為末大さんに聞いてみた! スポーツをすると「幸せ度」が上がるって本当ですか?
未曽有のコロナ禍によって、これまでの生き方について深く考えさせられたのと同時に、外出がはばかられる状況で深刻な運動不足にも悩まされた2020年~2021年。心と体の繋がりの重要性に気づかされ、これまで以上に運動への意識が高まった機会でもあった。そこで、改めてスポーツ・運動することの意義、メリットについて、執筆活動や会社経営など幅広く活躍している為末大さんに、「幸せ」という切り口でお話を伺った。為末さんが考えるスポーツと幸せの関係性とは?
100歳になると幸せ度アップ!? 幸せになるための物の見方
――今回、スポーツと幸せの関係性についてお伺いしたいのですが、まずは為末さんが考える幸せの定義とはどのようなものでしょうか?
壮大なテーマですね(笑)。結論を先に言うと、結局、「自分の状態」とその「状態をどのように評価するか」、この二つで幸せが決まっていると思うんですね。100歳を超えた方について研究している慶応大学の先生がいらっしゃるんですが、こんな話があって。100歳を超える確率は、オリンピックに出場するよりも低いそうなんですね。100歳まで幸福度は基本的に下がる傾向にあるんだけど、100歳を超えると逆に上がっていくそうなんです。それはなぜかと分析すると、「何ができなくなっていくか」というのが100歳までの基本的な物の見方なんです。100歳以降は「いま何ができるか」、という見方に変わって幸福度が上がるそうなんです。これが物の見方と幸福度の最たるものかなと。
一方で「自分の状態」も大切なので、まわりに会話する人がいて豊かな感じがするとか、孤独でさびしいとか、仕事がうまくいっている、うまくいっていない、といったものも影響する。例えば、仏教は物事を捉える自分側(内側)を洗練させれば苦しみから逃れられるという考えで、資本主義は今の自分の状態(外側)が豊かになると幸せになるという考え。そういうロジックだと思うんですけど、この二つの間でバランスを取りつつ、幸せを求めていくのかなと思います。
――物の見方というところで、現代の私たちはなかなかポジティブに捉えられず、ネガティブに捉えがちな傾向もある気がしますが、なぜだと思いますか?
日本が置かれている状況が少子高齢化というのもあって、他国と比較すると少しずつ厳しくなってきているというのがひとつ。もうひとつはテクノロジーの発達が世界中を襲ってきていて、みんなが10年後自分の仕事がまだあるのか、どうなるのか分からない、という漠然とした不安に苛まれていると思うんです。この不安感が子どもたちにも伝わっている側面があるのかなと。日本国内でも80~90年代に出来上がった強固なシステムが残っていて、その価値観と新しい価値観の間ですごく揺らいでいる。
テクノロジーの発達が、幸せをおびやかしている例として分かりやすいのが、ブータンという国。世界一幸せな国と言われていたんですが、最近は国民総幸福量(GNH)が少しずつ下がっているそうです。原因はブータンの若者たちがインターネットで世界中の若者の情報を見て、こんなに楽しそうな世界がある、こんなに幸せそうな人がいると比較してしまったこととされています。インターネットは情報を集めるのに便利ではあるんだけど、見なくてもいいことも入ってきちゃって心をかき乱されてしまうという側面がある。これは少なからず誰しにもあって、適切に情報を制限して自分の心の平穏を保ちながら、一方でいろいろな情報にふれるのは素晴らしいことなのでふれていく。この加減がみんなまだうまくつかめていない、という印象があります。
――情報の精査が必要だと。例えば暗いニュースばかり目にすると気分が悪くなったりするので、ニュースダイエットが必要だという話もありますよね。でも知識欲の面で色々な情報を知りたい。そのバランスの取り方でコツみたいなもの、ご自身で実践していることはありますか?
