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パワーリフティング
【パラスポーツ最前線】13歳と23歳、僕たちがパラスポーツを始めたきっかけ
東京2020オリンピックの開幕まであと2年を切った。オリンピック閉幕の約2週間後(2020年8月25日)に始まるパラリンピックへの注目度も次第に高まり、パラスポーツを取り巻く環境は以前と比べ大きく変わった。それでも、パラスポーツを始めたい人は、自分がどんなスポーツにチャレンジでき、どうやって始められるのか。意外なことに、少し前までそういった情報にたどり着くのが難しかったのも事実だ。
平昌パラリンピック・スノーボードの金メダリストで、競技は未定だが夏季競技で東京2020オリンピック・パラリンピックへの挑戦も表明している成田緑夢も、ケガをした後、パラスポーツの情報集めに苦労した経験があるという。
「卓球協会や水泳連盟とか、情報を得るためにいろんなところに電話をしまくって、できる競技を探しました。そうしたら陸上連盟から『パラスポーツ発掘イベントがありますよ』と教えてもらい、それが陸上を始めるきっかけになりました」
パラスポーツの情報を求めているのは、成田のようなトップアスリートだけではない。みんなはどのようなきっかけでパラスポーツを始めたのか。パワーリフティングと車椅子ハンドボールに取り組む若者2人を訪ねた。
左半身まひでバーベルを握れない…からの「楽しくて仕方がない!」~パワーリフティング・橋詰崇紀(23歳)~
昨年9月に行われた「つくば市市民ベンチプレス大会」に初めて参加した橋詰崇紀は、45㎏の重量を挙げてメダルを手にした。
ベンチ台に横たわり、バーベルを胸から押し上げるベンチプレスは、上半身の筋肉を鍛えるパワー系のスポーツだ。フィットネスの代表格でもあるが、とりわけ下半身に障がいのある人のための競技は、夏季パラリンピック(競技名:パワーリフティング)にも採用されている。
きっかけはパラスポーツ診断サイト「マイパラ!」
橋詰がパワーリフティングを始めようとウエイトトレーニング専門ジム「パワーハウスつくば」に初めて足を運んだのは、その3ヵ月前。ハンドボールに似た球技「ハンドサッカー」に取り組むなかで、「パスやシュートのパワーをつけたい」と考えたからだ。
障がい者でも健常者でも取り組める、パワーリフティングは母が見つけた。ツイッターの新着記事として表示された日本財団パラリンピックサポートセンター(パラサポ)のニュースで、自分の障がいに合ったスポーツを探せるパラスポーツ診断サイト「マイパラ!Find my Parasport」の存在を知ったのだ。「何ヵ月も前に申し込んでスポーツをしにいくのではなく、ふらっとトレーニングに行ける場所を探していた」と母。実際に診断で表示されたパワーリフティングについては、リオパラリンピックの報道で何となく知っていた。だからこそ、左半身まひで左手が思うように動かせない息子は「受け入れを断られるかもしれないな」という不安が頭をよぎったという。
それでも「やってみたい!」と扉を叩いた橋詰に対し、オーナーの瀬尾桂一はこう話す。
「もともと脊髄損傷で車いすを利用している会員は多く、できる限り受け入れたいと考えていました。ですが、これまで握力の弱い人というのは受け入れたことがなかったので、『バーベルが握れるかな』という心配はありました。実際に会ってみたところ、バーベルは握れなくとも、持っていられることはできたんです。だから『どうにかなっかな』と。はじめは、ひじを曲げる動作と肩を後ろに引く動作を同時にすることも難しかったので、手を抑えてあげるなどのサポートをしながら取り組んでもらいました。自分は高校生のときからパワーリフティングをやっていて、うちのジムも競技を主体としています。パワーリフティングという競技は補助員がとても大事で、ジムでもバーベルが上がらないときはメンバーが助けてくれます。協力し合う土壌ができていたことも大きかったと思います」
はじめてベンチプレスを行ったとき、重りは付けず、シャフトと呼ばれる棒だけでトライした。だが、左半身まひのため体に左右差があり、まっすぐ挙げることが難しかった。自重でスクワットをするだけで筋肉痛になり、車に乗ろうとお尻を上げると痛みが走った。
