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練習量を求めてパラリンピアンに弟子入り! 馬術・稲葉将の挑戦
2021年の夏、東京パラリンピックが開催されるとき、26歳になる稲葉将が、小6のとき、リハビリの一環として楽しんでいた馬術を競技として始めたのは2017年。スタートは決して早くなかったが、挑戦することを決めた後、目標に向かって突き進む行動力は群を抜いて早く、いま、東京パラリンピック代表に手の届くところに来ている。柔和な笑顔を絶やさず、落ち着いた雰囲気の稲葉だが、話を聞けば、意外な情熱家だった。
「うーん、たぶんですけど、僕はぎりぎりの線で決断したんじゃないかな」。稲葉は、大学4年だった2017年、競技を始めたときのことをおっとりと振り返る。小6で始めた馬術を競技として取り組むまで10年の月日がかかった。
稲葉将(以下、稲葉) 子どものころは少年野球チームに入っていたんです。でも、だんだんと同じ練習についていけなくなって、他に何かできることはないかなって。それが母に半ば強引に連れていかれた乗馬でした。馬に乗ってみると意外と目線が高く、恐怖感もあり、決してこれからもやりたいという感じではなかったです(笑)。
それでも乗馬を続けたのは、乗馬には股関節周りの筋肉を柔軟にするリハビリ効果が期待できたからだ。稲葉には先天性の脳性まひで筋緊張がある。
稲葉 そんな理由もあってだんだんと行く回数も増えて、楽しいなと思うようになったんです。もともと動物は好きだし、日常では味わえない風を感じられる魅力がありました。それに元来、負けず嫌いな性格で。他のパラスポーツも体験したけれど、馬術はパラリンピックでも採用されているし、クラス分けもあって自分のカテゴリーで戦うことができる。そのときは競技志向ではなかったけれど、母によるとそんな馬術が僕に合っていると感じていたみたいですね。
稲葉は15歳ごろ、当時のクラブのコーチに連れられ、イギリスで行われたパラ馬術を観に行ったこともある。
稲葉 「すごい世界に来ちゃったな」。そして「僕が競技をやったとしても恥ずかしいレベル。遠い世界の話だ」と思っちゃったんです。いま思えば、その大会は(競技レベルが)最上級の大会ではなかったんでしょうけど……。日本も含めて、すべての選手が手の届かないレベルだと思い込んでしまいました。
ここで稲葉の心にロックがかかってしまったということだ。だから、高校、大学では趣味として乗馬は続けていたが、競技として取り組んだことはなかったという。ただ、それでも高3のときに招致が決まった東京パラリンピックのことは気になっていた。
稲葉 大学3年から大学4年にかけ、交換留学でオーストラリアに行ったんです。もともと海外の文化に興味があったからですけど、漠然と、もし馬術を始めたら、語学ができたほうがいいよね、という思いもありました。別な意味で下地作りをしていたのかもしれません。
そして2017年6月、稲葉は帰国。就職活動で周りもざわついている時期だ。このとき稲葉は、はっきりと進みたい道を自覚した。冒頭の言葉通り、「ぎりぎりのところで決断した」のだ。
よりよい練習環境を求めて
一度決めたら、チャンスは逃がさない。ここから鳴りを潜めていた情熱は一気に沸き上がった。帰国して1ヵ月後には、日本選手としてロンドンパラリンピックに唯一出場した浅川信正氏が運営する静岡乗馬クラブで練習するようになった。もちろん、東京パラリンピック出場を目指すことが前提だ。
稲葉 競技経験がほとんどない僕が、あと3年で東京パラリンピックに出たいって、ほぼ無謀な挑戦なわけじゃないですか。だったら、最短距離も最短ルートで行かないと間に合わない。そこで最短距離を一番知っている浅川さんにコンタクトをとらせていただいたんです。
