日本の古い指導体質に注意!? 自分の頭で考え判断し行動できる正しいスポーツ教育のあり方
野球の大谷翔平選手、テニスの大坂なおみ選手、ゴルフの松山英樹選手、フィギュアスケートの羽生結弦選手……世界で活躍する日本人アスリートは枚挙に暇がない。彼らに憧れてスポーツを始める子どもたちは多い。そんなスポーツ文化が盛り上がりを見せるのは良いことだと思われるが、一方で取り組み方によっては子どもたちに「負」の影響を及ぼしてしまう可能性があることを忘れてはいけないと語るのがスポーツジャーナリストの永井洋一氏だ。今の時代に改めて求められる、「個を育てる」正しいスポーツ教育のあり方について伺った。
先輩・監督の言うことには絶対服従。日本の古い指導体質がもたらすもの
そもそもスポーツは何のためにするのだろうか。ただ単にやると楽しいから、健康のため、そしてオリンピック・世界選手権で優勝、トップに立ちたい、○○選手のように世界へ行きたいから。どれも納得できる答えだ。また、子どもにスポーツをさせようという親御さんにとっては、教育のため、礼儀や秩序を学んで人間的に成長してほしいためという理由も大きいのではないだろうか。しかし、スポーツで本当にそれが叶うのか? と永井洋一氏は疑問を唱える。
「僕がずっとやってきたサッカーは、今でこそ海外で活躍する選手も出てきましたが、銅メダルを獲得した68年メキシコ五輪以降、低迷期が続きました。その原因の一つに、科学的根拠もないのにただただ苦しいトレーニングを重ねて艱難辛苦の果てに勝利があるという思考、あるいは指導者の言うことは絶対で、個を主張せず集団としてみんな横並びに同調することが必須、といった独特の精神文化があると思っていました」(永井氏、以下同)
永井氏のこうした洞察は、自身のスポーツ経験の中でも実体験として裏付けられている。
「僕が小学生のとき、地域の少年を集めて野球チームをつくるということになり、練習会みたいなものがありました。指導していたのは今から考えると高校生ぐらいのお兄さんだったと思いますが、やったのは体力トレーニングだけでボールは一切触らせてもらえない。ランニングやダッシュの練習をさせられて水は一切飲むなと。飲みたいと言うと“ばかやろう!”と一喝される。そんな苦しい練習を続けていたら、あるとき野球のことをよく知っているらしいおじさんがやってきて、『そんな練習じゃだめじゃないか、走るならベースランニングなどもっと野球に結びついた走り方をしなきゃ』と言ってくれました。『そうか、苦しむことと上手くなるために意味のある練習とはちがうんだ』と思った。それが原体験になっていますね」
勝利至上主義の異様な空間は、優しい同級生の人格さえも変えてしまう
永井氏は中学校ではバレーボール部に入部。ここでも非科学的、非論理的なことの強要や、画一化に向かわせる強力な同調圧力などに一貫して違和感を覚えていたのだという。
「バレーボールの部活でキャプテンが『気合いを入れて県大会、全国大会を目指そうぜ! だからみんなで坊主(丸刈り)になろう!』と言ったんです。僕は絶対に丸刈りは嫌だったからしなかった。するとみんなから白い目で見られましたね。またある時は、部員全員が暗い体育倉庫に入って「気合を入れる」という目的で自ら正座するという異様な行動があった。たぶん、先輩たちから同様なことをされてきたから、そうすることが正しいと思い込んでいたのでしょうね。そのときキャプテンが、僕がニヤッと笑ったと身に覚えがないことを指摘して『おいS、永井をビンタしろ!』と当時エースで身長182cmもあったS君に指示したのです。S君は普段、優しくて大人しくて、とても同級生をビンタするような子じゃなかったんですが、彼は黙ってのっしのっしと僕の前にやってきて鬼の形相でバンッ! と殴ってきました。驚きましたね。命令するキャプテンにも、人が変わったように僕を殴るS君にも。勝利とか気合いなどといえば、人はこんなにも変貌するものなのかと唖然としたわけです」
永井氏は大学のサッカー部でも、日本のスポーツ界に根強く残る矛盾を体験する。永井氏の母校は当時スポーツ推薦を行わない一般校としては好成績で、強豪校と伍して戦える順位にいたという。
