【独占手記】柔道・瀬戸がレジェンドと対談! 子どもたちに見せたい教員としての姿勢

2022.06.08.WED 公開

私、瀬戸勇次郎が教職経験のあるパラリンピアンから教壇に立つための心構えを学ぶ、対談シリーズ。第2回は水泳で6度パラリンピックに出場し金メダル5個を含む21個のメダルを獲得した河合純一さんです。現在は日本パラリンピック委員会の委員長も務めている大先輩に質問をぶつけました。

見えなければ教えられないのか?

中学校の社会科教員として勤務経験のある河合さん。そもそもどんな志を持って教職に就いたのでしょうか。

「教師になりたいと思ったのは小学4年のときですね。当時の担任が日体大水泳部でキャプテンをしてから小学校の教員になったという先生でした。僕も水泳をやっていたし、クラスもとても良い雰囲気で楽しかったんですよね。そういう経験のなかで学校の先生って面白そうだなぁって。学校に行く楽しみといえば、友だちと遊ぶことと給食だったんですけど、その給食が先生だけ食べる量が多くてうらやましくなって。食べたいものは食べられるし、昼休みも子どもたちと遊んで給料もらえるなんていい仕事だなって思っていました(笑)」

河合さんは教師を目指して中学卒業後は筑波大学附属盲学校、そして早稲田大学教育学部に進学します。中学時代に失明した後も、教職への気持ちは変わらなかったそうです。

「授業で教えるうえで、『見えなきゃ教えられないのか』と考えてずっと答えを探していました。大学時代、教えるって何なのかということを勉強したなかで、教育って『教えて育てる』って書くわけですけど、育てていくときに『見えるかどうかはどこまで重要なんだろう』と自問自答しながら過ごしていました」

河合さんが言うように、教科書の内容をわかりやすく説明することや子どもたち自身が考えて気づいていくことを促すことは、視力がなければできないという理由は決してないと思います。周囲の人の協力、自分自身の身体や言葉などを駆使し、生徒に何かを伝える方法はたくさんあります。とくに今の時代はICT(情報通信技術)機器も広く活用されていて、視覚情報を補うこともできるようになってきました。「やってやれないことはない」という河合さんの言葉に、私のなかにある不安が和らいだように感じました。

アスリートだから伝えられることとは

勤務先の中学校では水泳部の顧問をしていた河合さんは、生徒を指導しながら自分自身も練習に励んでいたそうです。

「幸いなことに学校にプールがあったので、練習はやりたければ時間外はやり放題だったんですよね。6時に起き、出勤後は校門で挨拶運動をして、授業と部活が終われば19時です。そこから毎日21時か22時まで、軽く練習してから残りの仕事をやるか、仕事を片付けてから練習をするか。土日も部活で休みもほぼありません。至って真面目な教師でしたね(笑)」

教壇に立ちながらパラリンピックや国際大会に出場していた河合さんは、パラリンピックの様子や大会で訪れた国の様子を土産話的にユーモラスに生徒たちに話していたそうです。そんな先生の姿を、生徒たちはどのような気持ちで見ていたのでしょうか。河合さん自身は、「目標に向かって何かをするとはどういうことか」を誰よりも伝えられる教師だったと自負しているといいます。

教員時代の河合さん ※写真は本人提供

「僕には世界一とか金メダルを獲るっていう目標があったわけですが、言うのは簡単なことも実際にやり遂げるのは大変です。それがどのくらい大変かというのを生徒たちは一番近くで見ることができる。そんな生徒たちがパラリンピックの選手を見て、自分に照らし合わせて考えてみたり、何かを感じたりすることはあるんじゃないかなと思っています」

アスリートとしての一面を生徒たちに示していた河合さんですが、教壇に立つときはパラリンピアンであることを意識してはいなかったそうです。

「人としてちゃんとしているかどうか、ひとりの人間として子どもたちに恥ずかしくない生き方をするということだけでしたね」

この言葉を聞いて気づいたことがあります。私が教員を目指して学んでいる大学では『教員としてふさわしい言動を』だとか、強化合宿で『代表選手としてふさわしい振る舞いを』など、様々な場面で『〇〇として』という表現を聞きます。ですが、結局のところ、その『〇〇』に何が入ろうと変わらない。どれも『人として』どうあるべきか。人としてちゃんとした生き方をしていれば、教員としてもパラリンピアンとしても生徒に胸を張れる人間になれるのではないかと思います。

