全国大会もない、審判もいない、子どもたちの自主性を育むドイツのサッカー教育法
2022年のサッカーワールドカップカタール大会。日本代表は史上初のベスト8入りは逃したものの、優勝経験のある強豪国ドイツやスペインに勝ち、日本を大いに沸かせた。サッカーをしたいと思う子どもたちはますます増えたのではないだろうか。そんな子どもと親御さんや指導者に、ぜひご紹介したいのがドイツのジュニアサッカー。「控え選手も、全国大会もない」らしいが、それはいったいどういうことなのか? 日本からドイツに渡り、10年以上にわたって選手育成・指導を行っている中野吉之伴氏に、ドイツの子どもたちはどのようにサッカーを楽しんでいるのかについて伺った。
子どもたち全員に公式戦に出場できるチャンスがある
今の日本で子どもがサッカーをやりたいと思ったら、地域のクラブやスクールに通うか、学校にクラブがあれば入部することになるだろう。ただ、希望に燃えてクラブやスクールに入っても試合に出られず、いつの間にかサッカーをすることが楽しくなくなってしまう子どもたちは少なくないように思う。しかしドイツでは、高校生になるまで全国大会は行わず、誰でも1年中試合に出られるというのだ。
つまり、ドイツではサッカークラブに集まる200万人を超える子どもたち全員に、公式戦に出場できるチャンスがあるのです。
(中野吉之伴著『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』ナツメ社刊P29より)
この地域に根ざしたクラブの存在がドイツのサッカー事情に大きく影響を与えていると言える。
「ドイツでは、サッカーに限らずいろいろなスポーツのクラブがあって、地域のコミュニティを作る上で大事な存在になっています。学校はあくまでも勉強をする場所で、スポーツや音楽などの芸術は少しはやりますがあまり時間を取りません。部活動もありません。なので、そういったことに興味のある子どもたちは、それぞれクラブを探して入り、同じ目的を持つ子どもたちと繋がりながら成長し、コミュニティを形成していくという環境が整っています。日本と大きく違うのは、小学校、中学校、高校、大学などと進学にともなってキャリアがぶつ切りになるのではなく、子ども時代から大人になるまで、ずっとそのクラブに所属し続けようと思えば続けられる点です」
こう語るのは、ドイツ・フライブルクで20年以上選手の指導・育成に携わっている中野吉之伴氏。ドイツのスポーツ環境の充実ぶりに触れ、いろいろなことを学びたいと渡独。ドイツサッカー連盟公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)を取得し、元ブンデスリーガクラブのフライブルガーFCでU16やU18の監督を務めた経験もある。
「僕はずっと子どもの頃からサッカーをやっていたわけではなくて、小中時代は野球をやっていました。ただ、高校の野球部では、日本の部活動の旧態依然とした雰囲気に抵抗を感じて、ちょうどその頃Jリーグの始まる時期で興味を持ったのでサッカーを始めたんです。僕が通っていた高校のサッカー部にはそこまでの縦関係社会ではなかったというのもありました。とはいえ、公式戦にはなかなか出ることがなかったので不完全燃焼で終わってしまったのも事実です」(中野氏、以下同)
その後大学に入学して、近くの小学校のサッカー部のコーチの募集があり、サッカーを教えることになった。子どもたちを教えるのは楽しく、自分に合っていると思ったそうだ。
「日本のスポーツの現場は、どうしても勝った負けたとか、トーナメントでどれだけ勝ち続けたかとか、そういうことばかりで、自分が幼少期の頃と全く変わっていませんでした。そんな中で苦しんでいたり、面白くなさそうにしている子どもたちを見て、どうにかならないのかということは常に考えていました」
そして機会があってドイツに行った中野氏は、ドイツのサッカーに触れ、是非ここで学んでみたいと渡独を決意したのだ。
子どもたちに過度のプレッシャーを与える全国大会は行わない
まず、先述の「ドイツでは高校生年代まで全国大会を行わない」というのは、いったいどういうことなのだろうか。