「監督は国立の教育系大学の出身でスポーツ科学を学んでいたはずなのですが、これまで残してきた実績は『相手の三倍走る』ことで築いたのだという論理で、ただひたすら身体的限界に追い込む練習を強いられました。その頃には海外のサッカーをはじめとするスポーツの情報がいろいろ入ってきて、他の学校の練習やプレーの内容も近代的なものに変わってきているのに、自分は論理的根拠のない精神論で苦痛ばかり強いられる毎日だったわけです。いつまでたっても非論理的な過去の成功体験ばかり押しつけられる。僕が小学生の頃からやってきたばかばかしい練習、理不尽な体験がずっとここまで続いている。こんなことをやっているからこのサッカー部も、サッカー日本代表も、そして日本のスポーツもだめなんだと。もうこれは、子どもの頃のスポーツ教育から直していかなければいけないんじゃないかと考えたんです」
そして永井氏は縁あって、少年のサッカー指導に関わるようになり、以来40年以上、日産FC(現・横浜F・マリノス)でのプロコーチとしての活動をはじめ幼児から社会人まであらゆる年代の指導を続けている。
自分で考え判断し、自立した「個」を作るスポーツとは
自身が幼少の頃に比べて、スポーツの指導状況はずいぶん変わった、と永井氏は言う。一早く海外のコーチを日本に呼び、トレーニングなどのシステムを変えていったサッカーを筆頭に、日本のスポーツ界にも論理的、科学的なアプローチが定着し、世界にひけをとらない日本人選手が続々と登場しはじめている。
「先日、冬季オリンピックに臨むモーグルやハーフパイプの選手の記者会見を見ましたが、海外メディアの質問にみんな英語で答えていました。きちんと自分で考えて自分の言葉で表現することができる選手が増えているのは喜ばしいことです」
ただ、子どもの指導をしているとき、どうしても気になることがあるそうだ。それは自分でどうしたらいいかを決められない「指示待ち態勢」の子が多いということ。自分で判断した結果、失敗するリスクを冒したくない、安全圏にいたいという気持ちが強いという。
「子どもたちに教えていると、彼らが言うのが『はい、コーチ、次は何をやるの?』と。僕がコーチを始めた40年前は、みんなギャーギャーうるさくて僕の言うことなんか聞きもしなかった。それに比べれば従順で良い……かと言えばそうではありません。スポーツとはその瞬間瞬間、一番適切なものを選択することを連続していくもの。つまり自己判断の結集がスポーツなんです。だって、コートでボールを持った選手がいちいち監督に指示を仰ぎますか? そんなことしていたら勝てないし、そもそも面白くない(笑)。だから、おしゃべりは困るけど(笑)、指示通り模範的に動くだけじゃなく、もっと独創的であってほしいなと」
それは、何も子どもに限ったことではないのだそうだ。日本サッカー協会が出している機関誌でも、いちいち監督にどうしたらいいか尋ねる高校年代のトップレベルの選手がいるのを嘆いている監督のエピソードがあったという。
「スポーツは、取り組み方や環境によって良いものにもなれば悪いものにもなってしまうことを、指導者も指導される子どもも、その子どもにスポーツをするように勧める大人も忘れてはいけないと思います。そして、スポーツ云々を語る前に、人間は個として自立した存在でなければなりません。常に自分の目で見て、頭で考えて、自分の意志で判断して行動する力が必要です。それはアスリートに限ったことじゃない。社会に生きる私たち一人一人が備えておくべき力です。個としての自立を促すにはスポーツが一番というのが私の持論です。しかし、スポーツは指導方法によってはそういう力を奪ってしまう恐れがあります。指導者はアスリートがスポーツを通じて自立した人間に育つよう環境整備をしていくことを自らの使命としていくべきではないでしょうか」
心理的不協和がまん延する社会でスポーツの果たす役割
永井氏が“個の独立”が重要であることを強く主張するのは、現在の社会の風潮に対する危機感からでもある。
