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車いすバスケットボール
車いすバスケットボール天皇杯。“門戸拡大”で生まれる価値とは?
5月10日から12日にかけて、東京・調布の武蔵野の森総合スポーツプラザで開催された「天皇杯 第47回日本車いすバスケットボール選手権大会」。前回大会の決勝進出チームと、東日本、西日本の予選上位3チーム、計8チームが頂点を争い、宮城MAXが大会11連覇を達成した。今大会から健常者プレーヤーの参加も認められ、生まれ変わった国内最高峰の舞台には、新たな価値も垣間見えた。
11連覇した宮城MAX の“風格”
まさに、“横綱相撲”――。
初戦の伊丹スーパーフェニックス(近畿)戦、準決勝のワールドバスケットボールクラブ(東海北陸)戦では、最終ピリオドまで気の抜けない試合展開が続いた宮城MAX。選手兼ヘッドコーチ(HC)の藤井新悟は準決勝後、「最後まで勝利を確信することはなかった」と漏らした。
決勝の相手は、強化されたディフェンスを基盤に速攻を繰り出すトランジションを身上とし、NO EXCUSE、パラ神奈川スポーツクラブと強豪を打ち破ってきた埼玉ライオンズ(関東)。しかし、蓋を開ければ、藤本怜央(4.5)、土子大輔(4.0)、藤井郁美(4.0/女子)の強力なハイポインター陣が高確率でシュートを沈めていく。埼玉ライオンズはゴールに嫌われ、着実にディフェンスリバウンドをものにする宮城MAXの前に攻撃機会も削がれてしまう。ワンサイドゲームの様相を呈した試合は、71対35という大差となって決着した。
宮城MAXでも日本代表でもチームをけん引する藤本は試合後、「修正力かなと思います」と一言。満足できない試合が続いた中で、「どのチームも僕らより格上だと考えてプレーした」という。
「下手をすれば、埼玉の“速さ”に僕らが置いていかれるパターンも考えられた。その点は紙一重でした」(藤本)
一方、 “若手のホープ”として埼玉ライオンズを牽引し、チーム戦術であるトランジションバスケを象徴する活躍を見せた赤石竜我(2.5)は、「完敗です。格の違いを見せつけられました。僕らの想像以上に、宮城MAXは強かった」と涙をこらえながら話した。
新元号最初の天皇杯。時代の変わり目でも、“王者”は不動であった。
「車いすバスケットに関わる人が増えている」
47回目を迎えた今大会では、出場8チームのうち5チームに健常者のプレーヤーが登録されていた。健常者プレーヤーは、1点から4.5点までの持ち点(*)のうち、最も高い4.5点のハイポインターとして扱われ、コートに出られるのは2名までだ。
*チームの持ち点:コート上の選手5人の合計が14.0点を超えてはならない。ただし、女子は1人出場につきチームの持ち点の合計から1.5点減算される。
昨年7月に健常者の選手登録が認められた経緯を、日本車いすバスケットボール連盟・副会長の常見浩氏は「いろいろな意見があることは承知の上で、“車いすバスケの競技力向上”と“競技人口の増加”という大きく2つの理由から、健常者の選手登録を認めた」と説明する。その背景には、2000年以降、医療系の大学を中心に、健常者が車いすバスケットをプレーする土壌が生まれていたこと、10ブロックに分かれる各地域の一部大会では、以前から健常者の出場が認められていたなどの状況があったという。
宮城MAXと決勝を戦った埼玉ライオンズには、3名の健常者プレーヤーが登録されていたが、中でも大山伸明は初戦から決勝までの3試合で平均18分超プレー。「攻守ともにインサイドでの動きを期待されている」と本人も自覚しているとおり、得点のみならず攻守のリバウンドやアシストなど要所で存在感を示した。
大山は埼玉県立大学出身。現在は同県の病院で看護師として勤務している。バスケット経験者ではなかったが、学生時代に学内の車いすバスケットサークルを見学し「楽しそう」と思い、はじめた。競技用車いすもオーダーメイドで用意し、乗りこなす。健常者の登録が認められる前までは、埼玉ライオンズや今大会5位のNO EXCUSE(東京)などでトレーニングパートナーをしていたという。
