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車いすカーリング
パラ水泳のレジェンド河合純一さんに聞く 平昌からつなぐ東京へのヒント
2020年の東京パラリンピックまで、残り2年とちょっと。3月の平昌パラリンピックが閉幕し、次の東京へ向けた動きが加速している。
そんな中、全盲のスイマーとして6度パラリンピックに出場し、日本人でただひとりパラリンピック殿堂入り(※)を果たしている河合純一氏は、計10個のメダルを獲得した冬季の日本選手たちの躍進をどう感じたのか。夏と冬の違いはあれど、2020年につなげられるポイントが多くあった平昌パラリンピックを、独自の視点で振り返ってもらった。
※「パラリンピック殿堂」とは、国際パラリンピック委員会(IPC)が偉大な功績を残した選手やコーチを称えるため、2006年より制定したもの
メダリストは若手2人とベテラン2人だったが、全体的な高齢化も?
平昌パラリンピックでメダルを手にした日本選手は4人。早稲田大学の現役大学生・村岡桃佳(アルペンスキー)、24歳の成田緑夢(スノーボード)という若手が輝きを放った一方で、38歳のベテラン新田佳浩(クロスカントリースキー)と森井大輝(アルペンスキー)も挑戦と進化の末にメダルを獲得した。
「森井選手と村岡選手が初日にメダルを獲ったことが大きかったですよね。それが日本選手の勢いになり、本人たちも安心して次の種目に臨めたのではないかなと思います」
と河合氏は好成績に拍手を送りつつ、
「結果としてメダルを獲ったのがベテランと若手だったけれど、実質の内情としては決して若い選手が多いわけではない。そこにまだまだ課題が見えますよね」
と危機感を指摘した。
実際に、アルペンスキーの男子座位だけを見ると若手はいない。8ヵ国中8位に終わったアイスホッケーは平均年齢40歳超。
河合氏は世界の状況の分析や用具の追求をするとともに、
「日本チームとして、若手の発掘・育成も忘れてはいけない視点。高齢の選手の活躍も素晴らしいことだと思いますが、競技団体としてサステナブルな仕組みなのか検証することが必要」
と警鐘を鳴らし、出場できなかった車いすカーリングも含めて「世界から取り残されている部分がもっと明確になるといい」と語った。
とりわけ、2010年のバンクーバー大会で銀メダルを獲得しているアイスホッケーについては、国内でパブリックビューイングに参加するなどして応援しただけに言葉に力がこもる。
「勝てないと盛り上がらない難しさを感じました。逆に言えば、8年前の盛り上がりをなぜもっと活かせず、その後の強化や普及につなげられなかったのか。練習場所の問題や用具にかかるお金など要因はいくつかあると思うけれど、その分析が充分にできていない。優先順位をつけてどこから取り組んでいくのか、競技団体内で問題意識を共有できているかなど、掘り下げて考える必要があると思います」
検証が必要ということは間違いなさそうだが、なによりそこで導き出された問題点は、2020年以降の他のパラスポーツにも共通する課題やヒントになる。だからこそ、それぞれの競技団体が取り組んでいる問題やノウハウを共有する仕組みが必要だと河合氏は言う。
「競技団体のスタッフ同士、顔が見えるようになってきたけれど、ただ挨拶するだけじゃなくて、もっと本質的な問題解決に向けて一丸となるようにやらないと、東京までのあと2年がもったいないと思いますね」
まだまだできることはたくさんある。
メダルとプレッシャーは切っても切れない関係。プレッシャーに打ち克つためには?
選手として活躍したのち、日本パラリンピアンズ協会会長などを務めている河合氏は平昌パラリンピック出場選手との交流も多い。
アルペンスキーの村岡とは、早稲田大学の先輩後輩という間柄。河合氏らが担当する講義にゲストスピーカーとして登壇してもらうこともあったという。
「ほぼ海外経験がない状態で挑んだソチパラリンピック当時とは違い、今回はワールドカップで実績を残していた自信もあったのでしょう。やはり一度目より二度目のパラリンピックのほうがメダルの可能性は高いし、学生たちからの質問にも淡々と答えていた」
とその印象を語る。
「大会中はメダルを獲るにつれて自信がつき、コメントも変わっていったと思うし、最終的に5つのメダル獲得と大きな成果を出しました。とくに金色を獲ることによって得られたものは大きいはず。背負うものは増えるけど、彼女の言動がこれからのパラアルペン界を引っ張る原動力になるでしょうね」
と話し、今後のさらなる飛躍に期待した。
また、スノーボードのメダリストになった成田とは1年前、ともにトークショーに登壇している。
「彼は非常にポジティブ。障がいに向き合うことで競技に対する姿勢も変わったんだと思うけど、おそらく平昌でもプレッシャーをプレッシャーと感じず、むしろプラスに転換し、自分の力にできたのが強かったんじゃないかと思います」
自身の初パラリンピックを振り返ると、「むしろあまり緊張はしなくて、好きにやっていました(笑)」と河合氏。パラリンピックは出場回数を重ねるにつれて、大会の規模も大きくなり、背負うものも増えると感じる選手が多いという。
次の東京大会では、自国開催のプレッシャーが選手たちにのしかかることは想像に難くない。
「どうにもできない事象が起きたときに、ポジティブに捉えられるか、ネガティブに考えてしまうか、それは日頃のトレーニングで鍛えられる“考え方のクセ”によるもの。プレッシャーを跳ね除けようとするのはなく、本番で“プレッシャーを跳ね除ける装置”みたいになっている選手が強い。プレッシャーって選手である以上は切っても切れないものですから、プレッシャーを楽しむことが重要ですよね」
声援を味方に変えてきた河合氏は、高いレベルで戦う選手たちへ期待を込めて語った。
2020年に日本が活躍するカギは団長!?
平昌パラリンピック日本代表選手団の大きな特徴は、初めて金メダリストであり、元アルペンスキー選手の大日方邦子氏が日本代表選手団の団長としてチームを率いたことだ。
河合氏は、平昌大会の功労者として大日方団長の名を挙げた。
「大日方さんは目標のメダル数を発言するときなんかは、選手たちにいらぬプレッシャーをかけまいと、苦慮していたようにも感じました。でも選手だった人が団長になり、以前からそういった傾向のあった強豪国を参考にすることで、新たな一歩を踏めたように思います」
実績のある選手が団長になることで、競技団体と密にコミュニケーションを図りながら、強化に何が必要なのかを一緒に考え、よりチームとしての一体感が強まるメリットがあるのだと河合氏は力説する。
「諸外国と幅広くつながっていくことも今後は重要。外交面でも顔になる元選手が前面に立つことは、これからの時代に必要なことかもしれません」
東京パラリンピックに向けて、日本代表選手団がチーム一丸となって臨めるように、これまでより早い段階での体制づくりが求められるに違いない。
「平昌は、パラリンピックという歴史の中におけるひとつの大会であり、次の東京、4年後の冬季北京大会……と続くひとつの局面でした。東京パラリンピックやそれ以降につながるヒントがたくさんあったのかなと思います」
平昌から東京へ。パラリンピックのレジェンドが語る言葉の数々には、世界に通用するチームづくりのアイデアが散りばめられていた。
text by Asuka Senaga
photo by Parasapo , X-1
河合純一(かわい じゅんいち)