パラサポ山脇会長とリオパラリンピック金メダリストが語る東京2020への期待

2018年ラストを飾る特別対談
2018.12.31.MON 公開

東京2020大会が行われる“パラリンピックイヤー”の幕開けまで、いよいよあと1年。より多くの人たちとパラリンピックの魅力を共有し、パラスポーツを通じて受容的な社会をつくるために、私たちにできることは何か。日本財団パラリンピックサポートセンター(パラサポ)の山脇康会長と、ドイツから来日したリオ2016パラリンピック金メダリストのハインリッヒ・ポポフ氏がパラリンピックによる社会の変化やその価値について熱く語り合った。

がっちりと手を握る山脇会長(左)とポポフ氏(右)
山脇康(やまわき・やすし)
1948年1月23日生まれ。愛知県半田市出身。名古屋大を卒業した1970年、大手海運会社である日本郵船に入社。副会長などを経て、2016年よりアドバイザー。2011年に、日本障がい者スポーツ協会(JPSA)と日本パラリンピック委員会(JPC)の鳥原光憲会長の要請により、パラリンピックの世界へ。その後、2013年に国際パラリンピック委員会(IPC)理事に就任、2014年から日本パラリンピック委員会委員長、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会副会長、2015年から日本財団パラリンピックサポートセンター会長を務める。趣味は、ゴルフとスキー。
ハインリッヒ・ポポフ Heinrich Popow
1983年7月14日生まれ。7歳の時に家族とともに生誕したカザフスタンからドイツに移住。8歳のとき、左足のふくらはぎに腫瘍が見つかり膝関節から下を切断。13歳で陸上競技を始め、パラリンピックには2004年のアテネ大会から4大会連続出場。アテネ大会の100m、200m、走り幅跳び(T42クラス)で銅メダルに輝くと、その後は100mに重点を置き、2008年北京大会で銀、2012年ロンドン大会で金メダルを獲得。2016年のリオ大会では走り幅跳び(T42)に出場し、金メダルを手にした。2018年に競技から引退。義肢装具士でもあり、ドイツを拠点に活動している。
山脇会長とポポフ氏が最初に出会ったのは、2015年1月のこと。ポポフ氏は、病気やケガで脚を切断した人に向けてスポーツ義足での歩き方や走り方を伝えるランニングクリニックを世界中で開催している。そんなポポフの熱心な姿勢に山脇会長は感銘を受けたという。

ハインリヒ・ポポフ(以下、ポポフ) 日本では、目上の方に対する礼儀が大切と聞いていたので、山脇さんに会うまでは少し緊張していたんです。ところが最初にお会いしたとき、たしかフィールドにいらしたこともあり、この人とならパッションを共有できる、と直感しました。実際、僕が取り組んでいるランニングクリニックのことや、山脇さんが興味を抱いている競技についてフランクに話せましたし、VIPルームにいるより、選手により近いフィールドにいるのが好きな情熱家だと分かり、うれしかったです。

リオパラリンピックの走り幅跳びで金メダルを獲得したポポフは、2018年に引退を表明した

山脇パラサポ会長(以下、山脇) 私が初めてポポフさんを目にしたのは、2012年のロンドンパラリンピック、陸上競技100m決勝のレースです。でもそのときは日本の山本篤選手だけに注目していて、50mを過ぎたあたりで山本選手が誰かに抜かれたことだけが心の中に残ったんです。あとで写真を見返して、山本選手を抜いて金メダルを獲得したのが、ポポフさんだと分かりました。

その後、東京でランニングクリニックを見学したわけですが、そのとき、この人はほかの選手とは違うという印象を抱きました。ランニングクリニックでは、子どもにも大人にも、さらにはアスリートにまで「楽しんで」ということを第一に教えていましたし、だれに対しても分け隔てなく接していました。

