新しい地図・草なぎ剛×パラ水泳・鈴木孝幸。 “ロナウドの腹筋”で再び頂点へ。

2020.08.17.MON 公開

text by Number編集部(Sports Graphic Number)
photograph by Takuya Sugiyama

※本記事はSports Graphic Number との共同企画です。


パラリンピック4大会連続出場、獲得したメダルは金を含む5つ。
日本のパラ水泳を長きにわたり牽引するベテラン鈴木孝幸は、
すでに1年後を見据える。イギリスでの生活や、幼少期のエピソード、
ステイホームと障がいの「共通点」まで、その胸中を草なぎ剛に明かした。


鈴木 今日は本当に楽しみにしていました。小さい頃からずっとテレビで観ていたので。家族もすごく羨ましがっていて、「車いす押してほしかったら言ってね」なんて。いつもはそんなこと言わないのに。

草なぎ 僕もお会いできて嬉しいです。この連載もしばらくお休みしていましたから。

鈴木 自粛期間中、草なぎさんはどう過ごしていたんですか?

草なぎ 僕は愛犬に子どもが産まれたので、ずっと子犬を育ててました(笑)。

鈴木 おめでとうございます!

草なぎ 子育てに夢中で、コロナのことも一切考えませんでしたね。今になって考えれば、凄くありがたいことだったな。愛犬には感謝です。鈴木選手はどんな生活を?

鈴木 プールが使えなくなってからは、本当にずっと家にいて、室内でできるトレーニングをしていました。そもそも普段はイギリスを拠点にしているので、こんなに日本にいるのも久しぶりで。

草なぎ 帰国したのはコロナの影響で?

鈴木 そうです。3月に戻ってきました。

草なぎ イギリスも大変ですよね。しばらくは帰れないでしょう。

鈴木 向こうにいるコーチとは話をしていますけど、まだまだ難しいと思います。

7年を迎えるイギリス生活。

草なぎ もともと日本から拠点を移したのは、どういうきっかけだったんですか?

鈴木 3~4年のサイクルで環境を変えると、トレーニングをしたときの刺激の受け方が変わると聞いたことがあるんです。僕は2004年のアテネの時に高校3年生で、次の4年間は大学生として過ごして北京、次は社会人としてロンドン、と環境が変わっていく時期がたまたまパラリンピックと重なっていました。それで実際に結果も出すことができた。「じゃあ次はどうしよう」と考えて、イギリスに行くことを決めたんです。当初は語学を学んで、リフレッシュして1年くらいで帰ってくるつもりだったのが、もう7年もいます。

草なぎ 環境を変えるつもりが、馴染んじゃったんだ(笑)。

鈴木 僕がいるのはニューカッスルという町で、今、プレミアリーグで武藤(嘉紀)選手が所属しています。田舎ですけど、居心地がいいんです。

草なぎ やっぱりイギリスの方が、施設も整っていたりするんですか。

鈴木 いや、そんなことはないですよ。施設自体は日本の方がいいと思います。日本のトレセンのような50mプールはなくて、25mしかないですし。でも、日本にいた時はプールと、ケアと、陸上でやるドライトレーニングの場所がバラバラで、かつ会社への勤務もあって、移動に費やす時間が多かったんです。その点、イギリスは大学にすべての施設が揃っているので楽ですし、その分時間を有効に使えます。僕の場合はイギリスに移ってすぐ、タイムが伸びたこともあって、たまたま合っていたのかな。

草なぎ 鈴木選手のいる大学の施設では、ほかのパラアスリートも一緒に練習を?

鈴木 コーチがロンドンパラでコーチを務めた方で、イギリス人のパラ水泳選手が何人か所属しています。コーチは女性なんですが、180cmくらいあって、怒ると怖いですよ(笑)。ババババッとマシンガンのように、まくしたてられます。

草なぎ うわぁ、僕なら凹んじゃいますね。

鈴木 タイムが悪い時は怒られますね。「30歳を越えて、怒られるんだ」と思いながら聞いています。でも、良い時は褒めてくれますよ。僕が褒められて伸びるタイプなのを知ってか知らずか(笑)。

