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瀬立モニカ(カヌー)・女子アスリートPHOTO GALLERY BEST SHOOT
HOSONO SHINJI
LADY GO!
女子アスリートPHOTO GALLERY
BEST SHOOT
VOL.1 瀬立モニカ(カヌー)
パラスポーツの“今”をお届けするスペシャルムック『パラリンピックジャンプ』(「週刊ヤングジャンプ」と「Sportiva」が共同編集/協力:パラサポ)のVOL.2発刊記念スペシャルコンテンツを、パラサポWEBマガジンで配信します。
小麦色に日焼けした肌、笑うと覗く白い歯が素敵なモニカに
魅せられて撮影オファーをした。
撮影当日、雨の予報が一転、晴天となり気温もぐんぐん上昇する。
現れたモニカは、想像を超え、鍛えられたアスリートの身体。
それは一歩一歩踏みしめて苦しさを乗り越えてきた自信が漲っていた。
モニカは何度となく繰り返される撮影テイクを嫌な素振りも
見せずに楽しんでくれた。
毎日毎日、ハイであり続けることは無理である。
人生、今日のように晴れの日ばかりではない。
曇りや雨、時として台風だってある。
モニカ、元気がない日があっていいんだよ。
これから先、ライバルたちがモニカを磨き高めてくれる。
相手に敬意を払いお互いの立場を尊重し合いながら高い目標を
掴みとってほしい。
モニカには豊かな現実がいつも目の前にある。
必ず、勝てる―――。
細野晋司
細野晋司 SHINJI HOSONO
1963年生まれ、岐阜県揖斐川町出身。
http://www.hosonoshinji.com
カヌー
2016年リオパラリンピックから正式競技として採用された。脊椎損傷、切断など主に下肢に障がいのある選手が参加。男女別に200mの直線コースで順位を競うスプリント競技が行われる。東京2020大会は障がいの程度や運動機能でクラス分けがあり、カヤック3種目とアウトリガーカヌーのヴァー2種目が実施される(カヤック男女各3種目、アウトリガーカヌーのヴァー男子2種目・女子1種目)。東京2020パラリンピック会場 →海の森水上競技場
瀬立モニカインタビュー
「私の母がクリスチャンでモニカという名前になりました。吉川晃司ファンじゃないみたいですよ(笑)。そのモニカの由来は聖アウグスティヌスの母親の名前でキリスト教の聖人ですね。夫の暴力や悪党の息子に悩まされて、回心のために毎日祈っていて、やがて夫も息子も悔い改めたんです。そんなキリスト教徒女性の模範みたいな人になって欲しいと付けられたんですよ…取材で初めて会う人に『金髪じゃないんだね』って言われたこともあります」
瀬立モニカは1997年11月、東京2020パラリンピックのカヌー競技が行われる江東区で生まれた。
「健常の時から江東区でカヌーをやっています。中学校カヌー部。2013年に東京国体があって、出場を夢見ていたけど、国体2か月前にまさかのケガ…」
体育の授業で起こった事故。モニカは倒立前転に失敗して首から落ちてしまい外傷性脳挫傷と胸椎圧迫骨折の重傷を負ってしまう。
「ちょっと調子に乗ってたんだと思います。今でも何で潰れたのかわかんないですけど、前日までカヌーの新人戦で山梨に遠征してたし疲れもあって集中力がかけていたのかもしれません。一瞬息が止まったっていうか。息ができなくて、その時にああ、人間ってこうやって死んでいくんだって冷静に思ったのを覚えてます。今でも戻れるなら、倒立をやる前に戻りたい。『先生、できません。補助付けて下さい』って言いたいです。今でも歩いたり走ったりする夢を結構見ます。ちょっとランクが高くなると自転車に乗ってる夢とか。起きた時に『夢か…』みたいな」
長い入院生活を経て学校に戻ったモニカ。慣れない車いすでは通学するだけでも大変なほど、街にはバリアが溢れていたし、見えないバリアもモニカの心を傷つけていった。
