“自転車を楽しむ人”と魅力的な“地域”の幸せなマッチング。旅型サイクリングイベントが大人気
通勤・通学の手段からプロの競技まで、自転車には幅広い顔がある。日常的に乗っている人も多く、最も身近な“身体を動かす行為”のひとつとも言えるだろう。そんな自転車を利用したサイクリングで地域の活性化に取り組むのが“ツール・ド・ニッポン”だ。それがなぜ地域の活性化に繋がるのか、主催しているルーツ・スポーツ・ジャパンの代表・中島祥元氏にお話を伺った。
サイクリングイベントが、地域の、その土地ならではのものを感じる機会に
“ツール・ド・ニッポン”と聞くと、フランスで毎年開催される世界最大規模の自転車競技“ツール・ド・フランス”を思い浮かべる人がいるかもしれないが、「本家」とは様子が異なる。ツール・ド・ニッポンは、日本全国いろいろな場所で、その地域の特色にあった形態を取って開催されているサイクル・ツーリズム・プロジェクト。個々のイベント毎に多少条件は異なるが、自転車に乗ることができる人であればほぼ参加可能。門戸が広いプロジェクトだ。
たとえば、石川県の加賀温泉郷では、“温泉ライダー in 加賀温泉郷”というイベントが2012年以来9回開催されている(2024年大会は能登半島地震の影響により開催中止)。これは5月下旬の2日間、温泉郷を舞台にヒルクライム(のぼり坂のみの競技)とエンデューロ(決められた周回コースを、時間内に何周できるかを競う競技)、キッズ向けのレースや自転車教室などが行われ、出場するサイクリストだけでなく、家族や友人などもこの地を訪れてイベントを盛り上げる。この場所ならではの楽しみは、もちろん温泉だ。参加者は、加賀温泉郷の特徴の異なる3つの温泉に2日間無料で入り放題の“温泉手形”がもらえる。そして、地元の人々の心のこもったおもてなし。加賀ならではの美味しいものが満喫できる。これが、地方の活性化にどうつながるのか。
「“ツール・ド・ニッポン”は、地域の、その土地ならではのものを感じる機会を、自転車レースやサイクリングイベントで作るということをコンセプトに行っています。イベントを開催することにより、普段そこに足を踏み入れない人が大勢やってくる。そのこと自体が地域に生きる皆さんの喜びになるのはもちろん、参加者もその地方のファンになり、“また来たい”と思ってリピーターになるという流れができるのです」(中島氏、以下同)
サイクリングのイベントを行うに際しては、加賀のイベントの場合はコース1周最長で4.1kmを封鎖しなければならない。コースにあたる場所の住民は不便を余儀なくされるため、事前に役所の担当者と共に運営メンバーは周辺の家を一軒一軒訪ね、説明をするのだそう。
「地元の方に“迷惑をおかけしますが……”と言うと、“むしろ、来てくれてありがとう。若い人たちが来てくれるのは本当に嬉しい”というようなことを言われるケースもあります。毎年楽しみにしてくれている方もいて、そういう地元の人のおもてなしがサイクリストたちを歓迎する。“幸せのマッチング”が起こり、地域の活性化につながっていくのだと思います」
「スポーツの力で地方を元気にしたい」という強い想いをカタチに
中島氏は、大学でスポーツマネジメントを学び、スポーツで得られる“心が前向きに動く瞬間”をもっと世の中にたくさん作るような仕事がしたいと、スポーツ関連ベンチャー企業で働いた後、現在の株式会社ルーツ・スポーツ・ジャパンを立ち上げた。同社は200を超える自治体とスポーツによる地域振興の取り組みを進めるほか、サイクリングアプリの開発なども行っている。
「会社を立ち上げるに当たって僕の中にあったのは、スポーツの素晴らしさを世の中にたくさん広げていきたいというのがひとつ。それを進める中で芽生えてきたのが、スポーツの力で地方を元気にしたいという思いです。僕は出身が富山県で、父親が地元の商工会議所で商店街を盛り上げようと働く姿を見てきました。だからなおさら、自分が心から価値があると信じるスポーツで地方の活性化ができたら素晴らしいなと考えたんです」
そうしてさまざまなスポーツイベントに関わる中で、中国で行われた国際的な自転車ロードレース事業のサポートの機会を得た。それが、“ツール・ド・ニッポン”を始めるきっかけとなる。
