元プロ野球選手・小笠原道大が創設した障害者野球チーム・千葉ドリームスターの軌跡「次に進む助走の場になれば」

2025.04.25.FRI 公開

WBC制覇で日本中が沸いた2023年、「もうひとつのWBC」と呼ばれる野球の世界大会が行われていたことはあまり知られていない。2023年9月に行われた「第5回世界身体障害者野球大会」だ。この大会で日本は優勝し、障害者野球の世界一に輝いた。多くのファンがいる一般の硬式野球だけでなく、障害者野球も日本では確かに息づいている。

そんな障害者野球に想いを持って取り組んでいるのが、「ガッツ」の愛称で親しまれ、通算2120安打を放った元プロ野球選手の小笠原道大氏。15年ほど前、自身の地元・千葉に障害者野球チーム「千葉ドリームスター」を創設し、現在はGMを務めている。小笠原氏が障害者野球チームをつくったのはなぜなのか。選手たちはどんな想いで活動しているのか。千葉ドリームスターのチーム誕生からこれまでの軌跡を取材した。

わずか6名のスタートから日本代表選手を輩出するまでに

千葉ドリームスターの選手たち。まずは全員でウォーミングアップ

取材した日は晴天ではあったものの、肌を刺すような冷たい風が吹いていた。にもかかわらず、千葉ドリームスターの練習には20人以上の選手が集まって汗を流していた。同チームの前身、市川ドリームスターが誕生した2009年、小笠原氏は現役のプロ野球選手、読売ジャイアンツの不動の3番として活躍していた。そんな小笠原氏が、なぜ障がいのある人のための野球チームを作ることになったのか。それは、あるテレビ番組の企画で、兵庫県の障害者野球チーム「神戸コスモス」に出会ったことがきっかけだったという。

千葉ドリームスターのGMを務める、北海道日本ハムファイターズや読売ジャイアンツなどで活躍した小笠原道大氏

「練習を見学したんですが、選手たちの表情がすごかった。みんな前向きに、楽しく、夢中で野球をやっていたんです。それまでそういったチームがあることすら知らなかったので、その姿は衝撃的でした」(小笠原道大氏)

左手に障がいのある選手は、グローブをはめた右手でボールをキャッチすると、すぐさまグローブをはずし、そのまま右手で送球していた

障がいのある人たちの野球に興味を持った小笠原氏は、地元千葉県に同じようなチームがないかを調べてみたが、見つからなかった。それならば自分たちでチームを作ろうと、個人マネージャーと共にチーム設立に向けて動き出した。そのマネージャーというのが、現在チームの代表を務める笹川秀一氏だ。

千葉ドリームスターの代表を務める笹川秀一氏

「最初にいろんな障害者野球のチームの方から話を聞きましたが、人集めとグラウンドの確保が大変で、チームが形になるには5年かかると言われました。実際、チラシを作って配ってみても、全く問い合わせがないといった状況が続いて人集めには苦労しました」(笹川氏)

その後、メディアに紹介されるなどしたものの、最初の練習に集まったのは6~7人。その状態が2~3年続き、既定の12人が集まり連盟登録できたのは2014年のことだった。まさに5年の歳月を要したのだ。しかし、そこからチームは大きくなって現在所属する選手は30人近くなり、2023年の「第5回世界身体障害者野球大会」の日本代表選手を輩出、2024年の「第30回ゼット杯争奪 関東甲信越身体障害者野球大会」では2年ぶり3度目の優勝を果たした。

チームが次に進むための助走の場に

この日練習に集まった選手の皆さんと、小笠原氏(中央)

しかし、どうしてそこまで苦労して障害者野球のチームを作ろうとしたのだろうか。

「誰でもしんどい時があって、そこから前向きになるって大変じゃないですか。チームの中には後天的に障がいを持つことになった方が多いんですが、彼らが前向きになるには、こう言っては語弊があるかもしれませんが、もっとエネルギーが必要だと思うんです。ですから、いきなり以前と同じような気持ちに戻るのは無理でも、前に向かって徐々にペースを上げていく助走から始めればいい。野球がそういった助走の場、前に向かっていくためのきっかけ、力になってくれたらいいなという思いがあるからですかね」(小笠原氏)

とはいえ、小笠原氏は現役引退後も中日ドラゴンズの二軍監督、北海道日本ハムファイターズや読売ジャイアンツのコーチを歴任し、ユニフォームを脱いだのは2023年の10月のこと。その間、千葉ドリームスターの練習にはほとんど参加できなかったという。

「障がいのある人が野球をやりたいと思っても、やれる場所が圧倒的に少ないというのが現実です。ですから私が直接指導したりできなくても、笹川代表がゼロからここまでチームを作り上げてくれたり、私が現役時代にお世話になったスポーツメーカーさんがいろいろなサポートをしてくれたり。とにかく、いろいろな人の力を借りてここまでこられたことに、本当に感謝しています」(小笠原氏)