そして、何より稲葉が情熱的かつクレバーなのは、目標に近づくべく、スポンサーをはじめとする応援者の多くを自ら探し求めたことだ。
稲葉 当然、そのころ、僕には実績が何もなかったんですけど、競技への思いだけはあったのでいろんな企業さんに図々しく伝えさせていただきました。そのなかで障がい者アリスートとして受け入れてくださったのが所属先のシンプレクスです。水曜日から日曜日まで静岡乗馬クラブでの練習に専念させていただくことになりました。
実はコロナ禍の2ヵ月間、馬に乗れない期間があったが、稲葉は時間を有効に使い、ホームページを立ち上げてSNSで発信したりした。また、資料をつくってリモートで多くの人に会い支援企業を5社増やしている。
芽生えたトップ選手の自覚
そんな稲葉だが、実際に世界と戦っていく自信を得たのは2018年。世界選手権の代表権をつかんだことだった。この大会への出場は、東京パラリンピック出場の目算が立ったことを意味する。世界選手権のチームテストでは65.50%と当時の自己ベストも叩き出した。
稲葉 世界選手権に出ることが一つの大きな目標だったのでうれしかったんですけど、この大会でメダルをめざす多くの選手を見て、僕も出るだけじゃダメだと思ったんです。もっと上を目指す意識でやらないと、上に行けない、と肌で感じました。
この思いを胸に練習を続け、2020年10月現在、稲葉にはパラリンピック出場の最低基準を突破した馬が4頭いる。そのうち、共に東京へ出ることになると見込んでいるのが、2007年生まれのカサノバだ。「車より高い」価格で、稲葉が自ら買い求めた馬だ。
稲葉 2019年に今の僕の実力より少しだけ背伸びした馬を買おう、というみんなの意見で買った馬です。性格はいい子なんですけど、ファーストコンタクトのとき、カサノバは僕に近寄ってこなかったんですよ。普段、僕は足を引きずって歩くので砂利道で音が出てしまうんですが、この音に驚いてしまったんです。
稲葉はムチを使ったり、「舌鼓」という「チッチッチッ」という音で合図を送ったりしながら、馬に動いてもらう。カサノバはそんな乗り手の意志を敏感に感じてくれる馬だが、初対面のエピソードが物語る通り、敏感さゆえの大変さもあるという。
稲葉 僕の悪い癖がつきやすいんです。たとえば僕は左利きなので、緊張すると左に力が入りやすい。すると右手前は得意だけど、左手前は動かしにくいとか、左右差が出やすいんです。クセを覚えられると困るので、一方の練習量を減らしたりする工夫をしています。
東京パラリンピックで上位に食い込むために……
そんな稲葉は東京パラリンピックでメダルを獲るため、いま直近の大会でスコアを70%以上に伸ばすことを目標に練習に励んでいる。
稲葉 70%行けば、東京で5、6位には入るかなというレベル。だから東京に向けてまず70%という数字を出したあと、そこからさらに伸ばせ、という話なんです。僕の場合、自分の意志とは関係なく、体が勝手に動いて馬が何かの合図だと思って動いてしまうときがあるので、そのあたりの調整が難しい。なるべくリラックスしたり、特殊馬具で工夫して、調整法を見つけようとしています。
一方、強みはなんといっても、誰よりも多い練習量だという。ここには「自信がある」ときっぱりと話す。
稲葉 静岡乗馬クラブでは、1日に4頭乗ることがありますが、カサノバだけだと1日に30分しか乗れなかったりします。日本でこれだけたくさん馬に乗れる環境はなかなかないんです。馬によっていろんな感覚の違いもあって試行錯誤も生まれるので、馬に乗れる時間が長いことは自分の武器だと思っています。
馬を語るときの稲葉の口調はいっそう優しくなる。住み込みで練習しているのは、馬の世話をしたり、できるだけ愛馬とともに過ごす時間をつくるためでもある。スタートは早くなかったが、「人馬一体」が求められる競技で、稲葉は濃密な馬との時間を武器に目標に向かっている。
text by TEAM A
photo by X-1