パラ・パワーリフティング界きっての強心臓。大堂秀樹は挙げることに1点集中する

2021.07.12.MON 公開

これまで3度、パラリンピックに出場したパワーリフティング大堂秀樹はすぐにおどけて「天才ですから」というセリフを口にする。まるで嫌味がないのは、愛嬌のある顔つきと、試合では必ずといっていいほど、そのときの最大限を出し切る選手だからだ。東京2020パラリンピック予選最終戦のドバイ・ワールドカップでもやってのけた。

挙げることのみに集中できる才能

6月21日、ドバイ・ワールドカップの3日目。深海を思わせる群青色の会場で、ガッツポーズした拳に力を込める男がいた。88kg級の大堂秀樹。約2年ぶりとなる日本新記録198kgをマークし「やりきった」と清々しい表情を見せた。

ドバイワールドカップでは「自信しかなかった」と言い、198kgを挙上
photo by Dubai Club for People of Determination

大堂秀樹(以下、大堂)1月の全日本選手権は肩が痛くて174kg。そこから取り戻して日本新って超カッコよくないですか(笑)。僕、本番にめちゃめちゃ強いんです。2本目、失敗したじゃないですか。こういうとき、次どこを直そうと思っちゃうのが普通なんでしょうけど、僕はそこをすっかり切って、一番いい試技を思い出し、一番いい試技をやれる。我ながらポジティブ(笑)。

たとえスタートまでの残り時間が1秒でも慌てない自信もある。大堂の試技では残り時間が1秒は当たり前だ。

大堂 あまりそういう選手はいないよね。でも、僕にしてみたら、やることをやればそれだけの時間はかかる。残り1秒になっても焦りはないですね。

それだけ試合前のルーティンが体に染みついているということだ。だから、25年近い競技者人生のなかで、大堂は一度も記録なしの失格で終わったことがない。大堂はテノール歌手のようないい声でやはり「天才ですから」と笑った。

リオパラリンピックは88kg級に出場して8位だった photo by X-1

障がいの有無に関係ない競技性に魅了

大堂は、自分の心の強さを「生まれ持った性格」と自己分析する。18歳のとき、バイク事故で脊髄を損傷し、みぞおちから下が動かなくなったときも長く沈むことはなかった。

大堂 幼少期からなんでもやりたいことを切り開いていく人生だったんです。やりたいことを自由にがんがんとやる。だから起きてしまったことは仕方ないと、すぐに前を向きました。

入院先では夢中になれそうなことも見つけた。元世界2位のパラ・パワーリフター高橋省吾さんと出会い、この競技だと閃いた。腕相撲を挑み完敗したのがきっかけだ。

大堂 当時、高橋さんは圧倒的な体をしてたんです。対して僕は62kgくらい。今はその体重差なら、高橋さんがクソ強いのは分かるんですけど(笑)、知らずに挑んで大敗して高橋さんに勝ちたくなった。そこで練習に連れて行ってほしいとお願いしたんですけど、ずっとはぐらかされて、実際に連れて行ってもらったのは2年後でした。

本番に強いという大堂。東京パラについては「出場できたらひとつでも高い順位を狙いたい」と話す photo by Tomohiko Sato

1997年のことだ。初めての記録は80kg。その2年後には初めてパラの国際大会への出場を果たし、135kgで優勝する(67.5kg級)。すると世界はいっそう広がった。

大堂 最初は高橋さんに勝ちたいという気持ちだけでしたけど、世界は高橋さんどころじゃない強い人だらけ。すると欲が出てきて、もっと上、もっと上、とつながっていったのが今の状況かな。パワーリフティングをやる醍醐味として重いのを挙げたいから、体重もつけていきました。

このころ同時に、健常者の大会にも積極的に出ていた。

大堂 パワーリフティングのいいところはバリアフリーなんです。他の競技だと健常者の大会で、障がい者の記録は認めないってよくあるじゃないですか。でもこの競技は、スタートまで2分で試技を開始するというパラリンピックのルールを適用しながら、健常者の大会でも国内の記録として認めてくれる。障がいがあろうがなかろうが、強いやつは強いと認めてくれるんです。