千葉ドリームスターが加盟する日本身体障害者野球連盟では、1年に1度、全日本選手権大会が行われ、全国にある39の加盟チームが日本一を目指して競い合う。当然千葉ドリームスターの選手たちも日本一を目指しているというが、小笠原氏は必ずしも優勝することが一番の目的ではないと話す。

車いすユーザーでキャッチャーを務める選手にアドバイスする小笠原氏。プロ野球の世界に入ったときは、小笠原氏もポジションはキャッチャーだった

「初心、つまりなぜこのチームを立ち上げたかということは絶対に忘れてはいけないと思っています。どうせやるなら成果を求めたいと思うのは当然ですし、それは私も応援したいしサポートします。でも、日本一になることが絶対的な目的になり、それについて行けない人間は一人だけポツンとはみ出してしまう、というようなことがあってほしくない。そうなった時に、誰かが声をかけてあげて、みんなで上を目指して力を合わせていくなら問題ありませんが、勝利に固執しすぎて原点を見失うのであれば、それは違う。割と初心って忘れがちなんですが、原点を忘れないということは、どんなジャンルでも、すごく大事なことだと思います」(小笠原氏)

自分の障がいと向き合う仲間たちが与えてくれた勇気

「第5回世界身体障害者野球大会」の日本代表に選ばれた土屋来夢選手。笑顔ではつらつと練習していた

では、このチームのことを選手たちはどう思っているのか、話を聞いてみた。まず、最初に話をしてくれたのは千葉ドリームスターに入って2年だという鈴木貴晶選手。4年前に事故で左手の一部が欠損したそうだ。

2年前にチームに入団した鈴木貴晶選手

「怪我をして、この先の不安がある中で悩んでいたときに、障がいがあっても野球ができるということを知って、見学に来たんですが、すごく感銘を受けて自分もやってみたいと思いました」(鈴木選手)

鈴木選手は、千葉ドリームスターに入ってから、あることをしなくなったという。

「自分では障がいのことを気にしていないつもりだったんですが、あの人どうして指がないんだろうと言ってるのが聞こえたり、好奇の目で見られたりするので、袖で手を隠すようになっていたんです。でもこのチームに入ってみたら、自分よりはるかに重い障がいがある人たちも、みんな堂々としていて、しかも野球をやっている。それを見て、なんでこんなことで悩んでたんだろうと思えるようになって、今では手を隠すことがなくなりました」(鈴木選手)

練習をする鈴木選手

千葉ドリームスターには下は16歳から上は58歳まで、年齢層も幅広く、さまざまな障がいのある人がいるが、みんなが、全力で自分の障がいに向き合い努力する姿から、鈴木選手は勇気をもらったという。そして、一緒に野球に夢中になり、時にはバカなことも言い合える仲間に出会えたことを、本当に良かったと話してくれた。

もう一人話をしてくれたのは、昨年の春に高校を卒業したばかりの小川颯介選手。小川選手は生まれつき左手首から先がないが、小学3年生で野球をはじめ、志学館高等部では硬式野球部に所属していた。

2024年4月に入団した小川颯介選手

「高校の夏の最後の大会の時に笹川さんがわざわざ試合に来てくれて、一度練習を見に来ていただけませんかと、声をかけてくださったんです。それで引退後に練習を見学に来ました。そこで初めて自分以外の障がいがある人が野球をやっている姿を見て、言葉にできないような衝撃を受けました」(小川選手)

全力でボールにくらいつく小川選手

さまざまな障がいのある人が、それを乗り越え、夢中でしかも楽しそうに野球に取り組む姿は小川選手の目にはキラキラと輝いて見えたそうだ。本来なら高校卒業後、大学で一般の硬式野球を続けるという選択肢もあったそうだが、小川選手は千葉ドリームスターに入り、障害者野球の日本代表を目指すことにした。年齢や障がいの度合いに関係なく、みんなで野球に打ち込むことに充実感があり、今は練習が楽しみで仕方がないという。


今回紹介した選手だけでなく、他の選手のプレーも想像をはるかに超えるスピード感と迫力があった。同時に、彼らの生き生きとした表情が印象的だった。小笠原氏が「神戸コスモス」で見た選手たちも、きっとこんなふうにキラキラと輝いていたのだろう。現役時代、小指を骨折した状態で本塁打を打つなど、その不屈の精神からガッツの愛称で親しまれた小笠原氏は、ユニフォームを脱いだ今も、多くの人に夢や希望を与えている。小笠原氏と千葉ドリームスターの今後の活躍に注目したい。

text by Kaori Hamanaka(Parasapo Lab)
photo by Zin Suzuki

千葉ドリームスター
https://chibadreamstar.jp/

『元プロ野球選手・小笠原道大が創設した障害者野球チーム・千葉ドリームスターの軌跡「次に進む助走の場になれば」』