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スノボ成田緑夢、バンクドスラロームで金!「これが今の僕の実力」/平昌パラリンピック
「最高の気分! 誰が勝ってもおかしくない。その中で優勝できたことはすごくうれしいです」
世界のトップ選手らと熾烈な戦いを繰り広げた成田緑夢(男子LL2)が金メダルを獲得した。
3回の滑走でベストタイムを競うバンクドスラローム。出場した20人中、1番目のスタートの成田は、1、2本目それぞれで首位に立つと、3本目もさらなる攻めの滑りでベストタイムを更新。今大会のテーマに”挑戦”を掲げる24歳のアスリートは、圧巻の走りで見る者の心を揺さぶった。
僅差を制した2つのチャレンジ
銅メダルに輝いたスノーボードクロスと同様に攻めの姿勢を貫いた。この日の平昌は久々に冷え込み、雪面は成田の得意とする固いバーンに。1本目を滑り終え、想像以上の固さからボードのセッティングを変更した。成田には左足にまひがあるが、昨シーズンから健足である右足をできるだけスノーボードの中心の部分に持っていき、バランスを取りながらアプローチするなど用具の改善を行ってきた。セッティングの引き出しを増やしてきた成田は、この日2本目からは3㎝ほど後ろにすることで、ターンのしやすさよりもパワーを伝えられるセッティングを選択。リスクはあったが、挑戦することを優先した。その結果、最速タイムをたたき出し、ライバルたちをリードする。だが、ライバルたちも同様にタイムを縮め、成田に迫ってきた。
「先に滑走した上肢障がいクラスを見ていても、だいたいの選手が回を追うごとにタイムが良くなっていっていたんです。だから、現時点でトップでも、3本目で巻き返される可能性があるなと思いました」
そして迎えた最終滑走。成田は覚悟を決めていた。思い切って滑るラインを変え、難所と考えていた第5バンクを縦に斬るように攻めたのだ。 「これまで一回もやったことないし、(転倒しない)保証はなかったですね。でも、メダルが獲れなくてもいい。挑戦がテーマだから挑戦し続けようと考えました」
記録は2本目を1秒あまり縮める48秒68。後続のライバルたちの滑走を待ち、成田の優勝が決まった。0.52秒差のエヴァン・ストロング(アメリカ)が2位、0.83秒差のマッティ・スール・ハマリ(フィンランド)が3位。上位8人が3本目で自身のベストを更新するというハイレベルな試合だった。
「『僕の結果が、僕の実力』。現段階の実力は金だった。そう思うと嬉しいですね」
多くの人に共有したい緑夢STORY
スポーツ一家の3人きょうだいの末っ子として、大阪で生まれた。スノーボードでオリンピックに出場した成田童夢と姉・今井メロのように、幼いころからスノーボードやスキーなどのスポーツに親しみ、2012年からフリースタイルスキー・ハーフパイプを本格的に始めるとその才能はすぐに開花。W杯に3度出場し、2013年には世界ジュニア選手権で優勝した。以前より、バランス感覚を鍛えるために取り組んでいたトランポリンでも、競技に出場するほど高い運動能力を発揮していた。
しかし、2013年4月。トランポリン練習中にケガをし、左ひざから下がまひした状態に。最初は歩行もままならず、医者から切断の可能性、もうスポーツはできないと聞かされた。オリンピックの夢は道半ば。夢を失い、絶望した。
再びソチオリンピックの大舞台を目指したが、ケガをした左足は足首から先の上げ下げができない。オリンピックを目指す競技は辞めることにした。そして、楽しむためのものとしてスポーツを再開。そんな姿が、ひとりの障がいのある当事者を勇気づけたことで、はっと気づいた。「ああ、僕がスポーツをすることでこうやって人に影響を与えることができるんだ」
アスリートとしてのゴールを「障がいのある人、ケガをして引退を迫られている人、一般の人に夢や感動や勇気、希望を与えられるような素敵なスポーツアスリートになる」と掲げた。
目指すなら影響力のある大きな舞台の方がいい。そこで行き着いた答えはやはりオリンピックへの挑戦だった。でも、それだけでは障がいがあることがわかってもらいにくい。だから目標を「パラリンピックからのオリンピック出場」と定めた。
スノーボードと並行して陸上競技にも取り組む成田は、パラリンピックの魅力をこう語っている。
「パラリンピックは一人ひとりにストーリーがあって、それに感動させられる自分もいる。僕が競技をしているなかで、たとえば陸上でトップからすごく離された一周遅れの選手がゴールした時にすごい拍手が沸き起こる。それはオリンピックではあまり見られない感動の光景。パラリンピックを目指すようになって、改めてスポーツをする意味を学ばせてもらったように思います」
世界最高峰の舞台で……
メダルセレモニーの後は、ストロングとハマリと健闘をたたえ合った成田。
「”僅差さ”がハンパなかった。みんなうまいんですよね、ほんのちょっとしたデリケートなことで、タイムがコンマ何秒変わる世界なんで」
これがオリンピックを目指していた成田が初めて経験した、パラリンピックの競技レベルだった。
夢はオリンピックとパラリンピック両方への出場だ。成田緑夢の伝説の第一幕は、パラリンピックの金メダルという最高の形で幕を下ろした。
text by Asuka Senaga
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