(中野吉之伴著『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』ナツメ社刊P16より)
このような理由から、小・中学生年代においては全国大会がないばかりではなく、U13年代からは「負けたら終わり」のトーナメント戦もあるものの、あくまでも重要視されているのはリーグ戦。先に述べたように、どんな小さな村にある小規模なクラブでも2学年ごとに年代別のチームを持っていて、リーグ制を採っているため、負けても次がある。リーグ戦ではホーム&アウェーでシーズン2度対戦できる意味も大きい。負けた悔しい思いを切り替え、反省点を踏まえて次の試合、次回の対戦に向かうことができるのだという。
そしてDFBでは、子どもたちの成長段階に応じて適切な試合環境を作れるように、年代に応じたピッチの広さとプレー人数の基準が設けられている。たとえば小学校低学年では、ピッチサイズは35m×25mで、人数はGK(ゴールキーパー)を含めて5対5。最近では幼稚園児から小学校低学年まではピッチサイズ20m×25m、ミニゴール4つ、人数はGKなしで3対3のフニーニョと呼ばれる試合形式を積極的に推奨している。
ただこれはあくまでも基準で義務ではない。クラブは状況に応じてアレンジすれば良いのだが、重要なのは結果だけでメンバーを選ぶべきではないということ。どの子も試合に出たいのだから、ひとりでも多くの子に、少しでも多くの出場時間を与えることを念頭にチーム構成が考えられていることに注目したい。
「スポーツでも音楽でもなんでもそうなんですけれど、これをやりたいと思った気持ちって一番大事なことだと思います。サッカーをやりたいという子どもがクラブに入って試合に出るのは彼らの権利ですから、僕たち大人はそれを守ってあげなければいけないというのがドイツの考え方です。だから、人数が増えれば登録するチームを増やして対応します。でも日本では、人数が多いから出せないというところで止まっていて、なかなか解決されないままきてますよね。それが問題ではないかと思います」
クラブ運営を担うのはボランティア
中野氏の著書を読んだり、お話を聞いたりしていると、とにかくドイツのサッカークラブは、子どもの可能性を伸ばし、人として大きく成長するためにきめ細やかなサポートをしているように見える。そんなクラブの年会費は60~90ユーロほど(2022年現在、約8500~1万3000円)。驚くほど安い費用だが、こんな低額で運営できるのはスタッフや指導者がボランティアで携わっているからだ。
(中野吉之伴著『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』ナツメ社刊P198より)
どんな小さな村でもクラブを抱え、地域に根ざした活動を行っているのは、サッカーが生活の一部であることと無縁ではないのだろう。
「クラブでは、幼稚園児から仕事をリタイアされた方まで、さまざまな年代がサッカーを通じてコミュニケーションを取ることができます。僕の所属しているクラブには市長も足を運んでくれたり、行政のサポートもあったりして、地域にとって大事な場所だという共通認識があるんですね。たとえば、子どもたちが学校に行って、すぐに友だちを作り居場所ができればいいですが、そうならない子もいる。でも、学校で行き詰まったとしてもクラブに来たらこれだけ活躍できるとなれば、その方が生きていきやすいですよね」
ドイツのクラブはボランティアで運営されており、チーム数が多い割にグラウンドの広さは限られている。各チームがかわりばんこでグラウンドを使用し、スタッフたちも他に仕事を抱えているため、練習時間は週2回90分ずつと意外に少ない。
「僕がドイツに来て思ったのは、日本の子どもたちはあまりに忙しすぎるんじゃないかということです。毎日のようにサッカーの練習に行って、週末は遠征です。ほかにも塾だ、家庭教師だ、習い事だって言って、いったいいつ休んでいるのかと思います。友だちと遊ぶ時間、のんびりする時間、ゆっくり食事をとる時間というのは子供たちの成長にとってとても大切なんです。それがないと逆に、じっくりと時間をかけてサッカーに向き合うことはできません。人として成長することも難しいのではないでしょうか」
たとえ子どもでも、ひとりの人間としてリスペクト
