JICAが取り組むスポーツを通じた国際協力とは? 

2021.01.15.FRI 公開

海外協力隊の派遣などで知られ、様々な取り組みを通じて国際協力を行う独立行政法人国際協力機構(以下、JICA)。実は、スポーツを通じた取り組みも盛んで、パラスポーツの普及や競技力向上にも熱を注いでいるのをご存知だろうか。

今回は、JICAの職員であり、日ごろからブラインドサッカーをはじめとしたスポーツに親しむ福地健太郎さんに、JICAのパラスポーツを通じた国際協力、そしてパラスポーツの可能性について存分に語ってもらった。

JICAのスポーツを通じた国際貢献とは?

すべての人々にとってより持続可能な未来を築くための目標であるSDGs(※1)に貢献することや、日本政府が推進するスポーツ・フォー・トゥモロー(※2)といったスポーツを通じた国際貢献などを行っているJICA。草の根レベルの活動から政府機関を対象とした事業など多彩な支援を行っている。

それらの活動のなかで、

(1)体育科教育支援
国の未来を担う子どもたちの心身の健全な育成のために重要な役割を果たす体育科教育を普及する。

(2)社会的包摂・平和の促進
スポーツは、障がい者・女性・子どもを含めたすべての人の社会参加やインクルーシブな社会の実現に貢献し、民族や部族の違いを超えて楽しむことを可能とする。

(3)スポーツ競技力の向上
スポーツ環境整備やアスリートの養成を通じ、成長した選手が国際大会で活躍する姿を目にする感動は、自国への誇りと、他国への理解促進につながる。

の3つが大きな柱だ。

※1 SDGsとは、2015年の国連サミットで採択された、2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際目標で、17のゴール・169のターゲットから構成されている(外務省HPより)。
※2 スポーツ・フォー・トゥモローとは、100ヵ国・1000万人以上を対象に、日本国政府が推進するスポーツを通じた国際貢献事業。世界のよりよい未来を目指し、スポーツの価値を伝え、オリンピック・パラリンピックムーブメントを広げていく取り組み。

アフリカのセネガル共和国でブラインドサッカーイベントを実施 ©JBFA

海外協力隊員は、スポーツ指導者としてパラスポーツを広めたり、パラリンピックを目指す選手を直接指導したりすることはもちろんのこと、理学療法士や作業療法士といった専門職の隊員が障がいのある人たちへのリハビリや訓練の一環としてパラスポーツを取り入れることもあるという。

また、パラリンピアンが隊員として活躍した例もあり、2006年には車いすバスケットボール元日本代表選手の神保康広さんと、全盲のスイマーとしてパラリンピックで5個の金メダルを獲った河合純一さんがマレーシアに滞在し、それぞれの競技の普及活動を行った。

パラスポーツへの取り組みは、海外協力隊員の活動にとどまらない。JICAでは、1993年から各国の関係者を招き、スポーツを通じた障がい者の社会参加促進を支援するための研修を実施。研修では障がいの有無に関わらず誰もが楽しめる卓球バレーやボッチャの体験を行い、パラスポーツを通じた障がい者の社会参加の促進を伝えている。

さらに、草の根技術協力事業として、自治体や大学、NGOと協力して障がいのある人たちを支援する取り組みもある。2016年からアジアの障害者活動を支援する会(ADDP)と行っている「ラオス障害者スポーツ普及促進プロジェクト」はラオス政府が主導する大きなプロジェクト。ゴールボール、パワーリフティング、水泳、陸上競技、車いすバスケットボールの指導者を養成したり、団体を運営する能力の向上に取り組んだりしているのだ。

「ラオス障害者スポーツ普及促進プロジェクト」では障がい者と健常者の垣根を超えて、インクルーシブ講習会が開催された ©ADDP
ネパールでボッチャの普及活動を行った浅見隊員 ©JICA

福地健太郎さんINTERVIEW

お話を聞いた人
福地 健太郎(ふくち けんたろう) 1984年大阪府生まれ。小児がんにより2歳で全盲に。筑波大学を卒業後、日本赤十字社に入社。スーダンで視覚障がい者の教育支援活動を行い、国際協力と教育への学びを深めようと、英国サセックス大学大学院へ留学。帰国後にJICAへ。現在は、人間開発部高等教育・社会保障グループに所属し、障害と開発を担当している。


担当しているのは「障害と開発」。ひとつは障がいの主流化と呼んでいますが、障がい分野以外の事業から障がい者が取り残されないようにする取り組みです。例えば、教育プロジェクトを行うときに障がいのある児童に考慮しているか、インフラをつくるときに障がいのある人たちも使えるような計画、例えばバリアフリーになっているかといった視点を事業に組み込んでいく仕事です。もうひとつは障がいに特化した取り組みで、障がい分野を担当する行政官と新たな事業を形成したり、障がい者団体を強化したりするといった仕事です。例を挙げると、視覚障がいのある人や文字を読むのが困難な人たちのためのデイジーというフォーマットを使って、図書を作る技術を伝えたり、現地の行政と連携して行政サービスのアクセス改善、自立生活や介助者を使った生活を送る制度を支援したりもしています。

――JICAで活躍する福地さん。活動の根底にある思いとは?

