身体の使い方や力の入れ方が、
それまでやっていた健常の選手たちと
まったく違うんですよ。
タイミングやコース、球威、
どれも読みづらくて、
こんな打ち方があるのかと衝撃を受けました。
「相手の障がいを徹底的に攻める、それがセオリーですよ」
直截簡明な回答だったが、障がいのある者自身が明け透けにそう話すものだから、やや不意を打たれた感も否めない。パラ卓球男子日本代表にして世界ランク4位(2021年7月時点)、東京大会でのメダル獲得が期待される岩渕幸洋は、そんなこちらのリアクションをあらかじめ予想していたかのように続けた。
「やるべきことは他のラケット競技とまったく一緒。試合に入れば、相手の苦手なところや動きにくいところを攻めるというのが駆け引きであり、技術です。かわいそうだからこっち側にボールを送るのをやめようなんて、そういうことのほうがリスペクトに欠けるし、フェアじゃない」
どんなスポーツでも試合に挑む以上、選手たちはコートに立った時点であらかじめ提示されたすべての条件を飲み込んでいることになる。当たり前と言ってしまえばそれまでだが、しかしパラ卓球に関しては、必ずしも同じ種類の障がいがある選手同士が試合をするとは限らない。ここにゲームを面白くする不確定な要素が多分に含まれている。
どういうことか。パラスポーツの多くの競技は選手の障がいの程度によって細かく区分され、そのカテゴリの中で勝敗や記録を競い合うことで公平性が担保される。パラ卓球の場合も障がいの重さや程度によってクラス分けこそされるものの※、例えば左手に障がいがある選手と、右足に障がいがある選手が対戦することも、まったく珍しいことではない。岩渕に言わせれば「たとえ同じタイプの障がいでも麻痺の残り具合でクラス8にも9にもなりうるから、一概に言えない難しさがある」ということだ。
* パラ卓球では、障がいの種類や程度に応じてクラス1〜11までクラス分けされる。クラス1〜5が車いす、クラス6〜10が立位となり、数字が小さいほど障がいの程度が重く、大きいほど軽くなる。クラス11は知的障がい。また、クラスによっては一般の卓球と異なるルールが認められており、例えば立位の選手では義足の代わりにクラッチ(杖)を使用したり、正規のトスが難しい選手は手のひらを開かずにサーブをすることなどが認められている。
それでいて使用される卓球台のサイズも高さも、ラケットの規格も、一部クラスによって設けられた特例を除けば運用されるルールも、基本的にはすべて健常の卓球と同じ。つまり、障がいはそのままその選手の「弱点」とも「個性」ともなり、誰の目に見ても明らかなその非対称性こそがこの競技をより高度で、より複雑で、よりスペクタクルを生み出しやすいものにしている。陸上や水泳といった個人記録を追求する競技とも、車いすラグビーやブラインドサッカーといった異なる障がいを補完しあって戦うチームスポーツとも違う。パラ卓球の面白さを定義づけているのは他でもない、選手たちの障がいそのものなのだ。
「卓球にすごく詳しい人なら、一般の卓球の試合中に選手たちが行なっている駆け引きや試合展開を理解できると思うんですけど、普段なかなか卓球を見ない人にはわからないかもしれない。その点、パラ卓球は目に見える障がいがあって、おそらくこの選手はこうされると困るんじゃないかなって、自分なりに予想できると思うんです。選手たちが相手のどこを突いて、それをどう凌いでいるのかに注目すると、パラ卓球をすごく楽しく感じられるはずです」
* この日、撮影で使用された「PARA PINPONG TABLE」は、パラ卓球選手がプレーする際に自身の障がいがあることで卓球台をどう感じているかを具現化するために企画・製作されたもの。「IWABUCHI MODEL」と名付けられたこの卓球台は、左サイドが通常のものより拡張されている。左足首に力が入らず、左側への移動が困難=遠く感じるという岩渕選手の障がいの特性を表現している。