草なぎ 年をとってくると、怒ってくれる人の存在って大事ですよね。僕もプライベートでいろいろ言ってくれる友達が多くて、ありがたい。

鈴木 コーチの存在は大きいです。というのも、僕とまったく同じ障がいを抱える選手はほとんどいません。同じ四肢欠損で、外見が似ていたとしても微妙に違う。詳しく言うと、僕は右手が肘から先がなくて、左手の指が3本。右脚は大腿部から、左脚は膝から下がありません。コーチは健常者で、僕と同じ感覚を持っているわけではないけれど、そういう中で論理的にアドバイスをくれるのは本当に貴重。2人で正解を探っていく、という言い方がふさわしいかもしれません。

草なぎ それがしっかりと結果につながっている。

鈴木 進化している実感はあります。リオではメダルを逃してしまいましたけど、去年の世界選手権でメダルを獲れましたし、タイムも上がっていますから。

ⒸGetty Images

草なぎ 今、鈴木選手はおいくつですか?

鈴木 33歳です。どちらかと言えば、ベテランですね。

草なぎ ベテランと呼ばれる年齢で進化するのは格好いいなあ。僕は46歳なんですけど、もう生きるための筋肉を維持するのが精いっぱいです(笑)。

鈴木 本当ですか? 結構鍛えられているイメージでした。

草なぎ もう、筋肉が落ちるのが早い早い。

鈴木 僕も10年後、気を付けないと(笑)。プールで泳ぐことはあるんですか?

草なぎ 今は、全然です。ただ、小学生の頃は平泳ぎで市の大会に出たりしてました。母の実家が愛媛の今治で、海で泳いだり。妹をおぶって泳ごうとして、溺れて死にかけたこともあります。

鈴木 危ないですね。

草なぎ バカな男子の典型ですよ(笑)。

鈴木 僕も川で溺れたことがあります。浅い川だったので、流されながら「助けて!」と言っても冗談だと思われて。岸に流れ着いたんで良かったですけど。

草なぎ お互い危なかったですね。泳ぎには結構自信あったんですけど、愛媛の地元の子と競争したときにこてんぱんにやられて、上には上がいると思い知らされました。そもそも鈴木選手は、いつ水泳を始めたんですか?

鈴木 6歳くらいですね。最初は競泳目的ではなくて、水泳の授業のとき、プールで溺れないように習わせたそうです。

草なぎ それがメダリストへの第一歩だったんだ。

「できることを最大限やる」という思考。

草なぎ 鈴木選手はリオまで4大会連続出場で、今年は金メダルを狙っていたと思います。1年延期になってモチベーションの維持は難しかったんじゃないですか。

鈴木 3月の選考会が直前で中止になった時には正直、落ちました。メンタル面もフィジカル面もベストに近い状態だったので、1週間くらいは不安定で。ただそれから1年延びることが正式に決まって、今は切り替えられています。

草なぎ 仕方がないとはいえ、悔しいですよね。僕らも舞台公演やファンミーティングが中止になりました。アスリートの方々とは違いますが、準備をしていたものがなくなったという点で似ているところもある。

鈴木 この1年をどう過ごすかは凄く大事だと思います。あと、この状況は障がいと通じると感じているんです。

草なぎ どういうことですか?

鈴木 ステイホームでできることが限られていましたよね。僕の場合、なるべく健常者と同じように生活するにはどうすればいいか、小さい頃から考えてきました。つまり「できないけれど、その中でできることを最大限やる」という考え方に慣れているんです。早めに切り替えることができたのも、それが活きた気がします。

草なぎ 思考法が身についているんですね。

鈴木 日本だけの話ではなくて、世界中誰もが同じ状況に置かれているというのもありますね。現状を受け入れざるを得ないですから。

草なぎ パラリンピックを目指していた選手たちは4年間も準備して、東京を集大成にしようと考えていた選手も多かったはず。

鈴木 僕も「パラリンピックは最後かな」と漠然と考えていました。今も技術面は伸びていると思いますけど、2024年のパリまで気力が持つかどうかわからなかったので。

草なぎ お話聞いていると、まだまだいけそうですけど……。

クラスが変わると世界が変わる。

鈴木 リオでメダルを逃してから、実は年齢以外にも、もうひとつ大きな変化があって、2018年にパラ水泳のクラス分けの大規模な変更があったんです。

草なぎ たくさんのパラアスリートの方にお話を伺っていますけど、難しいですよね、クラス分け。

鈴木 やっている僕もよくわかっていません(笑)。クラスが変わる、ということが僕も初めての経験だったので。変更になったのは自由形などで、もともとS5クラスに所属していたのが、S4クラスになりました。つまり、1段階重い障がいのクラスになったんです。もともとS5の中でもS4に近いボーダーラインにいたんですが。

草なぎ 競技にも影響が出るものですか?