中野氏の暮らすドイツ・フライブルク地方では、“U9年代の大会までは審判なし”という新しい取り組みが試されているそうだ。果たして審判なしで試合ができるのだろうか。中野氏も最初は疑う気持ちになったそうだが、試合を実際に見に行ってみると特に問題は起きてないそうだ。「子どものサッカーを大人が邪魔するのをやめよう」というDFBのスローガンにも表れているように、ドイツでは主導権は子どもたちにあり、入るクラブも、練習に行くか行かないかも子どもが決めるのだという。
「それは、たとえ相手が子どもでもひとりの人間として扱うということです。僕もつねにリスペクトして向き合おうと考えていますし、周囲にはそういう大人が多いですね。もちろん子どもですから、見当違いなことを言ったり間違ったりすることもあります。だからこそ、きちんと話を聞いてあげなければいけない。間違ったのなら、何が良くなかったんだろうね? と一緒に考えます。子どもの頃からそういう機会を持たないと、大人になってから問題が起きたときにどう対処したらいいか考える能力も身につかないですから」
チームを見ていると、プレーが上手くいって興奮する子がいる一方で、ミスをしてフラストレーションが溜まり下を向きがちな子がいたりする。指導者としては子どもたちの話を聞くこと、そしてよく見ることも大事だと中野氏は言う。
「練習に行って、監督・コーチからひと言も声をかけられないで帰るのと、ひと言ふた言でも声をかけられて、“今日のあれ、よかったよ”と言われるのでは、子どもの気持ちは全く変わりますよね? ちゃんと自分のことを見てくれているという安心感は子どもの成長にとって大事だと思います。僕ひとりで見られるのは、15人くらいになります。20~25人ぐらいでも対応はできますが、本当に質の高いトレーニングを提供できるかというと難しくなります。多くなる場合は信頼できるアシスタントコーチが複数必要になります。日本に帰ってクリニックなどを実施するときも、自分からはもちろんのこと、子どもたちからも話しかけやすい空気を作るように努めています」
ドイツサッカーの取り組みの中で、中野氏が特に共感しているのは、さまざまな人がサッカーを通じて結びつき、社会の全体の中で子どもたちが成長していく環境を作り上げようとしている点だと言う。そんな中野氏から見て、日本のジュニアサッカー界はこれからどのような方向性を目指すべきなのだろうか。
「子どもたちが、将来どのようになりたいかを見据えて、いろいろなことに取り組むというのはもちろん大事なことではあるのでしょうが、今この瞬間、仲間や友だちと一緒にいられる時間は、今しかないんです。子どもたちには子どもたちの時間と世界が必要です。そんな今子どもたちが生きている時間、やりたいことと普通に向き合えるような環境というのを大事にしてほしいですね。一生懸命サッカーに向き合うのと同じぐらい休んだり、遊んだりする時間は重要だし、それら全部が成長に繋がっていくので、子どもたちのキャパシティに応じたスケジュールで、優先順位をつけて取り組めるように、大人たちはサポートすることが重要だと思います」
中野氏の著書は、指導者としてはもちろん、ひとりの父親としての考えなども垣間見える。サッカーに限らず子育てや教育のさまざまな局面で参考になるような意見が多く、教育論としても読める1冊だった。ドイツの良いところをぜひ日本人も真似してほしいから、これからも発信を続けるという氏の活動に今後も注目していきたい。
中野吉之伴著『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)
「高校生になるまで全国大会を行わない」「チームの人数調整で控え選手をつくらない」「低学年の試合は審判なしで行う」――。これらはすべて、ドイツで実際に実施されているもの。子どもが心の底からサッカーを楽しむことが大事にされているからだ。子どもがサッカーをする本当の理由は「目の前の試合に勝つこと」でも「プロになるため」でもない。そんな信念をもとにした具体的な実践例とともに、ドイツのジュニアサッカー界の新常識を紹介する。
text by Reiko Sadaie(Parasapo Lab)
写真提供:Kichinosuke Nakano, shutterstock