日本代表でも活躍する同チームの藤澤潔(2.0)は「(大山たちは)バスケをよく理解している。練習段階からすごくプラスになっているし、(ユニットの)ラインナップも広がりました」と話し、こう続けた。
「僕はまず競技人口が増えてほしいと思っています。健常者の選手と切磋琢磨することは、ハイポインターの実力向上にもつながると思いますし、それがひいてはローポインターの刺激にもなると考えています」
自身も健常者選手として車いすバスケットをプレーする中井健豪HCは言う。
「大学のときから彼らと一緒にプレーをしているので、僕のバスケットボールの考え方を理解してくれている。強力なスターティングメンバーで試合がうまく運ばなかったとき、大山たちがベンチにいることは心強いです。
また、健常者が入ることで、選手としてだけではなく、競技に関わる人が増えてきています。僕らの応援に来てくれる人も、普段からプレーをしていたり、車いすバスケが好きだから来てくれたりしている。マネージャーやトレーナーになってくれる人もいる。車いすバスケというひとつのスポーツが浸透する上で、(健常者の参加は)総じて良いことではないかな、と」
垣間見える“スポーツの価値”と“多様性”
もうひとつ、健常者プレーヤーを登録したチームに話を聞いた。近畿ブロックの伊丹スーパーフェニックスである。最終結果は6位だが、優勝した宮城MAXに対し、初戦で好勝負を繰り広げた。
健常者プレーヤーとして出場したのは、三浦玄と伊藤壮平の2名。共にバスケット経験者で、普段は競技用車いすの製造で有名なオーエックスエンジニアリングに勤務し、上司(三浦)と部下(伊藤)の関係だ。大学4年まで現役のバスケット選手だった三浦は、チームのヘッドコーチを兼務し、今大会ではベンチワークやサポート業務もこなしつつ、コートに上った。
「大学4年のときに、今のチームメイトに誘われて始めました」(三浦)
「大学が福祉系で、実習先で車いすバスケをされている方がいて、興味を持ちました。社会人になったときに、三浦さんが既に(スーパーフェニックスに)所属されていたので、自分も入れてほしいと言ったんです」(伊藤)
とそれぞれのきっかけを振り返る。始めた当初は「にっちもさっちもいかなかった」(三浦)というが、“見て学ぶ”ことで自分なりのプレースタイルを作っていったという。三浦はこう話す。
「健常者が入ることで、総合的にスポーツという形を成してきていると思いますが、この競技は、相手や味方に対する洞察力がより大切。体の状態を把握して、味方をサポートしたり、逆に助けられたり。その意味では普通のバスケより深いとも言えるのではないかな、と」
チームメイトであり、日本代表や海外クラブでのプレー経験も豊富な村上直広(4.0)は「彼らがコートにいると思い切ってプレーできる」と話す。
「伊藤さんは、体格を生かしたインサイドのプレーをしっかりこなしてくれる。三浦さんは、僕が熱くなったときに落ち着かせてくれ、なおかつボールハンドリングのスキルをいかしてアタック時にアシストしてくれる。頼りにしています」
日本一のクラブを決める天皇杯。パラリンピックイヤーの前年でもある今年は宮城MAXの11連覇で幕を閉じたが、健常者にも門戸が開かれたことで、今後は勢力図に変化が生じる可能性もある。とはいえ、障がいの有無に関わらず、コート上では、それぞれの選手に得手不得手がある。それは、上述の両チーム選手の言葉から伺い知ることができるだろう。
弱みを補い合い、強みを生かし合う。健常者プレーヤーも躍動した今大会で、「競技人口の増加」と「競技力の向上」のみならず、スポーツの価値と多様性を垣間見たような気がした。
1位 宮城MAX
2位 埼玉ライオンズ
3位 ワールドバスケットボールクラブ
4位 パラ神奈川スポーツクラブ
5位 NO EXCUSE
6位 伊丹スーパーフェニックス
7位 千葉ホークス
7位 福岡breez
※カッコ内は、障がいの種類やレベルによって分けられた持ち点。
text by Naoto Yoshida
photo by X-1