードとパワーの持ち主はゴロゴロいるだろうし、そこで駆け引きの部分が必要になってくる。あとは孫子がやっていたような、戦略、ストラテジーをしっかり持つことも必要になってくるでしょう。そういうことを自分のフェンシングに組み込んでいけるようになると、また違った世界が開けていくと思います。あるいはさらに突き詰めて、戦術と戦略の違いについて考えたり、試合前の1カ月前、2カ月前、半年前をどう過ごすか検証したり。僕の場合はアジア人で身長も低かったし、世界のトップを獲ろうとするなら、そういうことまで考えないと勝てなかったんです。
身体能力の差を埋めるための戦略や戦術、準備や思考があると。
太田 : 安さんは体格もいいですから、そこまで考えなくても勝負はできると思います。でもある程度、駆け引きを学ばないと、なぜポイントが取れて、なぜ取られているかがわからないから、再現性がなくなってしまうんです。同じことをやろうとしてもできない。そうすると、あるところで成長が止まってしまう。
安 : 今の僕が本当にそうなんですよね。
思考して、思考して
超回復の先に見る一筋の光
太田さんの話、ものすごく頷いて聞かれてましたね(笑)。
安 : はい(笑)。実際、すごく苦しんでますから。
太田 : それはね、フェンシングがうまくなるには必要なことですから。超回復みたいなもので、一回落ちないと上がっていかないんです。ジャンプするのと一緒ですよ。屈まないと。
安 : 去年の10月からその部分の強化を始めてるんですけど、ここまでやってきて、どんどん苦しくなってるような感覚があります。たぶん、もっとピュアな状態で車いすフェンシングを始めていたら違ったのかもしれないんですけど、僕は車いすバスケをずっとやってきて、それに対しては20年以上ずっと、野生の勘みたいなところで勝負してきたので。考えるっていうことに対して、すごく苦手意識があるんです。でも今は、向き合い続けるしかないんですよね。半年間やってきて、ようやくぼんやりと、駆け引きというものが見えてきてる状態です。
さらに強くなれる実感が得られているということでしょうか。
安 : いやいや、まだまだ。状況に合わせた攻め方を考えられないことも多いし、アイデアも引き出しも足りないですし。実際に海外の選手と試合する際も、コーチとのレッスンどおりに分析しながら戦えているかというと足りないですし。実感が得られてると言えるまでには程遠くて。悩んで苦しんでます(笑)。
太田さん自身はそういう苦しみはなかったんですか?
太田 : 僕は器用だったんですよね。思考と動作を一致させるのも得意だったし。それに僕はズル賢いので(笑)。うまくいっていない人たちからも学ぼうとするんです。うまくいってる人たちだけじゃなくて。「なぜあの人は、ああなっているのか」というのを、ずーっと見て分析するのも好きで。だけど、わかっていてもできないことって、誰にも必ずありますから。時間軸から逆算して、フェーズ的にその修正が間に合わない場合は、いいところだけを伸ばしていくことも必要。そのうえで弱点が邪魔をしないように修正作業をする。フェンシングの場合、一番よくないのは失点に直結するミス。それだけは修正したい。
安 : なるほど。そういう整理もできるといいですね。
太田 : 失点に直結するミス──たとえば、構える時のクセとかね。強い選手って、試合をしながら相手の構えのクセだけで、その狙いを読めたりするから。やはり野球のピッチャーのフォームと一緒。腕の振りがストレートと変化球で違えば打たれてしまうけど、同じだからバッターはチェンジアップで空振りするわけで。だから、構えのクセをコントロールできれば、それすらフェイントに使えるようになります。
安 : 言ってること、すごくわかります。理解もできるんですけど、実際に自分のフェンシングの状態を考えると、一筋の光がようやくうっすら見えてきたようなところなので。遠いなあって思ってしまうというか。たとえば、僕のクセでいうと、とにかくポイントを欲しがってしまって、焦ってアタックをしてしまう時があるんです。そうすると、だいたい失点してしまう。
太田 : そういう時、僕だったら、ポイントを欲しがる理由はどこにあるか?と考えてみます。なぜ欲しがってしまうのか、どういう条件が重なったら欲しがってしまっていたのか。
なるほど。ものすごく思考するスポーツなんですね。
安 : どうやらそうみたいなんですよね。車いすバスケは肉体的にハードで、練習だけでも疲労で動けなくなったりする。車いすフェンシングはそこまで体は疲れないんですが、なんかこう、あくびが出る疲れがあります。メンタルもハードだし。競技にちゃんと向き合うほど、顔を背けたくなるというか。
個を磨くスポーツとしてのフェンシング
さらなる発展に教育改革が不可欠?
今は個人競技ですが、車いすバスケという集団競技から転向して、寂しかったりはしませんか?