「遅刻しても言われない。同じことやっても自分だけは怒られない。掃除もやらなくていい…。特別な配慮を苦しく感じました。周りの優しさが逆に痛かったですね。今まではどちらかというと怒られる側の人間だったので、一気に変わったのがショックでしたね。華やかだった景色が突然、グレーになったみたいな感じでした」
看護師だった母親に当たり散らしたりと、モニカの心は荒んで行った。そんなモニカを救ったのも、やっぱりカヌーだった。カヌー競技の開催地となった江東区で、地元からパラリンピック選手を発掘・育成するプロジェクトが立ち上がったのだ。中学までカヌーをやっていたモニカに、カヌー協会から勧誘の連絡が入ったのは必然だった。
「パラリンピックが2020年に東京に決まったっていうのを病院のベッドの上で見てました。その時は自分には関係ないと思ってたら江東区でちょうどカヌー競技が開催されることも知りました。時を同じくして江東区のカヌー協会の人から連絡が来たんです。でもメールを無視してたんですけど、またメールが来たから『私の状態を見てもらえたら協会の人も分かるだろう』っていう気持ちで来たら乗れちゃったんですよ。わざとバランスを崩して転覆してやろうかなと思っていたんです。でも相手の方が一枚上手で、絶対に転覆しない幅広のカヌーが用意されてました(笑)」
久しぶりの水上にモニカの心は踊った。
「水上に出た時に、溜め込んでいた鬱憤を全部忘れることができたんです。身体を動かすことが、すごく嬉しくて『私の居場所に戻ってきたんだ』って思いました。あとはみんなからも『モニカ、おかえり』って言われたんでそれはすごい嬉しかったですね。水上はバリアフリーなんですよ。その時、東京パラじゃなく2016年のリオも間に合うかもって言われて…その気にさせられてしまいました(笑)」
グレーの景色が色づき始め、モニカは本格的にカヌーに復帰した。荒んでいた心もモニカという名前のように清らかになり、学校に行くことも苦にならなくなった。一目を気にして避けていた電車も、練習に行くためなら厭わなくなった。何度も転覆しても諦めずに水上で戦った。モニカは2016年5月の世界選手権で10位に入り、最後のイスを掴み同年のリオパラリンピック出場を決めた。
「リオでボロボロに負けました。ダントツで離されてゴールして、それがすごく悔しくて。それまでも直前の目標に対して頑張ってたけど、今までやってきたことはお遊びだったんだなっていう風に感じました。競技のレベルも身体づくりのレベルも全然ダメ…負けたけど競技に対する意識が変わりました」
今、モニカは筑波大学体育専門学群に在籍する。身体や筋肉、トレーニング、コーチング…パラの場合だったらどうする? カヌーだったらどうする…と、練習メニューを自分でも考えたり、日々の学びをコーチとも共有したり、有効に使っている。もちろん練習量はリオ前の3倍から4倍に増えている。
「2020年東京パラリンピックでは、もちろん金メダルを獲りにいきます。そのためのプランっていうのはしっかり出来ています。というのもリオではトップと12秒も差があったのに、2018年に行われた世界選手権では絶望的だったタイム差は3秒に縮まったんです。今、3秒の中で8人が世界のトップを競っています。でもベテラン選手が多いのも事実。伸びシロは年齢が一番若い私が一番だと思っています。歩けるようになる夢は少し置いといて、地元・江東区で金メダルを獲る夢を叶えたいと思います。みなさんの期待に応えられるよう、頑張ります!」
<瀬立モニカ:SERYU MONIKA>
1997年11月17日生まれ、東京都出身。
[所属]江東区カヌー協会/筑波大学
[クラス]WKL1
パラカヌー競技を始め、わずか2年足らずで2016年のリオパラリンピックに日本選手ただ一人出場、8位入賞を飾る活躍。東京2020パラリンピックでは金メダル獲得も夢じゃない。
photo by SHINJI HOSONO
※本記事は『パラリンピックジャンプ』編集部協力のもと掲載しています。