強さに障がいの有無は関係ない。大堂がパワーリフティングに夢中になった理由である。

「こんなに強いのに引退する必要なんてない」

こうして大堂はすっかり力をつけ、パラリンピックは2008年北京大会から3大会連続出場を果たす。最高はロンドン大会の6位。健常者の大会では2011年に200kgの記録を出した。もちろん、41歳で迎えたリオ大会のあとも競技を辞める気はなかった。

大堂 この競技は20代なんて雑魚(笑)。30代が一番強い。40代もまだ伸びしろがありますからね。

2018年には、心強い存在も現れている。2012年ロンドン大会で母国にメダルをもたらした英国人のジョン・エイモス氏が日本のヘッドコーチに就任した。エイモス氏のコーチングの特徴は、“効率性”にある。

大堂は過去3度パラリンピックに出場した第一人者だ(写真はリオパラリンピック)photo by X-1

大堂 ジョンのプログラムはしっかり疲れるけど、練習時間は短い。おかげで無茶しなくなりました。昔はジムで5時間くらいとことんやってたけど、今は1時間経たずに帰れたりします。前は週3日の練習は、週3回試合しているような感じでしたからね。

しかし、練習量を減らすことは選手にとっては勇気がいることではないのか。

大堂 でも、ジョンが「これで世界チャンピオンをつくった」っていうから、ただ信じればいい。それに2016年のドバイの大会だったかな。僕が棄権したとき、すっ飛んできて「ケガしたんだろ。大丈夫か。氷いるか。救急車呼ぶか」とすごく心配してくれたことがあったんです。その瞬間、この人は信頼できる人だ、って。こういう人なら、一人ひとりをちゃんと見て練習をつくってくれるというのがありました。

一方、エイモス氏は、大堂をハートの強い男だと評する。あるTVインタビューでは、試技にあたって不安要素を一切排除できる大堂のメンタルの強さを「クレイジー」とまで表現していた。

大堂 この競技は挙げられると思ったら挙げられるし、無理だ、と思ったらその時点で挙がらないんです。ケガをしたらどうしようかとか、不安にならないかですか? そんなの考えなきゃいいだけですよ。試合はそんなこと考えていたら進まないんで、いちいち考えない。

それと心理系のトレーニングは、ネガティブな情報から入ることが多いので聞かないですね。プラスの話から入るなら聞きたいけど、失敗をどう克服しますかという話ならいらない。先生方より僕のほうが絶対にメンタル強いですし。こういう自分は、悩んでいきついたわけではなく、お箸を持つように、僕が普通にやってきたことなんだけど、それを話すと、みんなおもしろがってくれるんですよね。

たしかに大堂と話していると、人生に大事なことを学ばせてもらっている気持ちになる。そしてインタビュー中、気づいた。大堂という人は豪放磊落(ごうほうらいらく)というよりきめ細かい。メンタルトレーニングの話題のあと、すかさず同席していた日本連盟の広報担当者にこうフォローした。

大堂 ごめんねー! せっかく連盟さんで先生方を用意してくれてるのに!

機転が利き、強くて優しい。それが大堂秀樹なのだ。鋭敏な心を持ちながら、試合ではひたすら挙げることだけに1点集中できる。そんな大堂が描く未来とはーー。

北九州 2018 ワールド パラパワーリフティング アジア・オセアニア オープン選手権大会では日本チーム唯一のメダルを手にした photo by Tomohiko Sato

大堂 僕の理想は世界チャンピオンになることなんですよ。どう取り組んだら世界トップのやつらみたいになれるかわからないけど、まだやれることはいくらでもある。46歳になった今、引退を考えませんか、とよく聞かれるけど、まだこんな強いのに引退する必要なんてないじゃないですか(笑)。

人類がどこまで重いものを挙げうるか、パワーリフター大堂はこれからも可能性を追求し続けてくれる。

text by Yoshimi Suzuki
key visual by X-1

『パラ・パワーリフティング界きっての強心臓。大堂秀樹は挙げることに1点集中する』