安 : それはありましたね。馴れるまでに1年くらいかかりました。フェンシングを始めてすぐに、変に勝っちゃってたので。もっと勝ち続けなくちゃとか。期待を背負ったつもりで、余計に孤独を感じていました。それまではチームがいて、助け合ったりもできたけど、今は苦しい時もぜんぶ自分でなんとかしなきゃいけないし。そのストレスのやり場に困るというか。
太田 : わかりますよ。でも人は最終的には一人で決断するしかないですから。安さんがバスケをしてた時だって、きっとパスをするかシュートを打つかは個人で決断していたんだろうし。孤独といえばそうですが、人から期待されなきゃ、スポーツなんてやっても楽しくないでしょう。
安 : そうかもしれません。以前はバスケやりたいなあって思うこともありましたが、それももう吹っ切れました。やっぱりフェンシングは自分でやればやっただけ、技術も環境面も向上していけるので、その面白さはありますね。バスケはコミュニケーションやチームワークみたいな要素も必要でしたから。自分が成長すると、ここまで来たなっていう手応えを強く感じることができます。最初は、もうとにかく孤独でしたけど(笑)。
車いすフェンシングにも、エペ、サーブル、フルーレ*²とありますが、安さんはどれをメインでやっているんですか?
安 : それも決めるのは難しいんですよね。2、3年しか経験がない中で、2つ選んでさらにメインをどっちかに絞らなくてはならない。今はフルーレとサーブルにしてるんですけど、確信があってそうしたわけでもないんです。選んだ理由としては、サーブルは剣が相手に触れればポイントになるので、僕みたいな初心者がやるにはレベルでいうと楽なのかなって。それに、馮コーチがサーブルを専門にしていたというのもあります。もしかしたらフルーレなのかもって考える時も、いまだにあるんですけど。
太田 : いや、安さんにはサーブルが合ってると思いますよ。性格的にも。フルーレは指先の細かい感覚を養う必要があって、けっこう時間がかかるんです。才能ではなく条件として。オリンピックのレベルでいうと、過去5大会で高校から始めたフルーレの選手はいない。もっと小さい頃からみんな始めてます。
安 : そうなんですか!
太田 : そうです。みんな遅くとも中学校では始めている。エビデンスとして、15歳からフルーレを始めて、7、8年トレーニングを積んでも世界で結果を出すことはできないってことが証明されているんですよね。これはもう、フルーレ、エペ、サーブルという種目の特性。野菜を種から育てて収穫時期が種類によって異なるのと一緒で、仕方のないことなんです。だけどエペをやっているナショナルチームの選手は、ほとんど高校から始めていますから。サーブルも然りで。特性があるんですよ。陸上でいうと100メートル、400メートル、1000メートルくらいの違いがありますから。同じフェンシングですが、似て非なる競技です。とにかく、安さんのサーブルはいい選択だと思いますよ。
安 : もう、それを信じてやるしかないですね(笑)。欲を言えば、ひとつに集中してやりたいところもあるんですけど。競技人口の問題とかもあるので、一概には言えませんが。
太田 : 車いすフェンシングは国内では発展途上の競技ですからね。もっとマーケットが広がって競争力が上がってくれば、専業になっていくはずです。世界的に見ても、2種目を同じくらい高いレベルでこなせる選手というのは稀な存在でほとんどいないと言ってもいい。特別な才能の持ち主でなければ、2種やるのは厳しいのが現実です。
車いすかどうかにかかわらず、日本のフェンシングがこれからさらに強くなっていくためには、競技人口は無視できませんね。
太田 : よく言われるのは、競技人口とエリート教育ですよね。でも、僕は入口から分けようと思ってるんです。これは日本の教育にも通じるところなんですけど、日本は全員に満遍なく同じサービスを提供しようとしすぎている。たとえばハーバード大学に行きたい子と家業のお寿司屋さんを継ごうとしてる子に、同じ英語を教えようとしたり。でも、それは彼らの最終的なアウトプットに最適なものじゃない。フェンシングも同じ。オリンピックを狙う子と遊びでやる子、それぞれに最適なサービスがあるはず。もっと個人の志向を大切にしたい。だからひとつのピラミッドで考えるのはやめて、まずはそれを2つ作るような感覚で、フェンシングはやっていこうと思っています。
車いすフェンシングの普及を考えても、パラリンピックはチャンスですよね。本番まであと2年と少しです。順調ですか?
安 : いや、どうだろう。コーチやマネージャーと相談しながらトレーニングを積めてはいますが、やるべきこととか、習得すべき技術がたくさんあって。キャパオーバーになりかねないような状況で(笑)。焦ってもいけないけど、自分の弱点を速やかにひとつずつ、潰していくしかないのかなって思っています。
太田 : 今の安さんのフェンシングで最大の課題は何ですか?