だが、橋詰は楽しくて仕方なかった。
「とにかく何回かやってみようと思っていました。通ううちに、周りのみんなと話しながらトレーニングをしたり、1㎏ずつ重りを増やして挙げたりするのが楽しくなっていきました」
全身に筋力がついたことでバランスが良くなり、ハンドサッカーでもパスのスピードが向上。身のこなしも早くなり、「相手にボールを取られることも少なくなった」とトレーニングの効果を実感する。
瀬尾が「足が速くなった」と言えば、母も「パワーリフティングを始めて脚が太くなったような気がします」と目を細める。
週2回、仕事帰りにパワーハウスに通い、15㎏からスタートした重量は、3ヵ月後の大会で3倍の重さまでパワーアップ。1年間続けた現在は、54㎏の重りを挙上できるほどになったという。
「まだ全然ダメですが、3ケタ(の重量を)挙げるのが目標です」
充実感と汗をにじませながら、カラダを動かす歓びと記録を伸ばしていく楽しさを語ってくれた。
車椅子ハンドボールに出会い、開いた扉~川嶋世羅(13歳)~
スポーツにハマる理由は様々だが、これまで味わったことのない歓びを感じ、さらに新しい自分に出会えるという人もいる。大阪府にある医療系・藍野大学の車椅子ハンドボールサークル「Tops」で唯一中学生の川嶋世羅(13)は、半年前から始めたこの競技に夢中だ。
「競技用の車いすは、病院にある車いすよりもずっと動かしやすくて小回りが効く。(ブレーキがなく)攻守の切り替えをスピーディーに行うのは難しいけれど、高い技術を身につけて迫力あるプレーができるようになりたいです」
先天性の二分脊椎症で、普段は装具を着けて日常生活を送る川嶋は、小さいころからカラダを動かすことが好きだった。インターネットでさまざまな車いすスポーツを検索したが、「車いすバスケットボールやウィルチェアーラグビーなど有名なパラリンピックの競技ばかりヒットし、しっくりくるものに出会えませんでした」。一方、地元の関西発祥で、幼いころにイベントで触れたことがある車椅子ハンドボールにチャレンジしたいと思い、母親が小学校の担任に相談。そこで、自宅から比較的近く交通が至便な藍野大学のサークルをすすめられたという。
「足は動かないけど、ボールを投げる力はあるので、(自分の残存能力を)活かせるスポーツをしたかった。YouTubeなどを見て、自分は車椅子ハンドボールがやりたいと思いました」
チーム競技の楽しさと積極的になる自分を発見
週2回の練習に加え、リーグ戦にも出場。スタミナ強化の必要性を実感していると言い、上半身が強くなっていく変化を感じながら、自身の内面も変わったと明かす。
「どうやったら勝てるか、チームで戦術を立てるのが車椅子ハンドボールをしていて楽しいところです。そうやってみんなと話していくうちに、車椅子ハンドボール以外の相談をできる人も増えました。これまであまり自分から人に話しかけるタイプではなかったのですが、車椅子ハンドボールをプレーするようになって積極的になりました」
シャイななかにも競技への情熱をのぞかせる川嶋は、これからスポーツを始めたい人たちにこんなメッセージを送る。
「障がいがあってできないこともあるけど、パラリンピックを見たりして足が動かなくてもできることはあると気づくことができる。いろいろなスポーツを調べれば“自分の強いところ”を活かせる競技に出会えると思います」
さらにいえば、車椅子ハンドボールや車いすバスケットボールのように、健常者もプレーできるのがパラスポーツのひとつの魅力だ。
前出の「マイパラ!Find my Parasport」で旗振り役を務めたパラサポのプロジェクトリーダー・前田有香は語る。
「障がいがあってもなくても、まずはパラスポーツに触れることがパラリンピックを応援するきっかけになるのかもしれません。全国のパラスポーツをやってみたいという人たちにしっかり届くように、マイパラ!ウェブサイトの認知度をアップさせていきたいです」
パラスポーツを始めたい人を後押しする取り組みが、さらに広がることを願いたい。
text & photo by Asuka Senaga