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アルペンスキー村岡桃佳×元競泳 松田丈志トークショーも。国際福祉機器展レポート
10月10日から12日までの3日間、東京ビッグサイトにおいて国際福祉機器展が開催された。障がいのある人や関係者の関心が2020年の東京オリンピック・パラリンピックに集まるなか、今回はパラスポーツ用具の展示コーナーが設けられたり、パラアスリートによるトークショーが開催されていた。その模様をレポートする。
初日のトークショーには、元競泳選手でオリンピックに4大会連続で出場し、4つのメダルを獲得した松田丈志と、アルペンスキーの現役選手で平昌パラリンピックでは日本選手最多となる5つのメダルを獲得している村岡桃佳が登壇。競技との出会いや関わり方、多くの国際大会に参加してきた経験から東京オリンピック・パラリンピックに期待することなどを語り合った。
オリンピアンとパラリンピアンが期待することとは?
4歳から水泳を始めたという松田は「小学2年生のとき、バルセロナオリンピックで岩崎恭子選手が金メダルを獲った姿を見て、『いつかはこうなりたい』とオリンピック選手を目指すようになった」とのこと。自身が参加してきた多くの大会の中でも「引退を決めて臨んだ」というロンドンオリンピックの400mメドレーリレーが最も記憶に残っていると語り、わずか0.25秒差で手にした銅メダルを「あれは気持ちの差だった」と振り返った。
一方、4歳のときの病気が原因で車いすでの生活となった村岡は、小学3年生で出会ったチェアスキーを当初は趣味として楽しんでいたという。「車いすなので、雪の上では自由に動けない。それがチェアスキーに乗れば、自由にゲレンデを滑ることができて、その爽快感が好きだった」という村岡は、競技としてのアルペンスキーに取り組み始めた当初は「決められたコースを滑らなければならないので、自由がなくて全然楽しくなかった」と笑いながら振り返る。それが楽しくなってきたのは「練習して上達してくると『今のターン、上手く曲がれた』と感じられるとうれしくて、それをコーチなどに褒めてもらえるとさらにうれしい。そのうれしさが面白さになって、競技スキーの魅力にハマっていきました」と語った。
実はチェアスキーに乗ったことがあるという松田は「私もやらせてもらったときは、転びまくって全然自由には滑れませんでした」と語り、会場の笑いを誘う。そして「すごいスピードが出るので、見ているだけでも怖いのですが、そのスピードにハマる人が多いみたいですね」と問いかけると、村岡も「そういう人いますね。スピード狂みたいな人、いっぱいいます」と相槌を打つ。
出場した5つの種目全てでメダルを獲得した平昌パラリンピックへの原動力を尋ねられた村岡は「前回のソチ大会から出場していて、そのときも多くの人に支えられていましたが、今年の平昌ではその数が信じられないくらい増えていたんです。本当に多くの方々にサポートしていただいて、応援していただいて、その感謝の気持ちを形として返したい。そのためにメダルを獲りたいという気持ちが原動力でした」と明かす。
また、これまで多くの国際大会に参戦してきたふたりはそれぞれ考えさせられることがあったようで、松田は「オーストラリアに行ったとき、練習のために朝の5時半にプールに行くと、多くの人が泳いでいるんです。それも選手ではなく、一般の人が。平日の朝から泳いで、その後スーツに着替えて仕事に向かうんですね。日本でも、そうやってスポーツを気軽に楽しめるようになるといいなと思いました」と語った。
村岡は「練習をしてホテルに帰ると、さっきまで一緒に滑っていたパラのスキー選手たちが普通にCMに出ていたりするのを見て驚きました。パラスポーツがそれだけ浸透しているのだと思います」と語り、「それと、海外では車いすのための環境が必ずしも整っていないところでも、色んな人が『大丈夫?』『手を貸そうか?』と声をかけてくれます。階段の前で人を待っていただけで、『ここを登るのか。手伝うよ』と声をかけられたこともあります。日本のほうが設備のバリアフリーは進んでいる面はあるのですが、そうやって声をかけあえる”心のバリアフリー”が共生社会には大切だと思います」と言葉を続けた。
東京オリンピック・パラリンピックに向けて期待することについて、松田は「私はオリンピックが大好きで4回も出させてもらいましたが、そこに参加するアスリートたちは日々の努力をすごく積み重ねています。そして、皆さんの応援は想像している以上に力になるものなので、できるだけ応援してもらえたらと思います」と話す。
村岡は「私のやっているアルペンスキーは、普段の大会は山奥でやっていて人も少ないのですが、パラリンピックになるとすごく大勢の人が観に来てくれて、ゴールしたときの歓声など聞いているだけで『うわ~』と気分が盛り上がります。東京大会となるとホーム開催ですから、さらにすごいのだろうとうらやましくなりますが、私もまだまだ選手としてやっていきますので2022年の北京冬季大会でも応援をお願いします。東京大会が本来の意味での共生社会のスタートとなり、その先へつながっていけばと期待しています」と語り、トークを締めくくった。
パラスポーツの車いすや義足を展示
会場の一角に設けられたパラスポーツコーナーには、体験スペースのほか、写真と機器で競技を紹介するコーナーが設けられ、多くの人が足を止めていた。とくに最前線の機器が展示されたエリアには、陸上競技用の車いすやチェアスキー、陸上競技用義足、そしてその義足に装着するスパイクソールなど、普段は間近に見る機会の少ないパラスポーツ機器が並べられていた。
また、体験コーナーでは、ウィルチェアーラグビーのデモンストレーションの後、実際に競技用の車いすに乗り、トップ選手のタックルを体験することも。金属製のバンパーを装備した車いす同士が激しくぶつかり合う音に、初めて目にする人たちは息を呑んでいたが、始まってみれば多くの人が体験を希望する人気コーナーとなっていた。
~パラスポーツコーナーより~
~各社のブースより~
~番外編~
text & photo by TEAM A