さらに、金メダリストというトップ・オブ・トップの立場にありながら、ビジネスに興味がないことにも驚きました。一般的には、トップに立ったら、ビジネスを展開したり、自分にスポンサーをつけることを考える選手が多いんです。でも、ポポフさんは、自分より子どもやスポーツを始めたばかりの人にもっと投資してほしいと言うんです。実のところ、それを最初に聞いたときは半信半疑でした。ところがその後、一緒に宮城県石巻市を訪れた際にも「子どもたちは自分たちの未来、だから子どもたちに投資するということは未来を創るということでもある」と伝えていましたし、何より子どもたちと話している姿を見て、このパッションは本当なのだと確信できました。その後、付き合いを重ね、今ではポポフさんは私の親友の一人です。

ポポフ スポーツにお金を求めないのは僕のポリシーです。これは、父の影響を受けています。

金メダルを獲った後、父からは「お金がほしかったら仕事をしたほうがいい。スポーツをするなら情熱でやりなさい」と言われたんです。そこで、義肢装具士としての仕事とアスリートとしての活動をそれぞれ分けて取り組むことにしました。世界を周って、僕と父、そしてもう一人の義肢装具士とで作った義足で走っている子どもたちの姿を見るたびに、自分の情熱や仕事は正しかったと思います。また、アスリートには伸び悩みやケガといったネガティブなことがつきものなのですが、仕事のおかげで、ちょっと視点を変えたり、気持ちを切り替えることができるようになりました。仕事とアスリート活動を両立させることで、自分自身を育ててきたといえると思います。

パラスポーツとの出会いを語る山脇会長

山脇 パラリンピックで金メダルを獲った後、何をするんだろうという選手が結構います。金メダルを獲った後、自分のために競技を続けようとしても、モチベーションを持ち続けるのは難しいでしょう。私は45年間会社で働いた後、パラスポーツに出会い、パラリンピックの活動に携わるようになったのですが、すごく楽しいですし、よかったと思っているんです。誰かのために何かをするっていうことは、すごくモチベーションが上がりますね。

ポポフ 誰かのために何かをしているから、山脇さんはとても若々しいし、同じ考えを持っているから、僕たちはつながったんですね。



現役時代からランニングクリニックの活動を通して、スポーツに大きな力があると証明しているポポフ氏は「パラリンピックの金メダリストとして、パラスポーツやパラリンピックの価値を伝えられるのはすごく幸運なこと」と話す。パラリンピックムーブメントに深くかかわる2人は、パラリンピックに出場する“アスリートたちが持つ力”をどう捉えているのだろう。

ポポフ パラリンピックの4つの価値“勇気 Courage、強い意志 Determination、インスピレーション Inspiration、公平 Equality”の中で、選手だった僕がとくに共感するのは、インスピレーションですね。自分が競技に取り組んでいたとき、他の人をインスパイアできたらいいなと思っていましたから。

それに、公平っていうのは、もうあたりまえになっているようにも思いますし……やっぱりパラリンピックの醍醐味は、インスピレーションなのではないでしょうか。

山脇 私は、元車いすバスケットボール選手で長くIPCの会長を務めたフィリップ・クレイヴァン氏をはじめ、いろんな人にインスパイアされてきたのですが、パラリンピアンから“強い意志”を感じることがよくあります。それは、世界中の人のために活動しているポポフさんにも感じることです。

ポポフ たしかに、人の心を揺さぶり、駆り立てる“インスピレーション”は、強い意志がないとできないもの。そういう意味では、しっかりした意志がなければ、人を引っぱり上げることはできない。どちらとも欠かせないものですね。



2018年は引退前に日本の大会にも出場し、さらにはランニングクリニック開催のためにたびたび来日しているポポフ氏。東京パラリンピックに向けて、日本の盛り上がりをどう感じているのか。

ポポフ 4年前から定期的に来日していますが、パラスポーツやパラリンピックに対する興味は年々大きくなっているなと感じています。史上最高の盛り上がりを見せたロンドン大会を含め、開催まで1年以上ある時期にこれほどパラリンピックに高い関心を示す国は、なかったのではないでしょうか。

だから、東京パラリンピックにはすごく期待ができますし、とにかくミスは避けてほしいから、自分も何かできることがあれば協力したいです。

また、日本はスポーツと日常生活とをつなげ得る国だとも思います。ランニングクリニックではスポーツを教えているわけですが、参加者や関わる人が「パラスポーツ」と「障がい者が抱えている日常の困難の解決法」とをつなげて考えていて、すごく賢明だなと感動したんです。スポーツと障がい者の日常生活を分けて考える国が多い中、日本ではこの2つがうまくつながっているんですね。

