車いすバスケットボール
- パラリンピック競技
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抜群のスピードと迫力満点の車椅子の人気競技
車いすバスケットボールは、コート、リンクの高さ、ボールの大きさは健常者競技と同じです。基本的なルールも健常者のバスケットボールと同じですが、ダブルドリブルがなく、車椅子を3回手で漕ぐとトラベリングとみなされます。
障がいの程度に応じて選手1人ずつに1.0~4.5点の持ち点が付与され、1チームの合計点が14.0点以下になるように編成されます。スピード感ある攻防の中では接触プレーも多く、車椅子競技の人気競技の一つです。国内では、健常者も選手として出場できる試合があります。
私がこの競技を始めたキッカケ
蛭子 麻美選手
GRACE(東京都)
マネージャーとしてチームの一員に…
そして選手へ
中学高校でバスケ部に所属していました。専門学校を経てリハビリ専門職の理学療法士として働いて1年が過ぎたある日、強い痛みが突然現れ股関節疾患があることが発覚。いずれ社会人バスケを楽しもうと思っていた小さな夢が潰えました。そんな矢先、私の職業とバスケ経験を知る友人から車いすバスケ観戦に誘われ(正直あまり興味が無かったのですが)足を運んだところ、その迫力に圧倒され魅了されました。なんらかの形で関わりたいと思い、日本選手権ボランティア数回を経て縁あって男子チームのマネージャーになりました。すると別のチームの選手から声をかけて頂き、練習に参加させて頂いたところ、やはり物凄く楽しい!!風を切る感触、息が切れるほどのハードなスポーツがまた出来る。そうして練習参加しているうちに現在の所属チームのメンバーに声を掛けられ、当時健常者ながらチームの一員となりました。股関節の持病が悪化し、障害者認定が下りたことをきっかけにマネージャーを辞め、選手1本に絞り、今もそのチームでバスケを続けています。
佐々木 幸選手
GRACE(東京都)
またバスケと向き合いたい!やりたい!
私は先天性脛骨欠損症という病気で2歳の時に右膝下を切断しました。小学校でミニバスに所属していましたが、義足での走りではなかなか難しいと途中で辞めてしまいました。しかし、東日本大震災が発生した時、東北の方々は必死に前を向いている姿を見聞きし、自分も何かに挑戦したいと思っていたところ、バスケにまつわる人や車いすバスケのマンガに出会い、そして日本選手権を見に行った時に衝撃を受けました。同じ切断の人が猛スピードでコートを駆け抜け全力で戦っている姿に「車いすであんなに走れるんだ。バスケができるんだ。またバスケと向き合いたい!やりたい!」と、いてもたってもいられなくなり、レッツバスケに参加した時にチームの方と出会い今に至ります。
三宅 克己選手
アテネパラリンピック日本代表・日本車椅子バスケットボール連盟
「またスポーツができる!」
その喜びで毎日練習、そしてパラリンピックへ
車椅子バスケットボールに出会ったのは、入院中の勧誘がきっかけでした。何度も何度も勧誘してくださる方がいたので、その人柄に惹かれて見学に行ったところ、自分よりも筋骨隆々な方々が激しくぶつかり合う姿に、「こんなすごいスポーツがあったなんて!」ととても驚きました。
正直、車椅子バスケットボールはリハビリ程度のものだと思っていたんです。元々サッカーやラグビーをやっていたので、またスポーツができることがとても嬉しく、現役時代は本当に毎日練習に取り組み、パラリンピックにも出場しました。
現在では、日本車椅子バスケットボール連盟で体験会を担当し、車椅子バスケットボールの魅力を伝える仕事をしています。
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対象障がい
- 下肢障がい
- 四肢障がい
マイパラ内で検索出来るチームでは上記以外の障害でも参加できるチームもあります。
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