健常の卓球とは違う、パラ卓球ならではの凄みがある──そう岩渕が断言するのには理由がある。岩渕自身が初めてパラ卓球に魅せられた時のことだ。
岩渕は中学1年生の時に学校の部活動で卓球と出会う。先天性の両下肢機能障がいがあり、両足首の可動域が狭いことから装具を着用してプレーする必要があったが、それでも健常の同級生たちとともに日々汗を流して練習や大会に臨んでいた。中学3年になったある日、部活とは別で通っていたクラブチームのコーチからパラ卓球の存在を知らされ、興味本位で試合に参加することになった。
「身体の使い方や力の入れ方が、それまでやっていた健常の選手たちとまったく違うんですよ。予測しづらいというか、このボールはクロスに返ってくるだろうと思っていてもストレートに飛んできたり、強く打ちそうな構えを見せているのにめちゃくちゃ緩いボールが返ってきたり……タイミングやコース、球威、どれも読みづらくて、こんな打ち方があるのかと衝撃を受けました。よく見ると、健常者では絶対に使わないような守備的なラバーを使ってあえてボールの弾みを殺し、自分のサイドに持ち込もうとしている選手もいたり。卓球の戦い方の幅の広さを痛感したというか、面食らってしまって、何もできなかったのが最初の経験でした」
ちなみに、それまで岩渕には自身が障がい者であるという自覚は一切なく、試合に出場するためにこの時、生まれて初めて障がい者手帳を受け取ったという。
今や日本は世界で1、2を争う卓球大国であり、国際大会が開催されれば、男子女子ともに疑いようもなくメダルが期待される時代となった。多くの人たちが、目にも留まらぬ高速ラリーや緊迫した試合展開をテレビで観て、手に汗握った経験があるだろう。岩渕いわく、その「速さ」を支えているのは「反応」ではなく「予測」であり、相手が打つ前にどこにボールが打たれるのかを読まなければ、まずトップレベルのスピードには対応できないという。
しかしパラ卓球の場合、選手それぞれの身体的な特徴やプレースタイルの個性が、その予測にたびたびエラーを生じさせる。お互い目に見えるかたちで障がいをさらけ出しているからこそ、より高い次元での読み合いと騙し合い、緻密な戦略性がコートを支配する。岩渕はすぐにパラ卓球の奥深さに魅了された。
「相手の障がいを徹底的に攻める、と言いましたが、同じことばかりやっていては相手も慣れてくるので、試合中にもどんどん戦況が変化していきます。プレーのクセはやっていれば見抜けるんですが、そのクセが選手の障がいに由来するものなのか、意識してわざとやっているクセなのか……相手も自分の障がい=弱点をわかっているぶん、そこが見極められないと相手のペースに飲まれてしまう。だけど、逆にうまく読んでこちらが主導権を握って組み立てられると、こんなに楽しいスポーツはないですよ」
相手を研究すればするほど、同じように自分も研究されているわけで、強くなればなるほど、より研究され、ライバルの数も増える。上位ランカーたちとはこれまで何度も対戦してきているが、同じ相手でも試合のたびに戦い方は更新され、それまで通用していたことが、次の試合ではまるで通用しなくなることもある。2020年以降は国際大会のみならず国内の大会でさえ満足に開催されない中、ライバルたちの最新の情報を得るための手段は限られた映像資料のみ。加えて、2021年に入りクラス分けの規定が改訂されたことで、東京大会では岩渕にとって対戦経験のない、異なるカテゴリからの有力選手たちとも相対する可能性が出てきた。
「これまではサーブで崩して勝つっていう展開が多かったんですけど、最近は徐々に自分のサーブの傾向が読まれてきて、効かなくなってきた。だから東京大会ではいくつか秘策というか、ガラッと変える部分も用意しているんです。“何が起こるかわからない”という状況に慣れるために、対応力を養わなければ勝てない」
東京大会で勝利を掴むための駆け引きは、試合前からすでに始まっている。
