「多様性を受け入れる」とは? 多様性時代を生きるために知っておきたいこと
「多様性を受け入れる」というフレーズや考え方が随所で聞かれるようになった。ただ、いまいちどういうことなのかわからない、または多様性は必ず受け入れないといけないのか、といった疑問をもつ人も多い。そこで今回は「多様性を受け入れる」とは、一体どういうことなのか? その言葉が意味するものや必要性などについて、東洋大学 ライフデザイン学部 生活支援学科 教授の南野奈津子氏にお話を伺った。
1.「多様性を受け入れる」とはどういう意味か?なぜ必要?
2.「多様性を受け入れる」とは、苦手な人も受け入れなければいけないということ?
3.ともに豊かに生きるために大切な「多様性を受け入れる」教育
「多様性を受け入れる」とはどういう意味か?なぜ必要?
――まず「多様性」と聞いたときに感じるイメージとして、一般的にジェンダーや国籍、障がいのある人、LGBTQなどのマイノリティを想像しがちですが、「多様性を受け入れる」とは本来どういう意味なのでしょうか?
南野奈津子(以下、南野) そもそもの認識として、私たちは常に“受け入れる側”の立場というわけではないんですね。マジョリティ(多数派)がマイノリティ(少数派)を受け入れる、ということではなく、自分も人と違うところがあるわけですから、誰もが他者から受け入れられる側でもあるわけです。そしてそういった状態が成立するのが共生社会であって、多様性を受け入れるということだと考えています。
――なるほど。また同様に「多様性を尊重する」というフレーズも昨今よく言われていますが、この多様性を受け入れる、尊重するといった考えはなぜ必要なのでしょうか? どんな意図から生まれたものなのでしょうか?南野 そもそも、人間の幸せの大前提が『自分らしく生きる』ということ。障がいのある人や高齢者といった属性の話以前に、社会の中でみんな“違い”があるのが当たり前ですよね。Well-being(ウェルビーイング)にも、自分が自分らしい欲求をちゃんと満たすことができる環境の中に生きる、という定義があります。
今もなお、男ならこう、女ならこうといった性別の先入観が根付いていますが、例えば女の子だけど野球がしたい、と考えたとき、自分のやりたいことを選択できる、自分の欲求、希望が社会制度の面でも認められている、というのが、今の現代社会で必要となってくる福祉の概念だと言われています。
実は自分はこうなんだ、というのを隠しながらビクビク生きるのは、幸せではありませんし、それによって友達が減ったり、就職ができない、といったことが無いように保障してくれるのが、多様性を尊重する社会だと思います。
まずは、多様性を尊重する、受け入れるということをみんなが意識することで、誰もが生まれてから死ぬまでをちゃんと人として幸福に自分らしく生きることができるのではないでしょうか。
「多様性を受け入れる」とは、苦手な人も受け入れなければいけないということ?
――「多様性を受け入れる」というと、苦手な人も全て受け入れなければいけないのか?といった疑問を抱く人もいるようですが……。
南野 多様性尊重や多文化共生は、いろいろな文脈で都合よくフレーズとして使われがちなので、誤解を招きやすく、モヤモヤする、という人も少なからずいます。
まず、一言で多様性といっても、性別や人種、障がいの有無など、一見してわかるような比較的表層的なものと、その人の考え方やコミュニケーションの仕方、ライフスタイルといったことなど、より深層に関するものがあります。例えば、属性によって選挙権を失う、希望の職業に就けない、ある地域に住めない、といった基本的な権利が失われているとしたら、それは社会としてなくす努力をすべきだと思います。その人の経済環境に大きな影響を及ぼす社会システムになってしまいますので、具体的なこれらは制度などによって対応する必要がありますよね。
――一方で、個人的に苦手な人を受け入れたくないという感覚は、例えば、人によっては外国人が苦手という属性面(表層の多様性)かもしれませんし、〇〇さんの話し方が苦手といった性格面(深層の多様性)かもしれません。その場合、どのように考えたら良いでしょうか?
南野 いずれにせよ、表面化してこない多くの問題というのは、日々のコミュニケーションや職場でのちょっとしたやりとりなど、日常の中にあります。例えば性的マイノリティ同士が職場結婚するといった場面も出てくると思います。そうしたときに、個々が少なくともそういった価値観、存在がいるということを“認識”して、それを理由とした“攻撃や排除”はしない。それが多様性の尊重だと思います。全てを肯定して支持する、同調する、自分の意見を譲るということではなく、そういう人たちが社会にいるということをまず認識する。その上で自分が受け入れる、受け入れない、という話は別として、そういった要素を持っているがゆえに、その人たちが社会的に権利が持てない、使えないというのはおかしいよねという感覚をもつことが必要ではないでしょうか。
――また、多様性を尊重するという文脈で「人それぞれ」といった言葉もよく使われますが、捉え方によってはちょっと冷たい感じもします。自然と相手を尊重できるようなスタンスとはどのようなものでしょうか?
