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パワーリフティング
パワーリフティング選手としての自分の苦悩を生きることで“支える仕事”にも深みを!パラサポ 山本恵理
日本財団パラリンピックサポートセンターの常勤職員とパラ・パワーリフティング選手の、ふたつの顔をもつ山本恵理さん。一度はアスリートを諦めながら、なぜ再び競技生活を選んだのか。そしてこれまで歩んできた半生から、今よぎる思いとは。心のドラマの変遷に迫りました。
《前編はこちらから》
<パラアスリートを支える女性たち Vol.06>
やまもと・えり(36歳)
公益財団法人 日本財団パラリンピックサポートセンター 推進戦略部プロジェクトリーダー
パラ・パワーリフティング選手
仕事で行ったイベントでパワーリフターとしての資質が発覚
━━先日「あすチャレ!Academy」を受講したのですが、視覚や聴覚に障がいのある方たちは、私たちとは異なるチャンネルで情報をとらえていることを体感するコーナーが新鮮でした。レクチャー、体験、グループワークというステップも伝わりやすかったです。
パラリンピックやパラスポーツを題材に、“共生社会を伝える”セミナーを展開しているのですが、参加者の方にできるだけ楽しんでもらいたくて、あれこれ工夫をしています。プログラムの開発を始めた頃は、100分のセミナーだったら100分間の話をつくらなければならない難しさに苦労しました。つくった後、自分で腑に落ちなくて“1度プレをやらせてください!”と職員向けに講義したのが、私の講師デビューになりました。
━━それを機に、セミナーや講演登壇の場も大きく広がったとお聞きしました。それなのに、なぜ再び競技生活との両立を選んだのですか?
仕事で視察に行ったイベントにたまたまパラ・パワーリフティングの体験コーナーがありまして、上司から「やってみたら?」と勧められて気軽に試してみたんです。最初は「絶対上がらないです、ムリムリ」なんてお試し感覚だったのに、気づけば40kgのバーベルを持ち上げることができちゃったんです。「なんだなんだ、こんな逸材どこにいたんだ!」と周囲にいた人みんなに驚かれて、選手になることを勧められたんですね。
それで、パラ・パワーリフティングをやる人生とやらない人生、自分にとってはどちらが楽しいだろうと立ち止まって考えてみたんです。競技に戻れば、かつて抱いていたパラリンピックに出る夢が叶えられるかもしれない。それならばやったほうが楽しいだろうと結論が出ました。上司からは「その代わり仕事と競技を両立させて必ずパラリンピックに行けよ」とここでも背中を押していただき、両立生活が始まりました。
いえ、正しく言うなら私の場合は、両立というより“並行”なんだと思います。一時期、両立という言葉にしばられ悩んだこともありました。それでとらえ方を変えてみたんです。きっちり半々ではないけれど、ふたつを並行して走らせている。そして、そのときどきの必要に応じて軸足の重心は変えていくよ、と。バーベルを挙げる練習は週3回。オフィスに出勤しながら、毎日がもうあっという間に過ぎていく感じです(笑)。
夢のゴールは、“パラリンピックが来てよかった”とみんなが思える社会の実現
━━東京2020パラリンピックの出場権を獲得したら、やはりメダルを狙いたい気持ちですか?
現実的なことを言えば、パラ・パワーリフティングにおける4年の準備期間でメダルを狙うレベルまで強くなれる人って、なかなかいないんですね。だからといって不可能だと諦めているわけではなく、でもメダルを目指してしまうと、私はプレッシャーを感じてつぶれてしまうと思うんです。それよりは“いつかは出たいと思っていたパラリンピックに選手として出場する”ことを目標に掲げたほうが、100倍わくわくするわけです。今は7月にカザフスタンで行われる世界選手権でいい結果を出せるべく、密かに邁進しているところです。
そしてもうひとつ、競技に戻って感じたのは、“支える側でも支えられる側でも、向いている方向は一緒なんだ”ということ。同じゴールを目指して闘う同志なんです。だから選手として積み上げている今の経験は、いつか自分がほかの人のために何かしたいと考えたとき、その活動に深みを増してくれるだろうとも思っています。
最近、自分は果たして“コミュニティにいる障がい者に目を向けられる社会”になるようにちゃんと語りかけられているのか、自問自答することがあるんですよ。なぜなら、アスリートとしての私と私服を着て街に出たときの私では悲しいかな、社会の対応にギャップがあると感じるからです。パラリンピックはムーブメントですが、スポーツをしない障がい者にも“来てよかった”と思ってもらえる社会になってほしいのです。
そう考える原点には9歳で「楽泳会」に初めて行ったときに見た、障がいのある大人たちが活き活きと楽しそうに泳いでいた光景があります。子どもながらに衝撃を受けました。仕事をもち、社会に出て働きながらパラリンピックを目指す姿に胸打たれたのです。それは今の私自身が目指すところでもあります。“Where there is a will, there is a way”。意志あるところに道は開けるという言葉が好きなんですが、一生懸命こっちの方向へ行きたいと思っていたら、本当に道が開けていくものだと信じているんですよ。仕事も競技生活も、これからも体当たりでぶつかっていくだけですね。
山本恵理紹介ページはこちら(日本財団パラリンピックサポートセンター)text by Mayumi Tanihata
photo by Yuki Maita(NOSTY)