いざパリへ。若きヒーロー小田凱人が紡ぐ“言葉”の軌跡をたどる

2024.08.19.MON 公開

「パラリンピックに挑むまでの過程は、ほぼパーフェクト」
パリ大会に向けた記者会見でこう話した車いすテニス小田凱人。その小田による物語の第一章が佳境を迎えようとしている。

15歳でプロになって以降、車いすテニス界の歴史を次々と塗り替えてきた。高校入学と同時期にプロになり、グランドスラムで優勝、ランキングでは世界の頂点にも立った。積み上げてきた輝かしい経歴と、冷静沈着に受け応える姿は、時に貫禄さえ感じるほどだ。「金メダル候補」といわれても、「自分らしく戦うこと」を貫く若きヒーローが口にしてきた言葉の軌跡をたどってみたい。

「病気と闘っている子どもたちのヒーロー的な存在になれるような選手を目指して頑張っていきたい」

―2022年4月 プロ宣言したオンライン記者会見で
あどけなさが残る15歳11ヵ月の小田がプロ宣言した。16歳の誕生日を迎える10日前のことだ。このときシニアの世界ランキングですでに9位につけており、「プロになることは必要だった」と、覚悟を語った。同時に、世界のトッププレーヤーになることだけでなく、“ヒーローになること”への意欲も語った。

2022年4月に15歳で行ったプロ転向会見
photo by 提供写真

「(涙は)悔しいわけじゃない。うれしくて勝手に涙が出てきた」

―2022年10月 楽天・ジャパン・オープン・車いすテニス・チャンピオンシップスの決勝で国枝慎吾に敗れた後のスピーチで
プロ宣言から約5ヵ月後、舞台は整った。車いすテニスの試合では異例といえる約1万人の観衆が見守るなか、絶対王者・国枝慎吾との決勝が始まった。国枝に食らいついた小田はファイナルセットで逆転。だが、最後は力及ばず国枝に軍配が上がった。試合後のスピーチでは、涙で言葉をつまらせながら「うれしい」と話し、結果的に最後の対戦となった名勝負を振り返った。

2023年4月の飯塚国際車いすテニス大会では国枝がプレゼンターとなって小田に天皇杯を手渡した
photo by Tomohiko Sato

「それだけの力が僕にはある」

―2023年6月 全仏オープンで優勝を果たした帰国後の会見で、世界ランキング1位になったことを受けて
車いすテニス四大大会のひとつ全仏オープンで優勝した17歳の小田は、「同大会最年少優勝」、「グランドスラム最年少優勝」(いずれも、車いすテニス男子シングルス)、「車いすテニス史上最年少で世界ランキング1位」という称号を手にして凱旋した。結果を残さなければならないプレッシャーのなかでも自信をのぞかせた。

2023年6月、17歳で「凱旋会見」
photo by Hiroaki Yoda

「シャンパンを開けたい気分ですが、僕はまだ17歳。炭酸水でお祝いしたいと思います」

―2023年7月 ウインブルドン選手権で初優勝、英語で行ったスピーチで
この大会約1ヵ月前に全仏オープンでグランドスラム初優勝。世界ランキング1位として臨んだ王座をかけ、世界ランキング2位のアルフィー・ヒューイット(イギリス)と対戦。だが、終わってみればストレート勝ち。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった。優勝後のスピーチでは流暢な英語を駆使し、ユーモアをきかせたコメントで、観客を楽しませた。

「僕のやるべきことは、ガンガン攻めること」

―2023年10月 木下グループジャパンオープンテニスチャンピオンシップスのインタビューで、世界ランキング1位で迎える初めてのホームゲームであることを受けて
世界ランキング1位になって初めて日本で行う試合。ただ小田は、1位になったことで、下位のころに感じていた「食ってくぞ」という熱量が消えていくことに怖さを感じたという。一方で、攻めるという若さをいかした熱いプレーが必要なことも自覚。熱量を下げないでプレーすることを誓った。

「いやもう、めちゃめちゃ自信あるし、このままいけば全然、今んとこ心配するようなことはない」

―2024年4月 飯塚国際車いすテニス大会でパリパラリンピックについて聞かれて
パラリンピックを約4ヵ月後に控え、目標に対する質問に、「やっぱりトップになりたいなって思いますし、とりあえず楽しむ」とコメント。「楽しくなかったら結果もついてこないし。金メダル(を獲得できるかどうかも)も楽しめるか、楽しめないか。楽しんだときの僕は誰よりも強い、という自信はある」と自身に言い聞かせるように語った。

2024年6月、2冊の書籍『凱旋 9歳で癌になった僕が17歳で世界一になるまでの話』、『I am a Dreamer 最速で夢を叶える逆境思考』を出版。母校である愛知県一宮市の西成中学校で全校生徒に著書を贈呈した
photo by Hiroaki Yoda

「テニスで成功しないと何も残らない」

―2024年6月 母校にて、中学校生活を振り返る場面で
通信制高校に進学した小田にとって、中学校は“最後の学校生活”となった。合唱コンクールや体育祭の記憶を思い出し、もう二度と戻ってこない時間に少しセンチメンタルになった様子もうかがえた。高校1年生のときは、自分が選んだ道に対してネガティブな気持ちがあったと吐露したが、世界の頂点に立ったことで自身の選択を肯定することができたという。そこからは、学校生活の思い出をつくれない分、テニスの結果にこだわるようになった。

「かっこいいと思ったことはないが、かっこよくなりたいっていう気持ちは、やっぱもう単純男子だからある」

―2024年6月 取材会で「かっこいいを意識しているのか」という質問を受けて テニスコートを離れれば、やっぱり等身大の18歳。かっこよくなりたい気持ちは自然現象といい、服装や髪型に対する意識も高い。インスタグラムの肩書は「アーティスト」となっており、“魅せること”も気にかけているようだ。かつてのインタビューでは、物事を発信することが大事だということを元サッカー日本代表の本田圭佑さんを見て学んだとコメントしている。

2022年10月のインタビュー撮影
photo by Hiroaki Yoda

「(パリパラリンピックは)特別ではない。テニスをこれまで続けてきて僕の中で、そこまでが第1章」

―2024年6月 取材会で、パリパラリンピックは自身にとってどういうものかを聞かれて
パリ大会を「集大成になると思う」と小田は語る。これまで思い描いたステップを踏んできた小田は「1回幕を閉じる場面もあるし、それはイコール、新しい扉が開く」と次の舞台も見据える。

凱旋門の凱の字を名前に持つ。2024年8月の会見では「自分の大会だと思ってやりたい」と意気込みを語った
photo by REUTERS/AFLO

パリではどんな言葉が飛び出すか。いよいよ幕を開ける「人生のいろいろなことが詰まった舞台」での活躍を見届けたい。

text by TEAM A
key visual by Jun Tsukida

『いざパリへ。若きヒーロー小田凱人が紡ぐ“言葉”の軌跡をたどる』