パラスポーツやパラリンピック、パラアスリートには、社会を変える力がありますが、今の日本ではパラスポーツに興味を持ってくれている人が増えているようなので、東京パラリンピックは日本だけでなく世界も変える可能性があると思います。

パラサポの山脇会長(左)の話に耳を傾けるポポフ氏(右)

山脇 正直なところ、こんなにほめてもらえるとは思っていませんでした。というのも、ある調査によると、日本で週に一度運動をする人の割合は、健常者の40%に対し、障がい者は17%に留まっているんです。これを50%ぐらいまで上げていきたいと思っています。

ポポフ パラリンピックを通して日本は変わっていくでしょうが、その中で何が可能か、という点にも、もっと目を向けてもらいたいと思っています。もし自分の子どもが片足だったらどうしますか。現在の日本では、日常用義足やスポーツ用義足は国から与えられないわけですが、子どもはもともと動き回りたいもの。ですから、車いすや義足が必要な子どもには国が提供して、誰もが平等に運動する機会を得られるようになってほしいと思います。実際、僕は自国ドイツでメディアを通してスポーツ庁などに訴え、環境を変えてきました。

山脇 私たちも障がい者がスポーツに触れる機会をもっと増やしていきたいと思っています。すべての都道府県には、障害者スポーツセンターが設けられていますが、そこからすごく遠くに住んでいる人もいて、誰もが気軽に使えるわけではありません。その解決法の一つとして、私としては、全国各地にあるスポーツクラブで障がい者の方を受け入れてほしいと考えています。



パラリンピックムーブメントを担う者同士の話は熱を帯び、一般の人へ普及やパラリンピック教育を通じたアプローチに、話は及んだ。

山脇 私たちパラサポは、いろいろなプログラムを行っているのですが、目指していることが主に二つあります。一つはパラスポーツへの興味関心を高めること、そしてもう一つは人々の考え方を変えていくことです。小中高等学校を対象としたパラスポーツ体験型授業は成功していると思うのですが、一方で、障がい児に対しては何ができているのかなと思ったりもします。例えば、障がいのある子どもたちとない子どもたちが一緒に遊ぶ機会がなかなかなくて、体育の授業も別々だったりします。でも、実は子どもたちにとっては、両者が一緒に活動することは何も問題はないんです。ただ、先生たちがそういう環境を作れない。そこを変えるためにも、まずは先生たちが障がい児を受け入れられるよう、先生自身のマインドセットを変えていければと思っています。

山脇会長は、パラリンピック教育の手ごたえを口にした

ポポフ 先生たちが解決策を見つけられないなら、子どもたちに聞けばいいんです。どうやったら健常の子も障がいのある子も一緒に遊べるだろうって聞いたら、子どもたちが考えてくれますよ。

障がいがある人たちの可能性に、いかに目を向けられるか。それが東京パラリンピック成功のカギであり、受容的な社会の実現につながるといっても過言ではない。

山脇 今の取り組みを継続したら日本は変わっていくと、信じています。もちろん簡単ではないと思っていますが、2020年は社会を変えていくための“最初のゲートウェイ(玄関)”。東京パラリンピックは、それを後押しするものだと思っています。そして、2020年の後が一番大切です。

ポポフ 2020年はまさに第一歩ですね。どんな長い坂を上るのも必ず一歩を踏み出さなきゃいけない。その一歩だと僕も信じていますし、やっぱり情熱と情報をみんなで共有していくことで日本が変わるし、それが外に広がっていくのではないでしょうか。



身も心もパラリンピックに捧げる多忙な日々を「楽しくてたまらない」という山脇会長と、ランニングクリニックを通して、「スポーツをする楽しさ」を伝え広める活動をしているポポフ氏。国や立場は違えど、パラスポーツを通して社会を変えたいという強い気持ちがふたりを強く結びつけ、大きなメッセージを発信し続ける原動力になっていることは間違いない。

text by Asuka Senaga
photo by X-1

『パラサポ山脇会長とリオパラリンピック金メダリストが語る東京2020への期待』