鈴木 クラスが変わると世界が変わる、というのは事実です。競技人生変わっちゃいますね。実際、僕は今までよりも重い障がいを抱える相手と戦うことになって、自由形でメダルを目指せるようになりました。だから変更がいい方向に作用しましたけど、逆のケースもあります。パラリンピックの常連だった選手が、1つ軽いクラスに変わったことで出場すらままならなくなってしまったり。

草なぎ 確かに、格闘技を観ていても、階級が違うと数kg差なのに全く違います。

鈴木 身体機能が変動するような選手は定期的にクラス分けを受けたりしますが、僕の障がいは変わりようがない。競泳を始めてからは15年間、同じクラスでした。

来年までにはロナウド級の腹筋に?

草なぎ このクラス分けで、ライバルから離れられてラッキー! みたいなことはあったんですか。

鈴木 ライバルと言えるのは、友人でもあるニュージーランドのキャメロン・レスリー選手なんですが、彼も一緒にクラスが移りました(苦笑)。彼だけ残ってくれればよかったのに。まあ、そういうセコい考えをしていてはダメですけど。

草なぎ 一緒に変わったということは、キャメロン選手の障がいは鈴木選手に近いんだ。

鈴木 四肢欠損というのは同じなんですが、彼は両脚が膝上まであるので義足で歩けるんです。

草なぎ その違いって、泳ぎとも関係するんですか?

鈴木 いろいろありますが、一番は体幹ですね。日常生活で歩行ができると、自然と体幹が鍛えられるんですが、僕にはそれができない。特に違いが出るのは腹筋ですね。ちょっと専門的になってしまいますが、腹筋は泳ぐ時に下半身が沈むのを防いでくれます。ここが強いと、姿勢がより水面とフラットになって、水の抵抗を受けにくくなります。

草なぎ ロスが少ないんだ。

鈴木 もちろん疲れても下半身は沈んでくるので、持久力の問題でもあるんですけど。

草なぎ じゃあ、東京で金メダルを獲るためにはその差を補わないといけない。

鈴木 だから今は「コア」を鍛えることに注力しています。

草なぎ 「コア」?

鈴木 下腹部の方ですね。一般的には脚をあげたりして鍛える部位なんですけど、脚のない僕はチューブを使ったり、工夫しながら。リオ後からはじめて、結果は出てきています。ステイホーム期間もずっと続けてました。

草なぎ 撮影の時に見ましたけど、腹筋すごいですもんね。

鈴木 いや、今は太っちゃって……まだまだです。

草なぎ それでもまだまだ、ですか!

鈴木 今はまだ、ビフォーアフターの「ビフォー」です。目指すのはクリスティアーノ・ロナウドのような腹筋。脚のない僕がそんな腹筋を持っていたら凄いな、と思っているので。

草なぎ じゃあ、来年は鈴木選手の腹筋に注目ですね!

鈴木孝幸 Takayuki Suzuki / Swimming
1987年1月23日、静岡県生まれ。先天性の四肢欠損。’04年アテネからパラリンピック4大会連続出場。’13年からは英ノーサンブリア大学を拠点に活動。’19年世界選手権では日本選手団主将を務めた。117cm、45kg。

草なぎ剛 Tsuyoshi Kusanagi
1974年、埼玉県出身。YouTuberとしての活動にも力を入れ、チャンネル登録者は100万人超 。愛犬クルミとその子も頻繁に登場。内田英治監督(「全裸監督」など)作の主演映画「ミッドナイトスワン」が’20年秋公開予定。

本連載は約2カ月に1度の掲載、次回は9月17日発売号の予定です。

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『新しい地図・草なぎ剛×パラ水泳・鈴木孝幸。 “ロナウドの腹筋”で再び頂点へ。』