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【PLAYBACK PARIS】パリ2024パラリンピックを戦い抜いた選手たちが残した言葉
パリ市内を中心に、連日熱戦が繰り広げられたパリ2024パラリンピック。久々の有観客開催で大入りの競技も多く、競技によってはチケットが完売するほどだった。パリ大会で生まれた日本選手たちの名言を振り返る。
「強いライバルと走るほうがめっちゃ楽しいんで」
男子5000m(T11/視覚障がい)は、上位3人が世界記録を更新する超高速レースとなった。4位だった和田は、「前を走る3人、めちゃくちゃ速い」と振り返り、“異次元の世界”と表現した。
和田は、パラリンピックでは同種目のキャリアを終えることを示唆。最後に、いい思い出を作ることができた楽しいレースだったと振り返った。
「決勝で泳いだだけなので、戦ったというわけではない」
日本代表選手団最年少15歳の川渕は、400m自由形決勝の舞台に立った。だが、初の大舞台で緊張はほぐれず。泳ぎ終わったあとは、「うまくいかなかった」とうつむき加減で語った。
記者が「決勝に出るという最低限の目標は達成したのでは」と聞くと、「食らいつけなかった」と涙をこらえることができなかった。
「巡り合わせを感じている」
長島は20年ほどの競技キャリアを持つ“レジェンド”。男子ダブルス(WH1-WH2)に出場したが、銅メダルマッチでは日本人対決に敗れて4位だった。
ダブルスに出たいという思いはあったが、東京大会では叶わなかった。シングルスにフォーカスしていたところ、条件がかみ合い、パリ大会のダブルスに出場できることになった。これも運命、と感慨深げだった。
「フーファンで始まって、フーファンで終われたこと。嬉しかった」
(バドミントン・ 藤野遥)
開口一番「ボロ泣きです」と口にした藤野。準々決勝で、中国の程和芳(チェン・フーファン)に0-2で敗れた。
「1秒でも(長く)コートに立ちたかったが、シンプルに(相手が)強かった。悔いがないように思い切ってということを心がけた」
初めての国際大会だったアジアユースパラ競技大会マレーシア2013で、初戦の相手がフーファンだった。「ずっと友だちだったし、追いかけていた存在」と話し、フーファンとの戦いを噛みしめているようだった。
「世界中の人たちが、この一人の選手に声援を送ってくれるということ、それって本当に選手の一人として幸せ」
ゴール後、秦はコースに深々とお辞儀をした。声援を送ってくれた観客、そして一人では立てない舞台に立てたことに感謝を伝えたかったからだ。最後のランでは、「視界をクリアにして、全ての景色を目に焼きつけるために」と早々とサングラスを外して走った。
目指していたのはメダル。ピークを合わせられなかった悔しさが残る。それでも「お陰様で全力を尽くしてフィニッシュできました」と支えてくれた人たちに感謝した。
「キャプテンとして、10番として勝利に導けなかったことがほんと悔しい」
エッフェル塔のふもとで開催され、注目を浴びたブラインドフットボール。グループリーグ初戦を落としていた日本は、2戦目のモロッコ戦でオウンゴールによる失点後、得点を奪えなかった。試合後、川村は記者の質問に、声を絞り出した。
2015年から日本代表のキャプテンを務める川村が背負ってきたものを感じさせる言葉だった。
「もう1回やりたい!」
決勝で相手エースの動きを封じる姿は、倉橋の存在感を印象づけた。自身2回目のパラリンピックは、大歓声の中で楽しんだ。「本当に、楽しい5日間だった。(大会が終わってしまい)寂しい」と笑顔。まだまだこの余韻に浸っていたいようだった。
「砲丸投げでしっかり負けてよかった」
(陸上競技・齋藤由希子)
本命の砲丸投げ(F46/上肢障がい)がパリ大会で復活。満を持して臨んだ大会は、惜しくもメダルに届かず4位だった。
パラリンピックの舞台に立つために、一時はやり投げに種目変更するなど、もがき苦しんだ。本人にとって、今大会専門種目で戦えたことが何よりだった。
「パラリンピックの雰囲気や不安感、プレッシャー全部含めて経験したことがない体験をすることができた。楽しかったです」
泣き笑いの表情で競技場を後にした。
「いやー、ちょっとかっこよすぎるな」
まさにパラリンピックの車いすテニス史に残る激闘だった。逆転からの劇的勝利は、小田本人がInstagramで予告した“Show”そのものだった。
スタッド・ローラン・ギャロスは、グランドスラムを初制覇した全仏オープンと同じ場所。このときも、さまざまな記録を塗り替えたが、最年少優勝でまた1つ歴史を塗り替えた。
text by TEAM A
key visual by Takamitsu Mifune