岩渕は2020年に入ってからYouTubeチャンネルを開設した。自身の障がいについてや過去の試合の解説動画、普段のトレーニングの様子、ともに戦う日本代表のチームメイトたちとの企画会議など、バラエティに富んだ動画が不定期でアップされている。もちろんこうした競技以外の活動は、すべて「パラ卓球の試合を一人でも多くの人に見てもらいたい」という思いから始めたことだ。
中でも注目したいのが、自身の過去の試合映像を振り返りながら、東京大会のライバルと目される世界のトップランカーたちを紹介する動画シリーズ。健常者の大会にも出場するクラス9の世界ランク1位、ベルギー代表のローレンス・デボス選手や、元中国代表の金メダリストで世界ランク2位のオーストラリア代表、マ・リン選手の強さの秘訣を、初心者にも親しみやすいコメントと選手目線のユーモアとともに解説する。
「逆にああいう死にかけのボールが効いたりするんで面白いですね」
「彼の場合はパラ卓球を超えた存在」
「ミドルに打ったつもりでも、ミドルじゃない時がありますね。パラの選手だと、力の入るところが違うので」
「(欠損の選手だけど)まるで手があるように見えますよね」
岩渕はこうした発信を「競技と同じくらい大事にしている」と話した。試合中に選手たちがどんなことを感じながら、何を考えながらプレーしているのか。パラ卓球の試合にアクセスできる機会が少ないからこそ、少しでもその間口を広げるきっかけになればと願っている。
YouTubeだけではない。岩渕は昨年11月、コロナ禍で国内の選手たちの実践経験が減ってしまうことを危惧し、自身の名を冠したエキシビションマッチ「IWABUCHI OPEN」を企画した。現役パラアスリート自らがスポンサーを口説き落とし、大会を主催するというのは異例だ。
「パラ卓球を見て、面白いと思ってもらえるような場をどんどんつくっていきたいんです。国内では真剣勝負の大会って3月と11月の2回しかなくて、この1年はそれさえも開催されなかった。自分が試合をしたいという気持ちもそうですが、みんなに見てもらいたいという気持ちがあって、いろんな感染対策も徹底したうえで企画しました。僕が発信している動画だけでは伝わらないことが、実際の会場にはたくさんあるので」
僕が感じたその世界をそのまま伝えたい。
それがこのパラスポーツの文化を
つくっていくことにもつながると思うから
動画だけでは伝わらないことがある。会場に足を運んでもらいたい──これこそ岩渕がもっとも伝えたいことでもある。これまで書いてきたように、パラ卓球の魅力は異なる種類の障がいがある選手同士が戦うことであり、大会が行われる会場にはさまざまな個性をもった選手たちが一堂に会することになる。そこでは試合映像だけではけっして知りえない、パラアスリートたちの日常から試合へと切り替わる瞬間を目にすることができる。
「僕らはよく、卓球だけしているところを見て『普通だね』って言われることがあるんです。『どこに障がいがあるかわからない』って。たしかに、プレーだけを見ればそうかもしれない。でも、実際に会場に入ると、いろんな障がいがある選手たちの日常の生活を感じることができて、試合前の準備している様子も、何気なく歩いている姿も、障がいの軽い人から重い人まで本当にそれぞれで。なのに、試合になったら同じコートに立ってものすごい技を繰り出す。僕が初めて海外遠征に行って大会に出た時、一番驚いたことはその日常生活と試合とのギャップなんです。だから、僕が感じたその世界をそのまま伝えたい。それがこのパラスポーツの文化をつくっていくことにもつながると思うから」
このインタビューの数日前、岩渕は東京2020パラリンピック大会開会式で旗手の大役を務めることが決定した。大きな志を胸に、日本選手団を代表してその先頭を歩くことになる。しかし、かねてから掲げる「金メダル以上」という目標は、東京大会ですべてが集大成を迎えることを意味しない。歩みを止めないことがその先の未来をつくっていくということを、その可能性を、岩渕は誰よりも信じているのである。