【特別対談】木村敬一が“オリンピック選考会”で超緊張!? オリパラ2冠スイマーがパリイヤーを振り返る
パリパラリンピック2冠を達成した木村敬一選手と、東京オリンピックで2冠に輝き、パリオリンピック後の10月に現役を退いた大橋悠依さん。パリイヤーを締めくくる2024年12月、豪華な“2冠スイマー対談”が実現した。ともに滋賀県出身で気心の知れたふたりが語り合った、パラリンピック、オリンピック、そして、水泳について――。
木村 敬一(きむら・けいいち)
パリパラリンピックの水泳・男子50m自由形、100mバタフライ(S11)で金メダル。100mバタフライでは2連覇を達成した。東京ガス所属。滋賀県栗東市出身。
大橋 悠依(おおはし・ゆい)
東京オリンピックの競泳・女子200mと400mの個人メドレーで金メダル。パリオリンピックでは、女子200m個人メドレーで準決勝進出。イトマンスイミングスクール特別コーチ。滋賀県彦根市出身。
「大橋さんはボケれば笑ってくれるいい人」(木村)
――おふたりはいつ頃、知り合ったのですか。木村敬一(以下、木村):大橋さんと実際に初めて会ったのは東京2020パラリンピック後の2021年9月。滋賀県の知事と県出身のアスリート数名で対談したときです。大橋さんはテレビのインタビューを聞いていたときの印象と同じで、ボケれば笑ってくれる、楽しい人だなと思いましたし、今も変わらず笑ってくれます。
大橋悠依(以下、大橋):敬一さんが滋賀出身の方であることはお会いする前から知っていたので、東京パラリンピックのときも応援していました。最初に会ったときはめっちゃ面白い人だなと思いました。
木村:最近も会ったよね。2024年11月に滋賀で行われたパラ水泳の日本選手権。大橋さんに来てもらって、そこでトークショーをやって、YouTubeの解説にも入ってもらいました。
大橋:敬一さんはトークショーでも相変わらず面白くて、すごくバラエティー向きだなと思いましたよ。
木村が大橋に手渡したパリへの「チケット」
――2024年はパリオリンピックとパリパラリンピックがありました。ふたりにとって、どのような大会でしたか。木村:その前に、4月のオリンピック選考会の話をさせてください! パラ水泳は4月の前にパリの代表が決まっていたので、僕はオリンピック選考会でデモンストレーションをさせてもらう時間をいただいていたんです。その日は大橋さんが出る200m個人メドレー決勝の日。僕が(会場の)東京アクアティクスセンターに着いたら、大会関係者に『今日は大橋が代表入りを決めます。つきましては、表彰式でパリへの航空券のレプリカを大橋に渡してください』と言われたんです。その瞬間、突然緊張してきて、デモンストレーションどころじゃなくなって。それに、『大橋が決めますって言うけど、ほんまに決めるのか?』っていうのもあって(笑)
大橋:オリンピックの選考会は空気感が殺伐としてますよね。しかも最終日は予選がなくて決勝だけなので人も少ないし、見ている人もめっちゃ緊張するんだろうなと思います。
木村:人のレースであんなに緊張したことはなかったですね。僕はプールサイドで会場の実況を聞いていて、大橋さんが150mのターンをしたあたりで『いけるかな』と思いました。パリに一緒に行けたというのは、そこから始まっていたかなと思っています。
――デモンストレーションの満足度は、いかがでしたか。木村:50mバタフライを泳いだのですが、あんまり覚えてないです(笑)。デモンストレーションとはいえ、オリンピック選考会なんて、普通は立てない舞台なんですよ。僕は目が見えてたら多分、その舞台にはたどり着いてないので。
大橋:いや、わからないですよ。
木村:多分無理やろ。
――そこから始まったパリなんですね。大橋さん、パリオリンピックはいかがでしたか。競泳会場は連日1万人以上の大歓声。その中で女子200m個人メドレーに出場して、予選、準決勝の2レースを泳ぎました。大橋:結果として、順位やタイムにすごく納得できたわけじゃないですし、決勝で泳ぐという目標も達成できませんでした。でも、観客の応援が想像していたよりもすごかったし、プールと観客席の1列目の距離が近く、その中で泳げたのはすごくよかったです。それがパリでの一番の思い出です。
――大橋さんの200m個人メドレーがあった日は、木村選手はパラリンピックを1ヵ月後に控えている時期だったと思います。木村:オリンピックの競泳は自分たちも(パラリンピックで)同じプールに行くし、日本人の活躍は毎回すごく興味があります。8月上旬はナショナルトレーニングセンターで練習をしていた時期ですが、大橋さんの個人メドレーのときは緊張してました。大丈夫なのかなって(一堂、笑)
――木村選手は東京大会からの100mバタフライ連覇を目指す道のりで、オリンピックの女子200mバタフライで2大会連続メダルを獲得している星奈津美さんの指導を受けてフォームの改造に取り組んでいました。不安はありませんでしたか。木村:フォームを変えたら遅くなる可能性もあったのですが、もう金メダルを獲っているし、それはなくなりません。そもそも改造に取り組み始める時点で『うまくいかない可能性も全然ある』というところからスタートしているので、うまくいかなかったらどうしようという不安よりも、うまくいったらいいなという思いで大会を迎えていました。
――パリパラリンピックでは、50m自由形でまず1つ目の金メダルを獲得しました。木村:あれは完全にラッキーでした。明らかに自分よりも実力のある選手が予選で失敗して落ちたり、他の選手も全体的に調子がよくなかったりする中で、たまたま僕がまっすぐ泳げたっていう感じですね。
――勝利のポイントは、まっすぐ泳げたところにあったのでしょうか。木村:僕らは見えていないので基本的にコースロープにぶつかりますし、それをガイドにしながら泳いでいますが、速度が上がれば上がるほど(ぶつかったときの)減速は大きくなります。なので、全盲クラスの短距離はかなりギャンブル性の強いゲームと言えます。
