パラリンピック研究の第一人者が語るオリパラのレガシーとは

パラリンピック研究の第一人者が語るオリパラのレガシーとは
2024.08.02.FRI 公開

パラリンピックの父であるルードヴィッヒ・グットマン博士は、前身大会の出場者が数十名だったころ、“いつかこの大会が障がい者のオリンピックになることを期待する”と挨拶していたという。「パラリンピックがこんなにも世界規模のイベントになるなんて、どれくらい想像していたのでしょうか」。そう話すのは、パラリンピックのレガシーなどを研究する第一人者、イアン・ブリテン(イギリス・コベントリー大学准教授)氏だ。

パラリンピックの開催地がパラスポーツを通してインクルーシブな社会の実現につなげていくためには何が必要か。話を聞いた。

イアン・ブリテン|コベントリー大学准教授
「パラリンピックの歴史に世界一詳しいオタク」として知られ、資料館や博物館、テレビ局から過去のパラリンピックについての問い合わせも多いとか。主な研究テーマは、障がいとパラリンピックスポーツの視点から見る社会学的歴史学的スポーツマネージメント。世界中のさまざまな人と話をする仕事は楽しい、と言い「2度目の人生も同じ道を歩むと思う」

パラはオリとセット

――パリ2024大会では、史上初めてオリンピックとパラリンピックで共通のロゴやマスコットが使用されていて、ふたつの大会の距離が縮まりつつあるように感じます。

イアン・ブリテン: 日本でもオリンピックとパラリンピックを「オリパラ」と呼びますよね。東京大会のときも、両大会の準備や運営を行う組織委員会は、「東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」という名称でした。2012年のロンドン大会から必ずペアで表現するようになったのです。

それまでの組織委員会も、両大会の準備を一緒に進めてきたことは間違いないですが、口に出すときは「オリンピック」としか言われてこなかった。そんな中で、障がいのある人たちのための擁護団体やそういった活動をしている人たちから「もうひとつ大会があるんですよ」「パラリンピックも忘れないで」という声が高まりました。そんな経緯があって組織委員会の中の人たちも、必ずパラリンピックをセットにして「オリンピック・パラリンピック」と呼ぶようになりました。

とはいえ、「オリパラ」と言いながら、オリンピックについてしか言及されていないことも多いのが実情です。曇りガラスの向こうにパラリンピックが置かれていると感じることも多いですね。

オリンピックだけではなく、“パラリンピックもある”ということがもっと社会に浸透し、ただ「オリパラ」と言うだけでなくて、もっと多くの人が実際にパラリンピックについて語るようになっていけばいいなと思っています。

オリンピックとパラリンピックは、2008年の大会から同一都市で開催することが招致における条件になっている(写真は、日本で2020年以降のレガシー創出のためにつくられたゴールドポストとイアン・ブリテン氏)

自国開催から3年が経った日本の現状

――東京では東京2020大会の招致が決まった後、バリアフリー化が推進され、駅にエレベーターが設置されるなどアクセシビリティが充実しました。東京2020大会から約3年が経ち、実際に駅を利用されていかがでしたか(ブリテン氏は2024年4月に調査のため来日)。

イアン・ブリテン: サイネージのわかりにくさなど課題はまだまだ残っていますが、開催都市だった東京はエレベーターも増えて少し変わってきたかなと思います。

ただ、東京だけが変わればいいというわけではありません。東京2020大会以降、東京以外の地方でアクセシビリティが普及しているのか。そして、東京以外の都市にもアクセシビリティの概念が広がっているのか。いま地方都市を回って、公共交通機関などにおけるバリアフリーの導入事例を調査しているところです。

――“心のバリアフリー”も提唱されましたが……。日本に足りないと感じるのはどんなところでしょうか。

イアン・ブリテン: いちばん感じるのは、健常者に対する啓蒙活動、意識の変革が十分にできていないということです。

日本では、あまり大きくないエレベーターの前で、多くの人が列をなしていることがあるわけですが、いざ車いすユーザーが来たときに、譲ったりするわけでもない。本来は車いすユーザーなど他の手段ではアクセスが難しい人のためにあるエレベーターなのに……。こんなことがよくあるのは、車いすユーザーがなぜエレベーターを必要としているのか、健常者に伝わっていないからではないでしょうか。

駅のプラットフォームに安全ドアが設置されていますけど、なぜドアが必要なのか、なぜバリアフリー化する必要があるのか、みんな理解しているのかなと疑問に思うんです。酔っ払った人が転落しないように設置されているだけではないですよね。

もともとバリアフリー目的で作ったものが、本来の目的で活用しきれていないのではないかなと感じました。

ロンドン大会から学ぶこと

――過去の大会、とくにパラリンピックの成功事例といわれているロンドン大会についてはいかがでしょう。

イアン・ブリテン: イギリスでも同じようなものです。バリアフリーにしても何にしても、整備されるための資金は全国ではなく開催都市につぎ込まれるもの。仕方ない部分もありますが……。2年後に愛知・名古屋アジア・アジアパラ競技大会を控えている日本は、名古屋だけではなく、日本全体で変わるべきです。

話をロンドン大会に戻します。ロンドンの人と言うのは、僕からしたら、あまり感情をあらわにせず、いつも忙しそうにしていて歩くペースも速い。でも、2012年のロンドンパラリンピック開催中は、市内の道行く人に笑顔があふれていましたし、地下鉄で乗り合わせた人と大会について話に花を咲かせていた。大会が終わったらまた戻ってしまったんですけど、あの特別な雰囲気はすごく印象に残っています。

観戦チケットがほぼ完売した2012年のロンドン大会。閉会式で当時のIPC会長フィリップ・クレイヴァン氏が「史上最高のパラリンピック」とスピーチするほどの盛り上がりを見せた

――過去から得た教訓はどんなものでしょうか。

イアン・ブリテン: ロンドン大会の直後は、いわゆるハネムーン期のように全てがバラ色に見え、「これで全ての障がい者に関わる問題は解決するだろう」「世の中の全部が変わるだろう」という雰囲気が漂っていたと思います。

ですが、世界的な景気の低迷、イギリス政府の保守的な施策のせいもあり、エリートレベルのパラアスリートではない、一般の障がい者の生活は厳しくなっているのが現状です。

パラリンピックを開催した国には、パラリンピックのレガシーとして、大会が閉幕した後も政治的な意思を持ち続けていただいて、さまざまな施策を継続してもらいたいものですね。

text by Asuka Senaga
photo by X-1

『パラリンピック研究の第一人者が語るオリパラのレガシーとは』