福地健太郎(以下、福地) もともと国際協力に興味があり、JICAに就職しました。どんな思いがあるかというと、障がいの有無にかかわらず、教育だったり仕事だったりスポーツだったり、人生の全ての場面で、みんなが同じように楽しめるような世界に近づけたい、それに日本でも海外でも“誰も取り残されない世界をつくる”ということを目指したいし、実現したいからです。

私自身、視覚障がいがありますが、小・中・高と普通学級に通っていて、体育の授業もみんなと一緒に受けていました。もちろん目が見えないので、いろんな工夫があってのことです。バスケットボールをするときはゴールにラジオをつけたり、クラスメイトと手や紐をつないで走ったり、一人で走る際には鈴を使って前を走ってもらい走る方向をわかるようにしてもらったり……。障がいがあるから別のことをするとか、専用の用具がないからできないではなく、みんなで試行錯誤して一緒にできる方法を探りました。“障がいがあっても一緒に生活していける”という経験があることは大事ですよね。

規模こそ違いますが、今の仕事はその延長線上という感じです。みんながなんでも同じように楽しめる社会の実現のために奔走しています!

――JICAの職員として国際協力に関わりたいと考えるようになったきっかけは?

福地 大学生のときに、大学の先輩でもあるブラインドサッカー日本代表の黒田智成選手に誘われて、ブラインドサッカーを始めたんです。そのとき入ったクラブチームで、スーダン出身のブラインドサッカー選手(モハメド・オマル・)アブディンに出会いました。同じ国際協力を勉強していたこともあって、アブディンとすごく仲良くなって。今までの学校生活などの話で意気投合して、何かやろうって盛り上がったんです。スーダンはサッカーが国民的スポーツということで、ブラインドサッカー用のボールを送ったり、筑波大の学園祭での出店した収益で点字を書く道具を送ったりしました。私がタイとアメリカでの留学から帰国した後に彼と一緒にNGOを立ち上げました。今はスーダンの情勢などもあって、昔ほどアクティブではありませんが、活動自体は続いています。現地ではすでに点字プリンターを使って点訳できる人材なども育っているので、今後はスーダンの人たちが自分たちで行う活動をサポートしたいと考えています。

普段からサーフィンやブラインドサッカーなどスポーツを楽しんでいるという福地さん

――これまでの成果は?

福地 実は、こんな嬉しいことがあったんです。JICAがパラスポーツの研修を始めて数年後の1998年のことなのですが、ホセ・ロドリゴ・ベハラノさんという方がアフリカのカーボベルデ共和国(※3)から来日しました。「障がい者スポーツリーダーの養成」研修に参加したホセさんは、「障がい者スポーツってすごい!」と、とても感銘を受けたそうなんです。途上国では、そもそも障がいのある人がスポーツをできると思われていないことが多いんですよね。ホセさんは帰国後、「障がい者スポーツをやってみようよ!」と知人に声をかけて回ったというんです。そして、なんとホセさんは今、アフリカ・パラリンピック委員会事務局長としてアフリカ全土のパラスポーツを指揮しています。カーボベルデと沖縄県中城村がパラリンピックのホストタウンを締結していることもあって、ホセさんが2019年8月から9月にかけて来日をした際には、JICAのセミナーで登壇していただきました。パラスポーツができると思われていない国で、JICAの研修の通じてその可能性に気づき、20年の時を経て国レベルでパラスポーツを取りまとめるリーダーとして戻ってきてくれるなんて、すごく感慨深いですし、ありがたいことです。

※3 カーボベルデ共和国:大西洋に浮かぶマカロネシアを構成する列島のひとつからなる国。首都はプライア。
来日時にJICA本部でセミナーを行ったホセさん ©JICA

――国際協力や障がい者支援の仕事をする福地さんは、日本のパラスポーツの現状をどう見ている?

福地 今でこそパラスポーツが注目されていますが、もっと自然にパラスポーツを楽しむことができないかなと感じます。というのも、日本におけるパラスポーツは、例えばリハビリとか、パラリンピックのトップアスリートになるとか、少し極端なんです。健常者が週末に仲のいい人たちが集まって気軽にフットサルを楽しんだり、会社帰りにジムに通ったりするように、ライトな感覚で障がいのある人たちがスポーツをできたらなと。もちろんそうするには、障がい者も同じようにアクセスできる体育館や競技場などの施設を整備するとか、スポーツクラブの障がい者の受け入れ、アクセシビリティの改善、そして人々の意識を変えていく必要があります。そういった裾野が広がれば、日本のパラスポーツにおける競技力も、もっと向上するはずです。それから、障がいのある人とない人が気軽に一緒にやれたらいいと思います。同じことや場所を共有して楽しめるのがスポーツのいいところですからね。

こういったことは、日本でパラリンピックが開催されることが決まっている今だからこそ、伝えていかなきゃいけないとも感じています。そうすることで、日本がまさにパラスポーツ先進国になれるかもしれません。例えば、日本にパラスポーツを学びに来る海外のパラアスリートや、障がいのある留学生が日本の障がいのある人と気軽にスポーツを楽しめる場所があったらいいと思うし、それが日本と世界の絆を強めることにもなりますよね。

隊員や研修によるパラスポーツを通じた国際協力は、JICAの今まで積み重ねてきた強みです。ホセさんのように過去の研修員がリーダーになって帰ってきてくれたのも、地道な活動の成果だと思いますし、今後も大事にしていきたい取り組みです。行政と障がいのある人の連携や、例えば視覚障がいの人が本を読めるとか、そういった当たり前のことのように、障がいのある人がスポーツをすること、スポーツを通じて社会とかかわっていくことも当たり前になる社会を目指して活動していくつもりです。それにはJICAだけでなく、自治体、民間企業、様々な団体と協力・連携することも大切だし、それによってより面白いこともできるんじゃないかと考えています。


福地さんは南アフリカの「障害者のエンパワメントと障害主流化促進プロジェクト」などに携わった

2021年夏に予定されている東京パラリンピック。発展途上国の代表のなかに、JICAが支援した選手もいるだろう。選手たちの躍動する姿は、パラスポーツのさらなる可能性を感じさせてくれるはずだ。

text by TEAM A
photo by HaruoWanibe

『JICAが取り組むスポーツを通じた国際協力とは? 』