――50m自由形の金メダルを獲ったことで気持ちに変化はありましたか。木村:気持ちが楽になってましたね。東京のときもそうでしょ? 1個獲っていれば次のところで失敗しても責められないし、金メダルはなくならないし。
大橋:そうですよね。1個獲っていれば楽になりますね。
木村:100mバタフライは去年の世界選手権では負けてますし、東京大会のときほどのプレッシャーはありませんでした。結果として、技術を高める取り組みをしてきた成果を自己ベストという形で出せたことにホッとしましたね。
――おふたりには、金メダルを一度獲ってから、さらにもう1つ先の大舞台を目指したという共通点があります。相当な覚悟だったと思います。大橋:東京からパリまでは4年じゃなく3年だったから続けられたという思いもありますが、逆に休む時間がなかったのが苦しい部分ではありました。でもやはり、東京大会は無観客だったことが寂しかったので、パリに向けてはそれがモチベーションになりました。
木村:たしかに東京からパリまでは3年だったので、あっという間に近づいてきたという感じでした。あと、僕の場合は技術を高めるというところにモチベーションを見つけることができたので、それはよかったですね。
――お互い、がんばっているなと感じていましたか。木村:ようやってんなと思ってたよ(笑)
大橋:私はここ数年、敬一さんの練習を近くで見ていましたし、奈津美さんからも敬一さんのことを聞いていました。それに一般的な指導では泳ぎ方を身振りで説明できるけどその教え方では敬一さんには伝わりません。ですから、敬一さんが泳ぎを変えるのは一大プロジェクトだと思って見ていました。
――木村選手はフォーム改造に挑戦してパリでは自己ベストを更新して100mバタフライの連覇を果たしました。大橋さんから見ていかがでしたか。大橋:50m自由形を獲った時点で、これはもう100mバタフライも獲るだろうなと思いましたね。水泳をやっていると、タッチがバッチリ合うのはめっちゃラッキー。運のよさも持っているということは見ているとわかるんですよね。
木村:そうだったんだ。たしかに、ひとつの大会の中でうまくいってるときは、他のレースもうまくいくよね。
大橋:泳ぎを変えるというのは、例えば私の場合だと(参考にする)動画を見てその泳ぎ方をやってみるのですが、敬一さんにはその手段がないわけじゃないですか。だから、そこの努力がすごいと思います。どのようにやってるんですか。
木村:僕もよくわかんないんですけど、星さんを含めてコーチは(目が見えない僕に)どう言ったら通じるのだろうということを一生懸命考えてくれて、いろんな言い方で伝えてもらうんです。それに対して僕が『こういうことですか』と聞いて、『なんか違うな』みたいなのを繰り返していきます。
――パリパラリンピックでは、フォーム改造の成果をどれくらい出せましたか。木村:なんやかんやで自己ベストまで行けたのですが、上手くいったところといっていないところがありますね。最後までできなかったことはあります。
大橋:超完璧に決まることはないですよね。
木村:うん。なんか最後までスカーリング(水をかく動作)はわからなかった。
――大橋さんから見て、木村選手のフォームはどういう部分が変わったのですか。大橋:滑らかというか、動きの上下幅が小さくなりましたね。見てわかりやすい変化があったと思います。
――さきほど、超完璧にいくことはないと仰っていましたが、大橋さんは現役生活の中ではやはりなかったのですか。大橋:2017年世界選手権の200m個人メドレーは完璧に近かったですが、それでもミスしたところはあります。
木村:パリパラリンピックの50m自由形は、自分が今できる中では完璧だったかなって思いますけど、まだ直せるところはあるらしいですね。
――改善できるのは、どんな部分ですか。木村:それがわからないんですよ。動画を見れば上手い人と自分はここが違うというのがわかるのでしょうが、そこが僕にはわからないところ。やっているつもりなんだけどな、というのはよくありますね。
――目から入ってくる情報がない中で、レベルの高い泳ぎをする木村選手。大橋さんは、木村選手をどんな感覚の持ち主だと想像しますか。大橋:私ならまずまっすぐ泳げないと思いますし、そもそも私は見ないと泳ぎのイメージがわからないので、敬一さんがどういうふうにそれを得ているのだろうと思います。でも、それこそオリンピックの話で言うと、動画だけを見て直そうとするとするのもよくないんですよ。結局、目で見るものと泳ぎの感覚は違うので、敬一さんはより泳ぎの感覚の中で試行錯誤しているのだろうなと思います。例えば、まっすぐ掻くほうがいいと言って直すかもしれないけど、水の中ではそうじゃなかったりしますから。人に見てもらったり、動画を見たりするのもすごく大事かもしれないけど、自分の中の感覚でどれが一番進んでるかを感じることはすごい大事だと思います。
木村:逆に言うと、僕はそっち側(感覚)しか持っていないから、それを頼りにして泳いでいます。見えている選手たちは、そういうところも大事にしてる上に、目からの情報を加えて泳いでるんだろうなと感じます。
2025年の抱負は?
――2025年の目標を聞かせてください。木村:内容はまだ決めてないですけど、初めてやりましたということを1つ、やります!
大橋:2025年はいろいろな勉強をする予定も立てているので、学びの年にしたいです。新しい知識を2、3年かけて身につけ、自分のものにするというのをまずは目標にしたいですね。
<2025年1月10日公開の後編に続く>
edeited by TEAM A
text by Yumiko Yanai
photo by Hiroyuki Nakamura