安 : やっぱり、駆け引きですかね。
誰も歩んだことのない道へ
東京で結果を残すために
国民性として日本人は駆け引きが苦手なのでしょうか。
太田 : いや、得意なはずなんですよ。駆け引きというのは、数字と統計を使って勝負することなので。たとえば自分がどういう時にポイントを取り、失っているのか。オフェンスで取っているのか、ディフェンスで取っているのか。それを正確に数字で出していくと、自分の感覚とは一致していないことが多い。だからまずは数字で正確に自分を知って、そのうえで状況や条件に合わせてどうするかを考える。それが駆け引きです。日本人は数字が得意ですから、できるはずなんですよ。どこの場所を突きにいくか、攻撃に入るスピード、剣の入射角とか、分析できる材料はたくさんあります。僕はそういうものを材料に考え続けるのが好きなんです。
安 : そりゃメダル、2つも獲れるわけですね(笑)。今の話を聞いてたら、余計に焦っちゃうな。駆け引きを学び始めていて、強くなるには続けていかなければいけないと思うんですが、なかなか、世界のレベルには追いつけなくて。
太田さんはもともとそういう思考法なんですか?
太田 : フェンシングを通じて学んだことなのかな。これはどんなスポーツにも言えると思うんですけど、頭で考えたことを、どれだけ忠実に肉体で再現できるかがキモなんですよね。それ以外の、コントロールできないクセとかは必要ない。そのために思考して練習をするんです。そうだ。駆け引きに関しては、漫画の『ハンター×ハンター』を読むといいですね。
安 : 漫画ですか?
太田 : そう。5巻まででいいので。とくにハンター試験編の四次試験、カワセミのくだり。フェンシングの駆け引きがわかります。専門用語でいうと、セカンドインテンションとファーストインテンション。これがわかるようになると、フェンシングがすごく広がります。とても面白い漫画だし、ぜひ。
意外なところにヒントがあるんですね。
太田 : 僕が現役の時は、いつもフェンシングをとおして見たり考えたりしていたので。いろんなものから、役に立つものを得ていましたね。でも、安さんが焦るのもわかります。2020年の本番までの時間軸が短いので。どうしても超突貫工事になってしまいます。あるいは、諦めるところは諦めて勝負しなきゃいけないのかもしれません。お弁当でいうと、いろんな食材が入った幕の内を目指すんじゃなくて、カツ丼とかカレーライスとかの一点突破型(笑)。自信のあるところを伸ばして勝負するんです。残り2年と数カ月でやることと、やらないことを整理して。
安 : それもバスケだったらわかるんですけどね(笑)。そういう長所と短所も、見極めるのが難しくて。フェンシングはもっと単純なものだと思って始めたんですが、ぜんぜん、そんなことありませんでした。すごく奥深い競技です。
太田 : いやいや、まだ車いすフェンシングを始めて2年ですからね!逆に言えば、2年でここまで世界を相手に戦う選手になっているのがスゴイ。このままトレーニングを積んでいって、東京のパラリンピックに出られたら、それはそれで特別なモデルになりますよ。バスケから転向して4年であの舞台に立つ。子どもたちの目標にもなるかもしれない。安さんは、今、誰も歩んだことのない道を歩もうとしてるから。たぶん、健常者の僕らにも確かなことはわからないし、馮コーチはべつだとしても、安さんに教えられる人はなかなかいないんだと思います。
安 : ナショナルチームも充実してきて、コーチをはじめ、スタッフもみんなで知恵を出し合う環境が整ってきましたから。パラリンピックで結果を出すために、今のこの苦しみが正念場だと思っています。あと『、ハンター×ハンター』も絶対読みます!
*1 車いすフェンシング日本代表チームヘッドコーチ。1980年香港生まれ。シドニーとアテネのパラリンピック2大会で金5つ、銀・銅のメダルを獲得(サーブルとフルーレ、個人と団体)した名フェンサー。2016年より現職。京都市在住。
*2 フェンシングは武器とルールが異なる3種目に分かれている。軽い剣を用いて攻撃権を得たうえで有効面(上半身の胴体)を突く「フルーレ」、剣は重く全身が有効面という伝統的な決闘に近い「エペ」、攻撃権があり有効面は腰から上すべてで、突きに加えて斬撃も有効な「サーブル」がある。

安 直樹 | Naoki YASU

1977年、茨城県ひたちなか市生まれ。14歳で手術のミスにより左足の股関節に重い後遺症を負う。以後、車いすバスケットボールに熱中。日本選手権MVP、アテネパラリンピック出場、イタリアのプロリーグに加入など日本を代表する選手に。2015年3月より車いすフェンシングに転向。2020年の東京パラリンピックでのメダルを目指す。

太田 雄貴 | Yuki OTA

1985年、京都府生まれ滋賀県育ち。小学生からフェンシングを始め、各年代で全国大会を連覇。高校2年で全日本選手権を優勝し、長らく日本のトップフェンサーとして君臨。2008年の北京オリンピックでは男子フルーレ個人、2012年ロンドン大会では団体でともに日本人初の銀メダルを獲得。2017年より日本フェンシング協会会長に就任。