卓球
- パラリンピック競技
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卓球のスピード感は健在
車いすや立位の肢体不自由者、知的障がいの選手が行う卓球は、一般の競技規則に準じて行われる。障がいの種類や度合いに応じて区分けされ、クラスごとに競技を行う。障がいによりトスが困難な選手は、一度自陣のコートにボールを落としてからサーブを打つことができる。また、車いす選手のサーブは、エンドラインを正規に通過したボールをのぞきレット(ノーカウント)になる特別ルールがある。
私がこの競技を始めたキッカケ
竹守 彪選手
パリ2024パラリンピック 出場
パラリンピック世界予選大会2024 1位
いろんな人との出会いが私を東京2020パラリンピック5位入賞に導いてくれた
私が卓球を始めたきっかけは、中学で特別支援学級に入り、その担任が卓球部の顧問だったからです。3年生に優しく教えてもらい好きになりました。中学2年生の12月に今の卓球クラブを教えてもらい、ますます好きになりました。高校2年生の時に千葉で全国障がい者スポーツ大会があり、そこで本当の「日本一」を決める大会があると知り、ID(知的障がい者卓球)に参加するようになり、卓球漬けの生活になりました。卓球クラブに入った時、当時小学生で今も全国の大学で活躍している子たちと出会って、一緒の時間を過ごしたことも良かったです。いろんな人との出会いがあったおかげで、東京2020パラリンピックでは予選を突破して5位に入賞することができました。
伊藤 槙紀選手
東京2020パラリンピック 銅メダル
ブラジルパラオープン2024 2位
諦めない気持ちがメダル獲得に繋がった
私は鎌倉市の中学校に入学して、部活で卓球部に入りました。卓球は初体験でしたが、顧問の先生や先輩たちが丁寧に教えてくれました。翌年中2の夏、香港で開催されたアジア南太平洋選手権に派遣され、私のパラ卓球が始まりました。13歳で国際大会にデビューして20年以上経った現在も日本代表として国際大会に挑戦できること、如何に自分は恵まれた環境にいたのかと、感謝の気持ちでいっぱいになります。故障した時の不安な毎日、なかなか結果に繋がらない時期も「諦めない!」と思いながら練習に取り組みました。諦めない気持ちが東京パラでの銅メダル獲得に繋がったと思います。私の諦めない!ストーリーはこれからも続きます。
友野 有理選手
パリ2024パラリンピック 出場
スペインパラオープン2024 1位
私を成長させてくれる「キッカケ」との出会い
私は二人姉妹の妹です。幼い頃、家族で温泉に行った時にたまたま卓球台が置いてあり温泉卓球をしました。そこで姉が興味を示しもっと卓球をしたいということで、親が家の近くのクラブチームに行こうということになりました。せっかくなので妹の私も卓球を始めました。ラリーを繋いでいるときの楽しさや勝った時の嬉しさを感じ、どんどん卓球が好きになっていきました。パラ卓球を始めたきっかけは当時のクラブチームの監督とパラ卓球日本代表の別所キミヱさん(クラス5)が知り合いで、別所さんを通じてパラ卓球の全日本(全日本パラ卓球選手権大会)に出場しました。卓球を通じて様々な感情が生まれ、技術面以外にも卓球から学んだことが数え切れないほどあります。日々成長させてくれるものとの出会いだと感じています。
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対象障がい
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