「誰もがSNSを使ってコミュニケーションをする時代になりました。その結果、他者から自分はどう見られるかという不安が増大し、批判や誹謗中傷に神経質になって、同じ意見を持つ者同志で集まって異質な者を排除するという悪しき傾向も目立つようになりました。それはいじめの温床にもなっている。そういう同調圧力の強い集団を作る傾向が強まっているのは、社会としてとてもよくない傾向です」
永井氏は現在、縁あってとある幼稚園で園長を務めている。その園は、「子どもには、自分を育てる力が備わっている」という「自己教育力」の考え方に基づいた「モンテッソーリ教育」を行っており、1日のうちに一定時間、一人ひとりがやりたいことを好きなようにさせる時間を持っている。子どもたちは、たまに来園する大人を驚かせるほどの落ち着きぶりを見せるのだという。
「子どもが内面から発しているものを抑えつけることなく、主体的に動くことを認め満足させてあげているので、自分の欲望を歪んだ形で発散させようという気持ちが起こらないのだと思っています。欲求不満を解消するために、いじめに走ったり、大人を困らせて注意を引く必要がないのでしょう。普段そのように自立して動くことが許されていると、集団行動は苦手なんじゃないか思われがちですが、逆に『ここはそういう風にするものだ』と理解できれば、集団の秩序をきちんと守ることもできるんですよ」
自らの意思で自分の行動を形づくっていくことはスポーツではとても重要だ。野球の大谷翔平選手やゴルフの石川遼選手は、子どもの頃にひとつの種目ではなく多彩なスポーツを経験したことが、後の活躍に繋がっている。他者に縛られることなく自ら進んで多様な視点を持ち、さまざまな経験を積んでいくことが、最終的に他者に真似できない独自のプレーを編み出していくための大きな要素になっていることが示されている。
「AI技術の発展で、10年後になくなる職業は……などということがよく言われますが、AIでは置き換えることのできない人間の能力は“意味を理解する”こと。つまり論理的な思考力と読解力です。これらを醸成するのにもスポーツは役立つと僕は思っています。僕もそうですが、これからの時代、スポーツに関わる人間はスポーツを通じて自らの頭で考え、判断し論理的に考えて行動できる人間、個として自立した人間を作るという大きな使命を帯びていることを深く肝に銘じていくべきではないかと思います」
音楽が好きな永井氏は、最近流行りの曲の歌詞にも違和感を覚えるのだそうだ。1から10まで全部を説明し過ぎると。それは、行間を読んで想像する力が衰えてきているからではないかという。このように話はスポーツに留まらず、園長を務めている幼稚園から日本の個人主義まで多岐に及んだ。ただ楽しむだけではないスポーツの役割・使命についてこれからも考えていきたい。
PROFILE 永井洋一
1955年、神奈川県生まれ。成城大学文芸学部マスコミュニケーション学科卒業。スポーツジャーナリストとして、サッカーを中心に、取材・執筆活動をするかたわら、海外リーグのテレビ解説者としても活躍。サッカーコーチとしての指導歴も40年以上で、1985~88年に日産FC(現 横浜F・マリノス)でプロコーチとして活動し、現在もNPO港北FC(神奈川県横浜市)の理事長として組織運営と指導に携わり、幼児から社会人まであらゆる年代の指導経験をもつ。著書に『スポーツは「良い子」を育てるか』(NHK出版)、『少年スポーツ ダメな大人が子供をつぶす! 』(朝日新聞出版)など多数。
<参考図書>『子どもがスポーツをするときにこれだけは知っておきたい10の本質』
永井洋一著/徳間書店
スポーツは良い側面と悪い側面がある。楽しさを優先しては強くなれない? ひとつのことだけをやり抜かないと勝てない? 結果がすべてに優先する? スポーツの考え方を変えることで、より良い人間形成に繋がる。AI化が進むグローバルな現代社会で、どうしたらスポーツを通じて、自らの頭で考え、判断し、論理的に考えて行動できる、自立した個の強さをもつ人間が育つのか。10の本質を通じて指導歴40年以上のスポーツジャーナリストが、その答えに迫った一冊。
text by Sadaie Reiko(Parasapo Lab)
photo by Shutterstock