「中国のそのロードレースは、街中の道路をすべて自動車が入れないようにし、街全体を使って開催されます。参加者だけではなく、多くの人が応援にきてダイナミックな盛り上がりを見せていました。それは、現在の会社を立ち上げる前のスポーツベンチャーにいた頃のことなんですが、なんとかこれを日本でも開催できないかと、当時の仲間と一緒に考えたんです」
この時の経験がもとになり、ルーツ・スポーツ・ジャパンを立ち上げた後、自転車を使った地域活性化イベントを行いたいと全国に向けて発信し、賛同する自治体を募った。そして、それはちょうど東日本大震災と前後するタイミングだった。
「スポーツイベントが軒並み中止され、イベントの計画そのものが止まってしまいました。そんな中で、自分たちができることといったら、やはりスポーツを通して日本を元気にすることだったんです」
ルーツ・スポーツ・ジャパンの呼びかけに賛同した5つの自治体で2012年に“ツール・ド・ニッポン”のイベントが初めて開催されることになった。
通年で人が来訪する仕組みをアプリを使って開発
“ツール・ド・ニッポン”は当初は、当日1日限りのイベントとして始まったが、回を重ねるうちに地域や参加者の状況を鑑みながら徐々に形態は変化していった。
「その日限りのワンデイイベントでも、だんだん自然発生的にイベントの日以外の来訪者も増えていったんです。“すごく良いところだったから、今度は友達を連れてこよう”とか“次回のレースの練習のために行こう”など。その地域にしてみたら、365日のうちの1日だけではなく、ほかの364日にも来訪者がいる方が嬉しいに決まっています。そこで僕たちも、自然発生的な来訪ではなく、通年的に人が来る仕組みを作ろうと考えるようになりました」
その仕組みのひとつが、イベントが開催される当日だけに焦点を当てるのではなく、スマートフォンのアプリを使った“期間分散型”のイベント。たとえば、このアプリを使った“サイクルボール”という名の企画は、日本中に多くある自転車の1周コースを完走するたびに、“自転車の女神”から走破の証に“サイクルボール(輪球)”がもらえる。そこでこのアプリを利用し、キャンペーン期間終了までに全国10ステージ全てのサイクルボールを集めようというイベントを開催。達成者は“自転車の女神”から「願い」を1つだけかなえてもらうことができる(賞品を獲得できる)というわけだ。
「このアプリは、イベントの1日に限らず、3ヶ月や半年等の期間を設け、ユーザーは期間内であれば、自分の好きなときに好きなコースを訪れてサイクリングが楽しめるというものです。この“期間分散型”というスタイルの構想を練り始めたのは2017年頃で、完成したのが20年。コロナのパンデミックで人が大勢集まることはNGになり、まさにイベントが軒並み中止になった時期でした。ひとりで行って、ひとりで帰ってこられる。密にならずに地方を訪れ、サイクリングを楽しむことができるという仕組みで、決して意図したわけではないのですが、サイクリストにも受け入れる地域にも喜んでいただけました」
1日だけのイベントから、期日を問わず楽しめる期間分散型へ。状況や環境の変化を機敏に捉え、サイクリングをする人と地方との“幸せなマッチング”を作ってきた中島氏。今後はどのようなことを考えているのだろうか。
「現在実績としては33都道府県で何かしらの事業を展開させていただいています。まだやれていない地域に広げていくと同時に、既に行っているところでも、もっと回を重ねて施策を掘り下げていきたいですね。コロナで一旦止まったインバウンドも回復してきているので、海外から来るサイクリスト向けにも考えていきたいと思っています」
最近、筆者の自宅の近くに大規模な自転車販売店がオープンした。男女年齢を問わず訪れて、真剣に自転車を選んでいる様子を目にすると、確かに自転車は気軽に取り組めるからこそ、中島氏が言う“幸せなマッチング”が生まれやすい、十分な可能性、伸びしろのあるスポーツだと思える。自転車で走るのが心地よい季節の到来に合わせて、久しぶりに自転車で走ってみたくなった。
text by Reiko Sadaie(Parasapo Lab)
写真提供: ルーツ・スポーツ・ジャパン