10年の継続が生んだ車いすラグビーの金メダル。SHIBUYA CUPが果たした役割とは?
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2024年9月。渋谷センター街を、パリ2024パラリンピックで金メダルを獲得した車いすラグビーの選手・スタッフらがパレードした。多くの人に祝福される選手たちの笑顔を見て、元渋谷区スポーツ部長の田中豊さん(現渋谷区スポーツ協会副理事長)は、初めてメダルを獲得した2016年のリオパラリンピックの衝撃、そして無観客だった2021年の東京パラリンピックの苦闘を思い出していた。
「銅メダルだったリオの後、『金メダルを獲ったら渋谷でパレードを!』という話題が出るようになりました。夢が現実になった。金メダルを持ち帰った選手に久しぶりに会ったら、涙が出てきちゃいました」
SHIBUYA CUPが盛り上がる理由
「ちがいをちからに変える街。」をうたう渋谷区は、東京2020大会以降もパラスポーツをバックアップしてきた。
とりわけ車いすラグビーはこの地域に根付いている。2022年に新設された国際大会「SHIBUYA CUP」は、2024年も11月に3日間の日程で開催。4年後、ロサンゼルスで開催されるパラリンピックに向けてスタートを切った日本代表を鼓舞するかのように、学校観戦の子どもたちが大会を盛り上げた。
大会運営の責任者・馬場紗希子委員長は、実感を込めて語る。
「観客を集めるのはすごく大変だと思うのですが、今大会も学校の子どもたちが観客席をにぎわせてくれました。渋谷区の学校には選手を呼んでいただき、全学校を回っていて、いまも継続中です。その成果なのか、大会では選手の名前を呼んで応援してくれたり、応援グッズを作ってきてくれたり、車いすラグビーを知ってくれている児童・生徒の声援がうれしいですね」
東京パラリンピックの車いすラグビーは、国立代々木競技場第一体育館で行われた。区内で国際大会を実施できる会場は、他に東京体育館と国立代々木競技場第二体育館がある。SHIBUYA CUPは国立代々木競技場第二体育館で開催され、会場使用料を渋谷区が負担している。
渋谷区のパラスポーツ推進係の小倉のぞみ係長は「東京大会のレガシーとして、渋谷区で行われる国際大会を支援している。車いすラグビーは、2017年から渋谷区長杯を開催するなど東京大会以前から関わっている経緯もある。区民や子どもたちに競技や選手のすごさを伝えられたら」と説明する。
2022年に初開催され、今回は2回目。2025年に3回目の開催が決まっている。もともと「毎年国際大会を開催したい」という日本車いすラグビー連盟の意向があり、主催者として会場を確保。渋谷区と東京都が共催した。国際大会は他に、日本パラスポーツ協会共催のジャパンパラ競技大会があるため、SHIBUYA CUPは若手強化を目的とした国際大会と位置づけられた。
同パラスポーツ推進係の小方心緒吏主任は「担当になり、金メダルに向けて努力する選手たちを間近に見させていただいた。若手の登竜門的な大会ということで、今後、SHIBUYA CUPに出場した選手がパラリンピックなど主要大会に出ていくような土台の大会になれば」と笑顔で語る。
渋谷から世界へ
パリパラリンピック日本代表の草場龍治は、渋谷から世界に羽ばたいた若手の代表格。2022年、21歳のときにSHIBUYA CUPで国際大会初出場を果たし、金メダルマッチではスターティングメンバーに選ばれるまでに急成長した。
パリでエースの名をものにした橋本勝也も、2022年のSHIBUYA CUPで初めてキャプテンを経験した。
「当時は自分のことで精一杯だったが、(キャプテンになったことで)チームを客観的に見て、どうまとめたらチームがいい方向に行くかをしっかりと考える時間になったし、それがパリパラリンピックの結果につながったと思っています」
日本代表を金メダルに導いた岸光太郎ヘッドコーチにとっては、選手引退後、初めてベンチに入ったのがSHIBUYA CUPだった。アシスタントコーチだった当時は、ヘッドコーチとしてパラリンピックに臨む想定はなかったものの、代表コーチとしての実績を得たことがヘッドコーチに抜擢されるうえで大きかったと聞く。
2024年大会は日本代表ヘッドコーチとして参戦。「ヘッドコーチとして足りない部分があると思っているので、そういうところを選手からも勉強させてもらっているし、選手とともに戦っている」と国際大会の意義を語った。
国内で国際クラス分けを受けることができる機会としても有用だ。2024年大会は来日したオーストラリア選手も合わせて実に13人が受検。日本にとっては、海外遠征時に受検するとなると旅費がかさみ、人数が制限されるため、若手を含む多数の選手が国内でクラス分けを受けられるメリットは大きい。クラス分けは、今後のチームの戦略にも直結するため、ロサンゼルスやブリスベンで開催される今後のパラリンピックでは、今回国際デビューを果たした若手が活躍するかもしれない。
「SHIBUYA CUPのロゴには羽が生えているんですが、『渋谷から世界へ羽ばたく』は、選手はもちろん、スタッフも共通のテーマ。初めてチームに帯同するトレーナーもいますし、世界の舞台で活躍したいと考えている審判にも積極的に関わってもらうようにしています」と日本車いすラグビー連盟の三阪梢事務局長。
三阪事務局長は続ける。
「SHIBUYA CUPは、創設前からの目論見の通り、日本が強くなるために重要な大会になりました。そんな大会を支えてくれるのがボランティアさんです。車いすラグビーで激しいプレーをすると床にタイヤの跡が残るため床掃除をするボランティアなどを募りますが、募集人数以上の人が申し込んでくださいます。渋谷で出会ったボランティアさんが他の大会にも来てくれるなど広がりを見せているんです」
選手、スタッフを育てたSHIBUYA CUPは、パリの金メダルを語る上で欠かせない大会になった。
開催の裏にあったのは、渋谷区との深い結びつき。冒頭でコメントした田中さんは、渋谷区オリンピック・パラリンピック推進課長だった2015年に車いすラグビーと出会い、当時、練習場所に困っていた日本代表が渋谷区スポーツセンターを使用できるように奔走。10年にわたって選手たちを応援してきた。「一過性ではなく、長く」。過ぎ去った東京大会の後も、応援してくれる存在は大きい。車いすラグビーの金メダルがそれを教えてくれた。
text by Asuka Senaga
photo by X-1