自国開催の東京パラリンピックで銅メダルを獲得した瀬戸 photo by Jun Tsukida

教育現場を離れた今も、小学生や中学生への講演をする機会があるという河合さんですが、心がけていることがあるといいます。

「メダリストとして紹介されるので、よくスゴイ人みたいに思われることがあります。でも、僕だってもちろん失敗やうまくいかなかったことがあって今があります。『誰もが最初からできたわけじゃないんだよ』と伝えることによって、子どもたちに自らやる気を出してもらえるようにしたいなと思っています。あくまで誰もが同じ人間なんだよってことと同時に、だけど、小さな差を生む何かが毎日、あるいは一瞬一瞬の積み上げのなかに起こっていて差が作られていく。だから、小さい差をバカにせずに頑張れるかどうかが大切だと伝えたいし、講演を聞いて『明日から頑張ろう』と思う人、『今からやろう』と思う人で、もう差が生まれる。そういった具体的な気づきを促すことを心がけています」

河合さんの話を聞いていると、日々の積み重ねの大切さを改めて認識させられます。人生において全ての物事は連続しています。そのとき経験したことや感じたこと、得られたことを振り返り、次に活かしたり伝えたりすること。その積み重ねができるかどうかがオンリーワンの存在として継続的に活躍できるかの差を生みます。そして、振り返るためには自分の経験したことについて思ったことを言葉にすることが大切なのだそうです。

「語るとか話すでもいいんだけど、文字化して残していけばそれをまた振り返ることができます。3年、4年経ってみて『4年前の自分はこうだったな』、『今回はこう思えるようになったな』とか、そういうのに気づいていければ積み上がっていく。スポーツにおけるキャリアとして、パラリンピックでメダルを獲るっていうのはひとつのゴールであっていい。でも、人生にとってのゴールはそこでないんだったら、どういうことなんだろうとか、そういうのを言語化することはしておいたほうがいいと思います」

幸いにも私たちアスリートは取材や講演の機会をいただくことがあり、考えを言語化する機会には比較的恵まれています。この対談記事も含め、このような機会を財産にしていくことができるかがとても重要だと感じました。

瀬戸は特別支援学校教諭を目指して競技と研究の両立に励む

自分自身を振り返りながら夢を追いかける

実は、河合さんには時々、競技や進路について相談する時間をいただいています。その度に、私の考えの抜け落ちている部分や不足している部分を的確に指摘して、私がより深く考えるための気づきやきっかけを与えてくれます。これは教師にとって必要な資質だと感じるとともに、常に自分自身を振り返り、思考を積み重ねてきた結果なのだろうと思います。そんな河合さんから、今回は教職を目指す私にアドバイスをいただきました。

「教師になりたいっていうこともすごく重要なんでしょうけど、教師になって何がしたいかの方が絶対に重要だと思います。パラリンピックの金メダルと同じで、獲った後が重要だっていうなら、(教師に)なった後が重要なんです。『なって何をしたいのか』っていうことがちゃんと自分で描けるかどうかが重要なので、そういうことを考えて(教壇に)立てるといいだろうなと思います。僕は小学生の頃、給食をたくさん食べれるようになりたい、子どもと遊びたいっていうのがやりたいことだった。それが大学の頃には子どもたちに夢を叶える方法を伝えたいなって思って教師になりたいと思うようになった。どっちも自分の偽らざる気持ちであって、描いてきた部分。そういう部分って変わっていっても構わないんだけど、自分が学校の先生って立場になって何をどうしていきたいのか、それは自分にどう返ってくるのか。そんなを未来を描けていると、瀬戸くんも、苦しいことや予想できないことが起きたときもブレずにやっていけるんじゃないかな」

私が最初に教師になりたいと思った頃のことはもう忘れてしまいましたが、今は教師になって目標に向かって努力することの大切さや楽しさ、スポーツをすることで得られるものの素晴らしさを伝えたいと思っています。きっとこれは過去の私の気持ちとは違いますし、今後も変わっていくかもしれません。だとしても、今の自分の気持ちを自分のなかで明確な言葉にして刻み、描き続けたいと思います。

教師として、パラリンピアンとして。そして、ひとりの人として。自分のなりたいもの、やりたいことに向かって今後も努力を続け、夢を追いかけていきたいです。

【筆者プロフィール】
瀬戸勇次郎(せと・ゆうじろう)先天性の目の病気(色覚異常の一種)により、弱視。柔道との出会いは、4歳のとき。修猷館高校時代、団体戦の全国大会である金鷲旗高校柔道大会にも出場。それがきっかけで高校3年で全国視覚障害者学生柔道大会に出場。翌年の2018年、全日本視覚障害者柔道大会(男子66kg級)でパラリンピック3大会金メダルの藤本聰を破り一躍脚光を浴びる。初出場となる東京大会で銅メダルを獲得。2022年3月、福岡教育大学教育学部を卒業。現在は、同大の研究生として、大学院への進学準備中。 ▶選手ページ

edited by Asuka Senaga
photo by Haruo Wanibe

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