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バドミントン
19歳の車いすバドミントン初代王者、梶原大暉が金メダルの次に望むもの
東京2020パラリンピックで初めて採用されたバドミントン。車いす(WH2)で男子シングルスを制した梶原大暉が、「あこがれの人」という2人に挟まれて表彰台の中央に上がる。両手を挙げて、少しはにかんで――。
野球少年が魅了されたパラバドのチェアワーク
向かって右側にいるのは、予選リーグで降した世界ランキング2位の陳浩源(香港)。左側にいるのは「キング」と呼ばれ、決勝で金メダルを争った同1位のキム・ジョンジュン(韓国)だ。
やがて君が代が流れると、「鳥肌が立ちました。ずっと日の丸を真ん中の高いところに掲げたいと思っていたので特別な思いがありました」と万感の思いを打ち明けた。
梶原大暉、19歳。東京2020パラリンピックの大舞台で最高の結果を残し、強烈な存在感を示した。
中学生時代、全国制覇を目指す軟式野球チームでエース候補として期待されていた。だが2015年、中学2年だった梶原は、自転車で練習に向かう途中、トラックと衝突。昏睡状態から目覚めると、右大腿部から下がない。「もう野球はできないんだ」と絶望した。
中学3年のときに、スコアラーとして全国大会の準々決勝を経験。そこで野球への思いに整理をつけた。高校に進学した梶原が出会ったのが、パラバドミントンだ。チェアワークのカッコよさに惹かれてのめり込むと、野球で培ったメンタルで厳しい練習にも耐えた。2018年には全日本メンバーに選出され、その翌年には、28歳年上の村山浩とペアを組んで世界を転戦した。
国内外の一流プレーヤーから学び続けた
当初村山は、「私も真剣にパラリンピック出場を目指す中、大暉の経験の少なさは不安要素ではあった」が、それが杞憂だったと知るまでに時間はかからなかった。
実戦を重ねるごとに、梶原は実力をつけていった。村山とペアを組み始めたばかりのころは、経験豊富な村山にコートをより広くカバーしてもらっていたが、いつしか役割は逆転。村山は、梶原に宿る勝負師の本性に早くから気づいていた。「試合になると、目の光り方が変わるんです」。
10代の梶原は、海外の選手たちからもかわいがられた。「とくに陳選手やキム・ジョンジュン選手にはいつも優しくてもらい、たくさんのアドバイスをたくさんもらいました」と、メディア越しに感謝を伝えた梶原。両選手の動画も繰り返し見て、その強さを探ってきた。
一度も勝てなかった「キング」の壁を越えた
トップ選手に成長した梶原は、2019年11月のヒューリック・ダイハツJAPANパラバドミントン国際大会で3位となり、東京2020パラリンピック出場への道を切り拓いた。そしてパラリンピックの1年延長が決まってからは、福岡から上京してトレーニングを本格化させた。30kgから始めたベンチプレスは半年で70kgを挙げられるほどにパワーアップ。また、長期戦に耐えるべくスタミナ強化も図った。予選リーグでの陳浩源戦、準決勝でのキム・ギョンフン(韓国)戦は、試合時間がそれぞれ68分、47分と長丁場になったが、鍛えてきたフィジカルで制した。陳は言う。
「パラリンピックで対戦し、大暉のフィジカルが強くなったことに驚いた。今は60分間走り続けられる体力がある。そんなに簡単なことじゃない。今、彼は僕やキム・ジョンジュンレベルに来ているんじゃないかな」
そのキム・ジョンジュンとの決勝でも、梶原はコートをしっかりと走った。第1ゲームでは、15-10から7連続失点した直後の場面で長いラリーとなったが、最後は梶原のクリアが効いて再逆転。流れを引き寄せた。第2ゲームでは、キムをコート奥へしっかりと押し込み、甘くなったキムの返球をネット前から叩き込むシーンが随所で見られた。終わってみれば、スコアは21-18、21-19。梶原のストレート勝ちだった。
「たぶん7回目の対戦。初めての勝利です。失うものは何もないので楽しもうとしました。せっかくもらえたチャンスなので思いきりやろうって」
試合後にそう振り返った梶原は、手渡された日本国旗を広げると、照れくさそうにカメラのシャッター音を浴びた。
パラバドミントン界を引っ張る存在に
この種目でのパラリンピック初代王者に輝き、今度は追われる立場になる。強くあり続けなければならない一方で、梶原には、自分がパラバドミントン界を背負っていくのだという自覚も芽生え始めている。パラバドミントンは、日本ではまだプレー人口が少ない。
「(車いすテニスの)国枝慎吾選手のような(競技の)顔になる存在になれたらいいですね。もっとパラバドをいろんな人に知ってもらうために自分も頑張らないと」
シングルス決勝後に行われた、男子ダブルスの3位決定戦にも勝ち、村山とともに銅メダルも獲得した。3年後を見据え、こうも語る。
「パリ大会ではシングルスで2連覇したいし、ダブルスでは金をとって、2冠を達成したいです」
自分が活躍し続けることでパラバドミントンをやりたいというジュニアが増えれば、競技はもっと盛り上がる。金メダルの輝きによって、梶原の心には新たな夢も芽生えた。
edited by TEAM A
text by Yoshimi Suzuki
photo by Jun Tsukida