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スノーボード
チームとしてまとまり見せたスノーボード、キャプテン小栗大地が描く4年先への成長曲線
北京冬季パラリンピック、スノーボード競技最終日の3月11日、雲頂スノーパークで「バンクドスラローム」が行われ、日本代表6人が最後のレースに臨んだ。標高差121m、走行距離540mのコースには、21のバンク(カーブ)が設定され、1人ずつ滑ってタイムを競う。
平昌大会で日本の成田緑夢が金メダルを獲得したこの種目だが、今回はメダルなし。結果は前回を上回ることができなかったが、それでも4年後につながる光明も見えた。
ともにわかち合えるチームに成長
競技終了後のセレモニーの幕が閉じ、競技会場の片付けが一斉に始まると、日本代表の二星謙一監督がメディアの前に現れ、北京大会を振り返った。
「平昌大会は、正味1年半だけの強化時間しかなく、成田選手の個の実力に頼った部分がある。でも、今回は北京までの4年間、チームとしてマインドを一つにしてやってこられました」
7日に行われたスノーボードクロスでは、6人中5人が入賞。メダルという目に見える形はなくても、日本が力を入れてきた種目でチームとして成長した姿を見せた。
そのスノーボードクロス同様、バンクドスラロームでも、日本は一丸となっていた。レース前日の公開練習後、それぞれが膝を突き合わせ、どのバンクがどんな形状をしているか、じっくりと話し合った。もちろんレース当日も、滑り終わった選手は、次の選手に情報を伝えていた。
13位に留まったLL2(膝上切断などの下肢障がい)の岡本圭司は、「誰も通用しなかったですけどね」と苦笑いしたが、それでも日本は誰かがいい滑りをすれば、それを自分のことのように喜べる一致団結したチームになっている。「とにかく一人でも表彰台へ」という思いを最後まで貫いていた。
キャプテンは背中で語る
そんな日本代表チームの中心にいたのが、小栗大地キャプテン(LL1・膝下切断などの下肢障がい)だ。チームで唯一、平昌大会を経験している41歳のベテランは、「今回は金メダルがほしい」と切望していた。
小栗の平昌大会が終わった翌日にはもう、北京大会に向けて始動していた。それまで義足の右脚を後ろにするレギュラースタンスだったが、よりコントロールしやすいといわれる義足を前にするグーフィースタンスに変更する試みを始めたのだ。
利き手をかえるのと同じ苦労が伴うといわれるだけに、勇気を伴う決断だった。実際、新しいスタンスの習得には時間がかかり、1年前の大会で「3年目にしてようやく慣れてきた」と明かしている。
その甲斐あって、今大会のスノーボードクロスの順位決定戦では、前回大会の銅メダリストとの抜きつ抜かれつの接戦を制した。小栗自身、「ベストな滑りができた」という。
バンクドスラロームでは、「1本目は気持ちが前に出すぎて、2本目はミスで失速してしまった」と悔やんだが、チーム最高の7位に入賞したのはさすが。
二星監督によれば、「小栗くんはあまり話すタイプではない。飄々(ひょうひょう)としている」と評するが、小栗が最後まで残ってトレーニングする姿や、納得のいくまでセッティングする姿を、チームの仲間たちも知っている。
「その姿を横で見ているみんなは、感じるものがあるんです」(二星監督)
「より速く」を追い求める小栗の熱意は仲間にしっかりと伝播し、日本代表が一つのチームにまとまる基盤にもなっていた。
視線の先はミラノ・コルティナダンペッツォ大会
大目標としていた大会が終わり、小栗は今後、どこを目指すのか。
北京大会でメダルを量産した中国の選手、とりわけLL1のクラスの選手たちは全員、これまでの定説を覆し、「障がいのある脚を後ろにする」レギュラースタンスで強さを見せつけていた。「障がいのある脚を前にする」グーフィースタンスで進化してきた小栗は思うところがあるだろう。
「パラリンピックが終わったいまは、単純に楽しみのためにレギュラーでもう1回滑ってみたい気持ちはあります。でも、これからの4年間、レギュラーとグーフィーのどちらでいくのかは、あまり考えていません。ただ、あまりコロコロ変えてもね。コースや種目によって使い分けたり、器用なことができたら面白いとは思いますけど(笑)」
この言葉が示すように、すでに小栗は4年後のミラノ・コルティナダンペッツォ大会を頭に描き始めている。
「今後はもっと技術の部分を磨いていきたいですし、もっと実戦的な練習をみんなで増やしていきたい」(小栗)
試してみたいことは山ほどある。挑戦心を胸に秘めたキャプテンが、仲間たちとともにこれからどんな成長曲線を描いていくのか楽しみだ。
text by TEAM A
photo by AFLO SPORT