「(自分にとって)いい人を見つける」に尽きるんじゃないかと思うんですよ。僕は主張の強い方もそんなに嫌いではないのでSNSをフォローしていたりするのですが、投稿を見ながら、なるほどこういう情報があるんだなと思いながらチェックしています。どこから情報を得るか、それをコントロールするのが一番大事な気がしています。
結局、心の状態とのバランスだと思うんですよ。この人が発信している情報は全体的に好きだなと思うものをまずフォローして、それにプラスしてこの人の情報はあまり好きではないなというのも、あえて少し接するようにしておく。同じ価値観の人だけではなく、違う考え方の人の情報も入れることで、僕はバランスを取っています。なので情報チェックする人も意識して定期的に入れ替えを行っています。そういった情報のコントロールをしていると、入ってくる情報がかなり変わるなという印象があります。自分なりに、情報源を編集するのが大事だと思いますね。
ルーツは生命の誕生にあり? 「体を動かす」ことは生きることそのもの
――自分とは違う意見の人もフォローしてバランスを取る、というのは面白いですね。そういった心の面の健康も重要ですが、心身ともに健康になるために、日常的にスポーツなどで体を動かすことはやはり大切ですよね?
そうですね。僕はずっと走っていた人間なので、特に「移動」について興味があるんですよ。一番最初の生物は単細胞のたんぱく質なんですけど、漂っていたのが結合して、単細胞から多細胞になった。そのうちに複数の種類が出てきて、捕食して中に取り込むということが出てきた。それからだんだん地球というプールの中で生きものが多様化していくなかで、カンブリア紀に目が出来たと言われているんですね。そうして何が起こったかというと、うごめいていた存在が相手を認識し、捕食しにいく。相手も捕食されまいと逃げる。この「移動すること」と「食べること」が、基本的な「生命の営み」なんです。だから体を動かすということは、生きていくことそのものだと認識しているんです。
こんな興味深い話もあって。ニューヨークの近くで荒れている学校があったんですが、授業が始まる前にランニングに来てもらい、サンドイッチなど朝食を与えて一限目に臨んだら、たくさんの子が学校に来るんじゃないか、ドロップアウトする子を減らせるんじゃないかという取り組みがあったんですね。その結果、一限目の授業のテストの点数だけ上がったんですよ。なぜかを調べたら、有酸素運動をした後は記憶の定着が20~30%よくなるというのが分かったんです。
元を辿ると、我々の先祖が狩りをしていて、どっちに相手が逃げたかを覚えていられる種のほうが生き残りやすかったんだと思うんです。動きながら頭を使える種類が残っていき、そうじゃない種は死に絶えた。だから今の我々の体は、体を使うと頭も活性化するようにできている。そういう意味では、座って考えるのと、歩きながら考えるのは同じようで実は違うんですよね。体の状態が、自分たちが考えたり、感じたり、悩んでいることに影響を与える。セロトニンという物質が脳に影響を与えて、今の現状をどう捉えるかを決めていると思うのですが、体を動かすとセロトニンが出やすくなるんですよ。だから、頭であれこれ悩むより、思いっきり体を動かして寝たほうが悩みが解決することもある、というのはそういうことなんじゃないかなと思います。
――体を動かす、からもう少しレベルを上げて、競技という意味でのスポーツにも、さまざまなメリットがあると思いますが、幸福という観点でスポーツの役割とは何でしょうか?
僕は「個人間の信頼」が高い社会が、幸福度が高い社会だと思っているんですが、スポーツを一緒にすると信頼が高まりやすい。信頼が高まるとはどういうことかというと、「相手の予測がつく」ということだと思うんです。すごく意地悪な人でも、毎回同じパターンの意地悪をしていたら、好きじゃないけど大体行動の予想がつくからある程度の信頼はあると。何をしてくるか分からない、予測できない、というのが「信頼できない」ことのベースにある。スポーツの良い点は、相手の身体的な動作や癖によって隠しきれないその人自身が出てきてしまうところだと思うんです。
スポーツウォッチャーをやっていると、よくそういった場面に出くわします。とにかく堅実にやる癖がある人や、毎回リスクをとる人など、競技中の姿が何を語るより雄弁にその人を物語っているんです。だから同じ競技をやっていると、自然と仲間意識が生まれてくる。そうやって信頼関係が築かれていくことで幸福につながるんじゃないかなと思います。
アートとして楽しむスポーツが、幸福度をさらに上げる理由
――スポーツは「勝ち負け」の世界だけではなく、「アート」としてスポーツを楽しむということを以前、為末さんはおすすめしていましたよね。改めて教えていただけますか?
