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車いすテニス
有明テニスの森の長い一日。深夜2時に諸石・菅野ペアがクアードで初メダル!
午前2時2分、東京・有明テニスの森に、闇を切り裂くような歓喜が鳴り響いた。
東京2020パラリンピック・車いすテニスクアードダブルスの3位決定戦に勝ち、ついに重い扉をこじ開けたのは諸石光照と菅野浩二。54歳と40歳の2人がクアード種目のメダルを初めて日本にもたらした。日本選手団の中には、2人の姿に万歳をして涙を流す者もいる。
国枝、上地に続きたかった
報道エリアに目を真っ赤にして現れた菅野は、「長い、長い1日でした」と語り、諸石は「パラリンピックに出始めて9年。やっとです。日本は、男女に国枝(慎吾)選手と上地(結衣)選手というトップはいるけど、クアードは差をつけられていたから、本当にメダルが欲しかったんです」と長年の思いを口にした。
クアードとは、下肢だけでなく手指にも障がいを持つ選手のクラスのことで、男女混合で競技が行われている。車いすテニスの男女種目に遅れてクアードがパラリンピック種目入りしたのは、2004年のアテネ大会。
30歳のとき、手足に力が入らなくなる難病のギランバレー症候群を発症した諸石は、試合前、ラケットを固定させるため、右手とラケットをテーピングでがっちりと固定する。
一方、菅野は、グリップを握ることはできるが、15歳のときのバイク事故の影響で首から下を動かしにくく、握力は事故前に比べると半分以下だ。
この種目の魅力について、2017年、クアードに転向した菅野は、「手にも障がいがある中で、技術を出して戦うところ」と説明する。展開が遅い分、いかに相手コートのオープンスペースに球を送れるかの頭脳戦が醍醐味だ。
パラリンピックにおけるクアードの17年の歴史の中で、日本勢の最高は4位。今回が3回目のパラリンピックになる諸石が、2012年のロンドン大会で川野将太をペアにして結果を残していた。
流れ失うも自信に満ちていた二人
いっそう風穴を開けようと、諸石と菅野のペアは有明の舞台で奮い立った。1回戦でイスラエルのサードン/ウェインベルグ組にストレート勝ち。しかし準決勝で、オーストラリアのオルコット/デービッドソン組には土を付けられてしまう。初メダルの望みをかけて、最後の3位決定戦に向かった。
3位決定戦の相手は、諸石が「僕らと似たタイプ。一人は走れてパワーがあり、一人は利き手にテーピングをして障がいが重い」という、イギリスのコトリル/ラプソーン組だ。
波乱に満ちた3時間の激闘だった。試合は午後8時45分過ぎから屋外コートで開始されるが、冷たい雨が降り始め、まもなく試合は中断。センターコートで試合が再開されたときには、午後11時を過ぎていた。
激しい攻防戦の末、第1セットは7‐5で日本が制する。諸石がネット前に立って相手のコースを限定させ、後方に立つ菅野の強打につなげるシーンが目立った。ところが、2セット目、日本のペアが失速。6ゲーム目で菅野がダブルフォルトを3回重ねる手痛いミスで、一気に流れを失った。
勝負の第3セットは5‐5まで混迷する。しかし、ここで勝負の分かれ目となったのが、精度の差だった。立ち上がりからイギリスは障がいの重い諸石に、日本は同様のコトリルに球を集めて勝機を探ろうとしたが、同じ戦術が最後に奏功したのは日本のほうだった。
攻撃の要である菅野は、「諸石さんはミスが少ない選手。だから、向こうが本来やりたいことをやらせなかったんです」と振り返る。一方、好機にボレーを相手コートに突き刺した諸石は、「イギリスチームの戦い方は分かっていた。負けないつもりでやっていました」と自信を持っていた。ゲームカウント7‐5。最後の最後までもつれる大熱戦だった。
日本のクアードをさらに上のステージへ
今後の2人の目標は、日本における若手の育成。菅野は「40歳とか50歳とかで、本当はこんなところに出てちゃいけないと思うんですよ」と笑顔で話す。一方で、こんな本心も明かした。
「負けたままでいいとは思えない。もっと走れる体力やスピードをつけて頑張りたい」
シングルス準決勝で若手選手に敗れた菅野には、コートでやり残していることがある。クアードの後継者を探しながらも、まだまだ負けるつもりはない。
edited by TEAM A
text by Yoshimi Suzuki
key visual by AFLO SPORT