ボッチャ
- パラリンピック競技
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緻密な戦略と精度が勝敗を分ける独自の球技
ジャックボールと呼ばれる白いボール(目標球)を投げた後、対戦する両者がそれぞれ赤と青の6球を投げ合い、自球をよりジャックに近づけたチームまたは個人が勝者となる。手で投げることのできない選手はキック、あるいは競技アシスタントのサポートを受けながら、「ランプ」と呼ばれる投球補助具(勾配具)を使ってボールを転がすことができる。
私がこの競技を始めたキッカケ
田中 恵子選手
東京2020パラリンピック 銀メダル
施設のレクリエーションから始めたボッチャで日本代表へ
私がボッチャを始めたキッカケは、自分が入所している障がい者施設でボッチャが行われるようになったことです。でも、私はボールを持てないし投げることも出来ないので、最初は無理だなぁと思い見学するのみでした。ある時、指導していた職員の方が、「ランプという補助具を使うと出来るよ」と教えくださり、これなら自分でもやれると思い、始めました。 それまではできるスポーツがなくて、縁がなかったけど、ボッチャと出会い、ボールが集まると勝てる、勝つと嬉しい、負けると悔しいと言う感情を、初めて体験しました。 障がい者はスポーツに関わることは少ないけど、自分に合ったものを見つけて欲しいと思います。
河本 圭亮選手
東京2020パラリンピック 銀メダル
人生に輝きを与えてくれたもの「ボッチャ」
ボッチャを通じてスポーツでの勝敗の厳しさや気持ちを知ること、選手やコーチ、ボッチャに関わる多くの方に出会うことができました。 そんなボッチャに出会ったのは小学低学年の時に夏休みのサマースクールで体験したことがきっかけです。 最初の頃は練習後のゲーム大会が楽しみで参加していましたが翌年に出場した愛知県大会で初戦敗退して次はもっと強くなりたいと悔し涙を流しました。 そこから本格的に競技を始めました。 私はボッチャでしたが これを読んでいるたくさんの方にも人生の中で夢中になれる物を見つけて欲しいです。
中村 拓海選手
東京2020パラリンピック 銅メダル
「観るスポーツから、出来るスポーツに」
僕がボッチャと初めて出会ったのは小学校6年生でした。 小さな頃から通っているリハビリ病院で当時大学卒業1年目だった井上伸先生から教えてもらいました。 小さな頃からスポーツを見るのは好きでしたが、なかなか出来るスポーツは無いと諦めていた時にボッチャを勧めてもらい近くで行われていた大会を見に行きました。 シーンとした空気の中でビッタビタの精度を目の当たりにして、コレは面白そうやから自分もやってみたいと思いました。最初は手がグーのまま開かず、リハビリをして約1年かかりようやく開けるようになりました。 今出来ない事でも時間をかけて努力をすれば出来るようになるんだと思いました。僕はボッチャと出会い自分の出来る事が増え、外に出る機会も多くなりました。 これから何かを始めようと思っている人には、その夢に向かって諦めずに、後悔の無いようにしてほしいと思います。
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対象障がい
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