アスリートのピークとアーティストのピークって、圧倒的に違うんです。体を使ってより速く(Citius)、より高く(Altius)、より強く(Fortius)というのがオリンピックのモットーだったかと思います。もともと古代オリンピックの競技精神が完璧な美しさを目指すことで、20代の青年男性の体の美しさを競うみたいな、そういう側面があったそうです。
でもアートというのは体というより自分の表現なので、終わりがなくずっと続いていく。それは自分がどんな風に変化しても表現できるということ。僕がスポーツとアートの世界の共通点を感じ始めたのは現役の終盤で、「速く」ということができなくなったというのもあるんですが、より自分の動きを「洗練させていく」、というところに意識が向いていって。要は美しく走る、無駄なく走るというようなこと。結果的にパフォーマンスも高くなるんですけど、そこに自分の価値を置き始めたんです。
織田幹雄さんという日本で初めて三段跳びで金メダルを獲得した方がいたんですが、“正しい動きは美しい”というのを自分のモットーにしていたんです。何か美しいものを見たときに、機能美とか無駄のなさとか、ある種のバランスを人間は見出すように感じていて。選手は記録を乗り越えていくと、そういうところに向かっていくんじゃないかなと。アートは常識を打ち破って、違う物の見方を提示するという役割もあるので、スポーツとアートはその辺りの役割も近いのかなと思うんです。
――スポーツをしても、勝ち負けを意識しすぎると辛くなってやめてしまう人もいますよね。でもそういうところではなく、自身の動きの美しさにフォーカスして楽しむほうがいいと。
そうですね、むしろそっちだと思いますね。今後はスポーツの楽しみ方ももっと多様になっていくと思います。市民マラソンのように、気軽に参加できるスポーツがニーズを捉えていると思うんですよ。記録の競争というよりは、走って気持ちいい、ちょっとずつ自分の動きがよくなっていくとか、そこに楽しさがあると思うので。やっぱり生涯やるなら、表現が洗練されていくとか、美しさが見えてくるものがいいんじゃないかなと思います。
―そういったものを求めていくと、幸せというものが自分の中で生まれてくる。
そうですね。最後は美意識というか。なんていうんでしょうね……自分がやろうと思ったように体を動かすことができたとか、自分があそこを狙いたいと思った時にそこを狙えたとか。ゴミをゴミ箱めがけて投げて入ったら、なんでちょっと嬉しいのか不思議じゃないですか?(笑)。人間とは、そういうところがある気がしていて。ちょっと変えてみたらできたとか、そういう小さな喜びが、何気にバカにできない喜びなんじゃないかなと。
2022年からのスポーツの新しい在り方
――最後に、2022年以降、スポーツというコンテンツはどのように変わっていくと思いますか?
改めて振り返って、東京2020パラリンピックがとても大きなインパクトを残したと思うんです。一つは障がいのある方への見方を変え、もう一つはスポーツのありようを変えた。パラリンピックがこれまでのトップを目指すことを重視してきたスポーツに、別の可能性や利用法を与えた。
例えば、パラリンピックはガイドや競技アシスタントなど、一緒に競技に出場しサポートする立場があって、ある意味多くの人が参加できる余白を残しているんです。これからは、世界中の人がなるべくいい思いをするようなスポーツの使い方ができればいいなと。それは、スポーツを通して国と国の間の信頼を作ったり、個人同士が友達になったりすることがどんどん増えることだったり。チャンピオンを育成してみんなに夢をもたらすだけではない、スポーツの新しい活用方法が芽吹いてきているような気がします。それをもっと増やしていくのが、これからのスポーツの役割だと思います。
幸せという壮大なテーマに対して、様々な例を出しながら論理的に分かりやすく語ってくれた為末さん。そこには、スポーツを軸に、テクノロジーや社会貢献など幅広い分野に精通しているからこその興味深い幸せの定義があった。そしてスポーツは、成績だけに固執するのではなく、いかに美しく、洗練させるかという視点を持つことで、いつまでも楽しむことができ、人生をより豊かなものにすると教えてくれた。これからスポーツをやりたいと思っている人は、まずはとにかく体を動かしてみよう。それが、幸せへの始まりだ。
PROFILE 為末大
男子400メートルハードルの日本記録保持者であり、日本人としてスプリント種目の世界大会で初めてのメダリスト。1978年広島県生まれ。過去にオリンピックに3度出場。現在は執筆活動、会社経営を行う。Deportare Partners代表。新豊洲Brilliaランニングスタジアム館長。Youtube為末大学(Tamesue Academy)を運営。国連ユニタール親善大使。主な著作に『Winning Alone』『走る哲学』『諦める力』など。
text by Jun Nakazawa(Parasapo Lab)
photo by Yoshiteru Aimono,Shutterstock