一ノ瀬メイ(水泳)・女子アスリートPHOTO GALLERY BEST SHOOT

女子アスリート BEST SHOOT | 水泳 一ノ瀬メイ
2019.04.01.MON 公開

HOSONO SHINJI
LADY GO!
女子アスリートPHOTO GALLERY
BEST SHOOT

VOL.3 一ノ瀬メイ(水泳)

撮影/細野晋司

パラスポーツの“今”をお届けするスペシャルムック『パラリンピックジャンプ』(「週刊ヤングジャンプ」と「Sportiva」が共同編集/協力:パラサポ)のVOL.2発刊記念スペシャルコンテンツを、パラサポWEBマガジンで配信します。


心地よい日差しに包まれた寮の中に愛くるしい仕草で出迎えてくれたメイちゃん。
口元から覗く八重歯が印象的だった。

プールでの撮影が進むにつれて頭をよぎったのは、天真爛漫な性格をどうしたら育めるのだろうか…ということ。
水の中はきっと孤独な世界!
そう、毎日、来る日も来る日も泳ぎ続ける。
そう、何年もの間。
日々決する思いで自分と向かい合っているんだよね?

東京パラリンピックのスタート台で悠然と水面を見つめる姿が今も浮かんでいます。

細野晋司

細野晋司 SHINJI HOSONO
1963年生まれ、岐阜県揖斐川町出身。
http://www.hosonoshinji.com

水泳

障がいの種類や程度、運動機能によりクラスが分けられ競技が行われる。基本的には一般の競泳と同じ規則に準じているが、障がいの特性に合わせ一部の規則を変更している。視覚障がいの選手はコーチがタッピングバー(合図棒)を使い選手の身体に触れて壁の接近を知らせている。

一ノ瀬メイ インタビュー

「プールには1歳半ぐらいから、親が連れて行ってくれました。徐々に親子水泳教室とか、子供水泳教室、放課後水泳教室っていういろんな教室に行って、四泳法を覚えました。9歳の時に当時教えてもらった監督がパラリンピック代表監督だったのもあって、『パラリンピックっていうのがあるよ』って言われて、そこから本格的に競技としての水泳を始めました」

一ノ瀬メイは1997年3月17日に京都で生まれた。イギリス人の父と日本人の母の間に生まれたハーフの女の子。彼女は今まで、泳ぐことが辛かったりという経験はなかったのだろうか?

「小っちゃい時から、練習に行くのが当たり前だったので、何のために水泳をやってるのかを全然考えてなかったんです。泳ぐことが日常みたいな。中2で代表に入って、すぐのアジアパラで銀メダルを獲ったんです。しかも日本新のオマケつきで。当然、周りが『次は世界だ、ロンドンパラだ』ってなって、私自身も舞い上がってたのかもしれません。でも結局、派遣標準記録に0.31届かずにロンドンは出場できなかったんです。人生で一番泣いて、その時に始めて『私は何で水泳してるんだろう?』って考えました。凄い悔しかったけど、でも今思ったら、それがあってよかったと思っています。じゃなかったらやっぱり、そのまま何も考えずに水泳を続けていたと思うし、そこで一回、挫折じゃないですけど、壁を経験した時に、いろいろ考えるきっかけになりましたね」

ロンドンパラリンピックに出場できず自問自答したメイ、何日も悩んで出した答えは、やっぱり…。

「小っちゃい時は腕がなくてなめられたりするのが嫌で、そのなめてかかってくる人より、速く泳げるっていうのが自信になったし、これが私の武器みたいな感じで水泳をしてました。本当は中2でアジアで銀獲ったら、十分じゃないですか? 何でそれ以上を目指すんだろう、何で世界一を目指すのかって考えた時に武器としては十分でも、自分以外に同じ障がい者といわれる人でまだまだ差別ではないですけど、見た目だけで決めつけられたりとかが、自分だけじゃなく周りでも起こっていて、自分のためだけではなくて、発信できるものとして、続けられるのかなと思いました。後はやっぱり競技なんで、純粋に負けてたら面白くないんで、やるからには上を目指したいっていう気持ちが大きかったですね。今はやっぱりこうやって注目してもらって、メディアとかにも取り上げてもらってるんですけど、自分が小学校の時でもパラリンピックっていう言葉すら知らない人がいっぱいいて、もっと取り上げて知ってもらいたいっていう気持ちがロンドン逃した時もすごい強くて、取り上げてもらうためにはどうしたらいいのかなって考えた時に、やっぱり強くないといけないので、絶対強くなって発信できる立場になろうって思いました」

そして4年後、悔しさをバネにメイはリオパラリンピック出場を果たす。

「ずっと先輩方から『パラリンピックは別物』と言われてました。アジアパラや世界選手権とも全然違う雰囲気があるっていうのは聞いていて、頭では何となくイメージしていたんですけど、行かないとわからないと思っていました。実際、リオに来てみたら、ほんとに全選手がその4年間をここに賭けてきてるっていうのが、会場の雰囲気に出てて、すっごいピリピリしてるし、皆の目の色も全然、他の大会とは違って、だから、ほんとに実力がある人が勝つ大会だなっていうのを思いました。プレッシャーや緊張もあってか選手村に入った辺りから、どんどん調子が狂ってきたし、ここで勝つというのは、どれだけ凄いんだろうって思いました。順位よりも、自己ベストを出せないのが、やっぱりしんどくて悔しくて…」

リオで自信を喪失したメイ、パラのリベンジはパラでしか果たせない。

今はその機会を待って自信を少しずつ積み上げているところだ。もちろん、その機会とは東京2020パラリンピック!

「海外へ武者修行に行ったり、バランスのいい泳ぎのマスター、体幹を鍛える…たくさんの課題を少しづつ克服しながら、自分自身や周りにも勝って、東京2020では絶対、メダルを獲って表彰台に上がりたい!」

 

<一ノ瀬メイ:ICHINOSE MEI>
1997年3月17日生まれ、京都府出身。
[所属]近畿大学
[クラス]S9/SB9/SM9
先天性の右前腕欠損症。中2で初出場した2010年広州アジアパラでは50m自由形で銀メダル。2016年リオパラは個人、リレーの計8種目に出場した。2018年ジャカルタで開催されたアジアパラでは出場8種目全部でメダル獲得(銀6銅2)。 東京2020パラリンピックでは金メダルを狙う!

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photo by SHINJI HOSONO

※本記事は『パラリンピックジャンプ』編集部協力のもと掲載しています。

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