南野 多様性の尊重というと、ともすれば無関心という形をとってしまうこともあります。人それぞれのやり方で生活しているんだから、マイノリティの人と進んで関わらなくてもいいじゃないかという声もあります。でもそれは多様性の尊重における本質ではありませんよね。
総務省では、地域における多文化共生について『国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的違いを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として共に生きていくこと』と定義しています。これは単純に同じ地域の中に住所があるというだけではなく、人と人の関わりをもち、一緒にいろいろな考え方を共有しながら、困ったことがあったら助け合おう、そうした考え方がベースになっています。
ですから、マイノリティな人が同じ地区に住むことに反対しないということだけでは、多様性を尊重することにはならないんですよね。無関心ではなく、前向きな関わり、というスタンスが必要になってくるのではないでしょうか。
ともに豊かに生きるために大切な「多様性を受け入れる」教育
南野 私は外国ルーツの子どもの研究もしているのですが、中には見た目が違う、肌の色が違うということで、いじめや子どもの生活全体の幸せが奪われるような状況になるような子どもたちもいます。『みんなと違う』ということが特に子どもの世代にとっては大きく影響するようです。
多様性を理解するという解釈は広いので、そのひとつの切り口として障がいに焦点を当てた研究を2020年に行ったのですが、文献研究をする中で、特に海外では『子どもが障がいのある人に対する態度は、何によって変わるのか?』という調査が多くありました。そこから分かったことは『当事者との接触を持つことが重要』だということ。子どもの頃に当事者に接する機会をもった子は、その後、障がいのある人と接しても肯定的な態度を取る傾向がみられたというデータがありました。
また、『障がい理解教育には何が有効か?』という研究では、当事者と接する以外に、障がいのある人に関してのレクチャーや教育、パラスポーツの経験というのがあり、どれが一番有効か、という答えは出ていませんが、組み合わせながら繰り返すことが有効ではないか、というのが現段階での回答になっています。
――具体的な教育や研究プロジェクトの例には、どのようなものがありますか?
南野 例として幼稚園や保育園向けのプログラムで、『おしり鬼ごっこ』という足を使わずにおしりだけで移動する遊びがあります。他にも座った状態でうちわで風船を叩き合うという、シッティングバレーボールを子ども用にアレンジしたプログラムもあります。
――障がいについて子どもたちへ教えるときに、どのように伝えるのが正解なのか悩んでしまうことがあります。どうしたら誤解を生まないように教えられるのでしょうか?南野 障がいがあることに誤った意味付けをしないことが大切です。つい大人が言ってしまうのが、『あの人は障がいがあるけど、あんなに頑張ってあそこまでできるようになって凄いね』というフレーズ。または『いろいろな場面で苦労することがあるだろうから、助けてあげないとダメなんだ』という、困難を克服して頑張っている人や助けてあげないといけない人という意味付けを大人はしてしまいがちです。
他の昔の研究では、子どもの頃に悪いことをすると『おへそがなくなっちゃうよ』とか、『足が折れちゃうよ』など、例としてそういったフレーズが出てきます。要は身体の不具合が起きるのはあなたの悪い行いと関連しているという、大人のちょっとした言い方が子どもに誤った学習をさせてしまう例があります。障がいというのはあなたが頑張った、頑張らなかったという、努力の有無で生じるものではありませんので、間違った価値の意味付けを教育の中でしないことが大事だなと思います。
――最後に、すでに一定の価値観や考え方が根付いている大人が、多様性への理解を深めるためにはどんなことが必要だと思いますか?
南野 やはりまずは『自分は過去に受けた教育にとらわれている』、そういう“自覚”が必要ではないでしょうか。自分たちがたくさん学び、吸収した時代と現在では、あらゆる価値観が大きく変わってきています。多様性について考えてみるときに、心の中に沸き上がってくる感情を俯瞰しつつ『今の時代でこの価値観は違うのかもしれない』と一言問いかけてみる。そういうことが大事なのかなと思います。
「多様性を受け入れる」。人によって捉え方は様々だが、今回いろいろな角度から教えてもらい、新たな気付きがたくさんあった。中でも一番目の覚めるような感覚にさせてくれたのが、自分が多様性を受け入れる側ではなく、他者に受け入れてもらう側でもあるということ。無意識に自分は受け入れる側だと一方的に思っていた人も多いはずだ。まずはその認識を改めるだけでも、多様性への理解がまた一歩深まっていくのではないだろうか。
text by Jun Nakazawa(Parasapo Lab)
photo by Shutterstock