車いすカーリング
- パラリンピック競技
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より精確なショットが求められる“氷上のチェス”
1試合8エンド制。各エンドでハウスの中心に最も近いストーンを投げたチームが勝者となり、最も中心に近い敗者のストーンより内側にあるストーン数の合計が勝者の得点になる。ストーンを投げる際、低い姿勢でも投げやすいようにデリバリースティックを用いるのが特徴だ。さらに車いすが動かないように、仲間が後ろから支えることも認められている。1チーム4人で戦い、そのチームは男女混合で編成されなければならない。
私がこの競技を始めたキッカケ
松田 華奈選手
第20回ナブテスコ日本車いすカーリング選手権大会 1位
第1回アジアチャンピオンシップ 3位
「楽しい!またやりたい。」
と思わせる魅力が一番のきっかけ
車いすカーリングを始めて世界大会にも何度も出場してきました。始めたころは世界の舞台に出場できるようになるまで競技を続けているとは思っていませんでした。カーリングに出会うより前に私は、小学校のスキー授業でチェアスキーというパラスポーツをしていました。そのときに教わっていた方から「車いすカーリングをやってみない?」と声をかけられたことが競技に出会うきっかけでした。初めてカーリングを見たとき「最後にハウスの真ん中に自分のチームの色のストーンが残ればいいんだ。」と簡単に思っていましたが、実際に体験してみると思った通りのところにストーンがいかずハウスの中に止めることすらできませんでした。一度、ハウスの中に止められたときに「すごい。上手だね。」と褒められたことが嬉しく「楽しい!またやりたい。」と思えたことで気づいたときには夢中になっていました。車いすカーリングは年齢・性別関係なくデリバリースティック1つあれば誰でもすぐに始められる競技です。一人でも多くの人に車いすカーリングという競技を知ってもらい、実際にプレーすることで楽しさ・面白さを体感していただきたいです。
岩田 勉選手
第20回ナブテスコ日本車いすカーリング選手権大会 1位
第1回アジアチャンピオンシップ 3位
何もしないで家にいるよりは…から
パラリンピックを目指す選手へ…
私は33歳の時に仕事中の事故で車いす生活となりました。退院後は仕事が見つからず、一日中家にいるだけの生活が続いていました。私の母と坂田谷さん(現在のチームキャプテン)が知り合いなのですが、私が車いすになった事を伝えると、「カーリングとかバスケットとかやってるからやりたかったら声かけて」と言って下さいました。それからしばらく経ちましたが、それでも家にいる生活は変わらず、「何にもしないよりはマシか」というよくわからない感情が出てきたのでカーリングがしたいと坂田谷さんに連絡をしたのがきっかけになります。そこからあっという間に10年以上が経ったのですが、カーリングという競技自体が楽しいのはもちろん、カーリングをしていなければ出会わなかったであろういろんな方との繋がりが持てるのもとても楽しいと実感しています。今後、競技人口が増えることやたくさんの方が車いすカーリングに興味を持って頂ければ嬉しく思います。
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対象障がい
- 下肢障がい
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