【Road to 2026】パラノルディックスキーのリーダーたちが目指す場所

2025.01.17.FRI 公開

パラノルディックスキーのアジアカップ札幌大会が1月8日と9日、北海道の札幌市白旗山競技場で行われ、クロスカントリースキーのレースに5ヵ国から約30選手が出場した。

エースの川除はスプリント・クラシカルで中国選手に次ぐ2位だった

男女カテゴリー別で争った5kmフリーでは、2シーズン連続でワールドカップ(W杯)総合優勝を果たしている日本のエース川除大輝(男子/立位)、北京2022冬季パラリンピックに座位で唯一出場した森宏明(男子/座位)、有安諒平(男子/視覚障がい)がそれぞれ優勝するなど日本勢が存在感を示した。

国際大会初優勝の有安諒平(左から2人目)と藤田佑平ガイド(同3人目)

ミラノ・コルティナでメダルを獲得するために

大会で話題になったのは、中国の無名選手(女子/座位)。初日にオールコンバインド(*)で行われたスプリント・クラシカルで圧巻の滑りを見せ、優勝をかっさらったのだ。

*オールコンバインド:立位、座位、視覚障がいに加え、男女も一緒に競う

今シーズンは、W杯に参加していなかった中国選手が3シーズンぶりに姿を現し、上位を席巻している。約1年後に迫るミラノ・コルティナ冬季パラリンピックでも、中国旋風が吹き荒れるのは間違いない。

「中国の強さに驚いている」と話すのは、アジアカップ札幌大会でスプリント・クラシカル、5kmフリーともに4位の新田佳浩だ。

1998年の長野から2022年の北京まで7大会連続でパラリンピックに出場を果たし、金3個を含む5個のメダルを獲得しているレジェンドは、「SNSで情報を集めると、中国は海外を拠点にして1年を通して(雪上で)練習している様子。ペースの速い選手について走る練習をしている中国勢についていくためには日本のやり方やシステムを見直さないといけない」と力を込めて語った。

育成にも携わり、日本チームの中心にいる44歳の新田

それでも、クラシカル走法や登り下りの技術では負けない自負がある。メダルなしに終わった北京パラリンピック以降、身体の連動性を高めるトレーニングに取り組み、勝負どころで耐えられる身体を作ってきた。さらに、ラストスパートなどでギアを上げられるよう強化しているところだ。

今回のクラシカルも、「カギを握る」と話す平地を、片腕ながらダブルポールで滑り切り、まずまずの手ごたえを得たようだ。

クラシカルを得意とする新田はミラノ・コルティナでは、10kmクラシカルで表彰台に上がるイメージをしているという

「ミラノ・コルティナでは、“これなら負けない”という種目を作り、一点突破でメダルを目指したい」と意気込みを語り、「(今は)時間が限られている中、やるべきことを明確にしていくターニングポイントだと思う」とメダル獲得のためにチャレンジする覚悟をのぞかせた。

「日本と世界との差が少しずつ離され始めている」と危機感を口にする新田

パラリンピック初出場を目指す

「ようやく形になってきました」

そう明るい表情で話すのは、新田と同じ1980年生まれの源貴晴(男子/座位)だ。歩んできた道は、9歳で競技を始めたレジェンドの新田とは異なり、40歳になってこの競技を始めた。前回、北京パラリンピックの出場権はあと一歩で逃しており、ミラノ・コルティナでパラリンピック初出場を目指している。

1980年生まれの源は、男子座位で2位

源は同じクラスでスプリントが得意な森に次ぐ位置にいるが、1月上旬の全日本では森に勝るタイムを連発し、3kmで優勝した。

「オフシーズンのトレーニングの成果が、今ここにきて滑りに反映されているのかな。下り坂のカーブなど苦手意識も克服しました」

苦手だった下り坂もスムーズに滑れるようになったという

もともとスポーツ少年でフィジカルは強い。高校は名門サッカー部出身。車いす生活になってからは車椅子ソフトボールで活躍した。その後、体験会で見たクロスカントリースキーを始め、昨シーズンからはバイアスロンでも国際大会に出場している。

北京パラリンピックに座位で唯一出場している森と切磋琢磨

成長の理由のひとつが、シットスキーを乗りこなせるようになったことだ。現在3台目のスキーは、旭川市で福祉機器を製造するCOM泉屋の泉谷昌洋さんに依頼し、試行錯誤しながら軽量化を実現したものだ。

「(試作品を調整してもらいながら)ああでもない、こうでもないを繰り返し、5秒、10秒と……速く滑れたらいいなという思いで改良しました。新しいスキーに合わせて座る位置を少し前に変えてみたりして、まだ何が正解はわかりませんが、僕もパラリンピックに出場したいのでいろいろやってみています」

強度の強いアルミ合金の細部を削いで軽量化を図ったシットスキー

ミラノ・コルティナ大会の出場が叶えば45歳での出場になる。日本チームのシットスキーヤー最年長で、バイアスロンではただ1人のシットスキーヤーである源は、「(今は選手出身のコーチがいないが)僕が成長してうまくなれば……いつかコーチのような立ち位置になれたらすごく嬉しいかなと思う」と先々を見据えた。

2026年3月のミラノ・コルティナ大会では、キャリアが異なる44歳の2人がチームを支える柱になる。

text by Asuka Senaga
photo by Takamitsu Mifune

『【Road to 2026】パラノルディックスキーのリーダーたちが目指す場所』