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車いすフェンシング
同時開催が初めて実現! [車いすフェンシングオープン大会]で安直樹が初優勝!
12月26日に東京・駒沢体育館(東京都世田谷区)で開催された「車いすフェンシングオープン大会」は、さまざまな面で、パラリンピック競技の多くが抱える現状と可能性が、垣間見えた大会だったように思う。
今大会は日本の車いすフェンシングにとって画期的な大会だった。初めて、日本フェンシング協会主催の「全日本フェンシング選手権個人戦」と同時開催で実施されたのだ。
一般男女の試合が進むなか、車いすフェンシング用には第1ピストが与えられ、車いすを固定する装置が設置され、ウォーミングアップもそのピストで行われた。予定より少し遅れて始まった予選の直前には、わざわざ場内放送で観戦が呼びかけられ、簡単なルールも説明されるなど、「車いすフェンシングをアピールしよう」という意図が強く感じられた。
2020年東京を見据え、他競技から転向も
今大会では男子フルーレ(胴体への「突き」だけが得点になる種目)のみが行われ、決勝で安直樹が藤田道宣を競り合いの末、15対11で下し、初優勝を飾った。試合後、「ホッとしている」と安堵の表情を見せた安は、今年3月にフェンシングを始めたばかり。安は、昨年7月まで約20年、車椅子バスケットボールの選手としてプレー。海外のクラブチームにも身を置き、プロ選手だったこともある。だが、2020年東京パラリンピックを見据え競技転向を決め、さまざまな競技を試した結果、新天地に選んだのがフェンシングだった。
「目標はあくまでも20年大会で結果を出すこと。今大会は次につながるような成果や課題が見られる試合にしたかった」と振り返った安。競技人口の絶対数が少ないパラスポーツ界では、20年に向けた強化として現役選手の「競技転向」に寄せる期待は大きい。安はその先駆けともいえるひとりだ。
決勝戦は一般のフェンシングと同じく、会場の中央に一段高く設置された特別仕様のセンターピストで行われた。BGMが鳴り、ライトアップされ、安と藤田の名が場内にコールされる。安は「緊張と喜びを感じた」と振り返る。
そうして、会場中の視線が二人に集まるなか、試合は始まった。3分間で15点先取したほうが勝ちとなる。先制したのは安だった。が、すぐに追いつかれ、4対5と藤田に逆転を許す。しばらくは追いかける展開で、7対9まで離されたところから、安が巻き返した。9対9の同点に追いつくと、今度はじわじわと引き離した。14対11の時点で、ビデオ判定のための中断があったが、気持ちを切らすことなく冷静に攻め、決勝点となる15点目を奪った。
安は、「(藤田には5点先取の)予選で1対5と惨敗していたので、『力を抜いて、まっすぐに突く』という基本に立ち返ろう。(経験の浅い)自分にはそれしかできない」と決勝戦に臨み、リードされた場面では、「これまでやってきたことを信じて、『とにかく突こう』と開き直った」という。長年のアスリート経験と、新人フェンサーとして無心さの勝利だった。
健常の大会との「同時開催」が示したこと
日本車いすフェンシング協会の小松真一会長は、「(20年)東京大会の成功という目標に向かって取り組んでいるなか、フェンシングファミリーとして、僕らの夢だった『同時開催』を実現でき、(車いすの)選手にも協会スタッフにも大きな経験になった。また、『車いすに乗ってみたい』と興味を示した健常のフェンサーが多かったことも心強い。多くのフェンサーに理解され、広がっていくことは大きな意味がある」と、その意義を話した。
実は、車いすフェンシングも1998年に日本選手権が初開催され、海外選手が参加した年もあったが、参加者の減少などから2003年の第6回大会を最後に中断していた。20年東京大会の開催決定の追い風を受けて、今年から「復活」することになった。そして、各方面の後押しにより一気に、「同時開催」まで実現したという。
ただし、車いすフェンシングの大会は本来、障がいの程度によってAとBの2クラスに分かれて行われるものだが、今年は参加者が男子4選手だけだったため、クラス分けのない「オープン大会」として実施された。小松会長は、「来年は参加者を増やし、2クラス制で実施しなければ」と気を引き締めていた。
また、小松会長と長年の交流があり、活動を支援してきた、フェンシングナショナルチームの江村宏二コーチは、「フェンシング関係者にこういう場で、車いすフェンシングのサポート方法を見せられたことは20年に向けて大きな前進だ。両協会が一緒にやっていこうと、ひとつになれた気がするし、これから何をやらねばならないのか、皆で共有できたのではないか」と手応えを口にした。
実際、車いすフェンシングはファンにも好印象だった。フェンシング部員だという、男子高校生は、「この競技は全く知らず、(車いすが)固定されていてビックリした。体を最大限に動かして、相手が突きにくるところをうまく突き返していて面白かった」と話し、フェンシング経験者という中年の男性は、「実際に観たのは初めて。脚で動けない分、剣さばきで高い技術が求められるし、体力もかなり使うのではないか。競技人数が少ないので、これを機会に増えていけばいいと思う。フェンシングの1カテゴリーとして試合を一緒にやることに何の違和感もない。むしろ、どんどんやるべき」と歓迎していた。
競技人口は20人……立ちはだかる課題
とはいえ、車いすフェンシングの競技人口はまだ、全国で20人ほどだという。選手を増やす『普及』と20年東京大会でのメダル獲得に向けた『強化』のバランスが課題だ。
選手という立場から、安は、「普及も大事なので、自分もできる限り協力したい。ただ、20年東京大会まであまり時間がない。結果を狙う選手としては強化にも力を入れてほしい」と希望する。ただ、現状を考え、安は自ら動くことを選び、来年早々には単身で海外武者修行に出る予定だという。「(東京まで)あと4年。強化体制が整うまで待っていては手遅れになる不安がある。切磋琢磨できるライバルもほしいし、コーチも見つけたい」と話す。
今回の同時開催はたしかに大きな一歩だが、よりくっきりと浮き彫りになった課題に、この経験をどう生かしていくかが大切だろう。新たな歴史を刻んだ車いすフェンシング。今後の歩みを見守りたい。
text by Kyoko Hoshino
photo by X-1