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射撃日本チームの出場枠獲得でパリにロックオン! 瀬賀亜希子の譲れない戦い
アテネ、ロンドン、リオとパラリンピック3大会に出場したベテランが、久々の国際舞台で快挙を成し遂げた。射撃・エアライフル伏射混合の瀬賀亜希子が5月に韓国で行われたワールドカップで女子選手中2位となり、パラリンピック全競技の日本代表として1枠目となるパリ2024パラリンピック出場権を獲得したのだ。約5年のブランクをものともしない瀬賀の射撃を支えるものとは――。パリへ照準を合わせ始めた瀬賀に聞いた。
休んで手に入れた自由な射撃
「自分でもびっくりしました」
瀬賀にパリパラリンピック出場枠獲得への感想を問うと、笑顔がはじけた。1チーム3名の団体戦として行われた2023年WSPSワールドカップ・チャンウォン大会、瀬賀はパラリンピック出場のための基準点(MQS)を超えられれば、ぐらいの気持ちで臨んだという。
瀬賀亜希子(以下、瀬賀) 途中、10.0点という低い点数を撃ってしまい、同じチームの(水田)光夏ちゃんと(金尾)克くんに『ごめん』って心の中であやまりました。でも、終わってみたら634.2点と点数もなかなかで、団体戦の銅メダルも出場枠も獲得できて。いやあ、自分でもすごいと思います。
瀬賀自身、驚きを隠せないでいるのには、理由がある。瀬賀は、父親の介護などで練習時間を確保できないとして、2018年、東京2020パラリンピックを目指さないと決め、競技生活から距離を置いた。2022年3月ごろ、まだ忙しかった時期ではあったものの、パリ2024パラリンピック出場を目指して復帰。2023年度の強化指定選手に選ばれ、出場した今回のワールドカップで結果を出したのだ。
約5年間、本格的な競技会に参加してこなかったわけだが、射撃をやめたわけではなかった。
瀬賀 射座に座って、的のど真ん中を撃ち抜くためにあれこれ考える時間も、考えごとをしている自分も、そして思い通りに撃てたときの爽快感も好きなんです。だから、競技のための射撃は一区切りをつけたけど、それ以後はおまけと考えて、自由で楽しい射撃をしようと思いました。
そう思ったのは、苦しかった時期があったからこそ、と明かす。
瀬賀 以前はルーティンがあったんです。銃をかまえて照準器をのぞいたときに、銃口の先に(的のど真ん中を示す)黒点があるように、的に対して足とお尻、肩、ひじの位置と角度がいつも通りかを確認して、銃身を見て……って。でも、きっちりルーティンをしても黒点が見えないときもあるわけです。それがいやだなと思ってしまうと、なんかうまくいかなくなる。ついには、ルーティン通りにできないと怖さを感じるようになってしまいましたし、そんな射撃に息苦しさも感じました。
そもそも何かを決められることが苦手なタイプという。
瀬賀 だから、競技から離れたことをきっかけに、ルーティンにとらわれず、最終的に点数が良ければいいやって考えるようにしたんです。そうしたら、すごく楽になりました。いまは、ゴミ箱にゴミをポンっと投げたら入る、みたいな簡単で楽しい射撃を目指しています。
瀬賀の“自由な射撃”を支えているのは、豊富な経験で体得した引き出しの多さだ。
瀬賀 射撃で大切なのは、イメージです。私の場合は、銃身の中を弾がすーっと抜けていく様子を思い描きながら、じわじわと引き金を引いてパンっと引き切ると、弾がまっすぐ飛び出す、というイメージで撃っています。タイミングも大切なので、引くときに『だるまさんがころんだ』と頭の中で唱えたりもします。『ころんだ』の『だ』の後に動きをピッと止める、その瞬間に引き金を引き切るんです。タイミングが少しずれただけで、点数がまったく変わってしまうので、同じタイミングで撃ち続けることが大切なのですが、60発も撃っていると、なぜか途中でずれてくるんですよ。そういうときは、また別の引き出しを開けて撃つ。その繰り返しです。
新たな引き出しを開けるタイミングの見極めも大切だ。
瀬賀 ずれてきたなと思ったら、すぐに別の策を繰り出すことで、大崩れを防ぎます。そのためにも、常に自分の状況を客観的に判断することも必要です。
経験を武器に、心から楽しむ術をも身につけた瀬賀がパリ出場枠を獲得したのは、偶然でもサプライズでもなく、必然だった。
再び世界の舞台で輝くために
瀬賀が射撃を始めたのは、2002年、36歳 のこと。偶然、テレビ番組でビームライフル射撃を見たことがきっかけだった。瀬賀は5歳から高校生までモダンバレエに取り組み、スポーツも大好きだったという。17歳で慢性関節リウマチを患い、全身の関節が痛むようになって以降はスポーツから離れていたが、ビームライフルを見て、これならできそうと直感。早速、インターネットで検索。横浜で行われる体験会を探し当てて申し込み、参加した。
瀬賀 的に当たるのが気持ちよくて、続けてみることにしました。本当は車いすでスピードを競うようなアクティブなスポーツが好きなのですが、私の障がいではできません。でも、射撃はほとんど動かずに済むおかげで関節が痛まないので、私にもできるんです。もしかしたら、私の状態でできる唯一のスポーツかもしれません。
子どものころは、オルガンの曲をノーミスで弾き切るというマイルールを設定しては練習に打ち込むなど、試行錯誤しながら技術を高め、やり切ることに喜びを覚えるタイプだったという瀬賀。ほかに選択肢がなかったから、と笑うが、自分と向き合いながら技術を磨くことや、高い集中力でど真ん中を狙い続けることが求められる射撃は、瀬賀にぴったりなスポーツだった。的を狙う際に必要な姿勢の維持にも、モダンバレエで鍛えた体幹が生きた。
あっという間に頭角を現した瀬賀は、2003年に初めて国際大会に参加。翌2004年のアテネパラリンピックでは8位入賞を果たす。以後、日本新記録を打ち立てたり、3度パラリンピックにも出場したりするなど、2018年に休みに入るまで、日本のトップを走り続けてきた。
約5年のブランクを経て久々の国際舞台に帰ってきた瀬賀は、パリパラリンピックに狙いを定め、静かに闘志を燃やしている。
瀬賀 私にとって、あれこれ考え続けなければならない日常生活はオンで、自分だけに集中できる射撃はオフ。成長させてくれるものであり、だからこそ、譲れないものでもあります。高得点を狙うには技術とともに用具も大切になってくるので、パリに向けて、ライフルの支持スタンドやひじを置く台、椅子といった用具類を自分に合わせて調整していけたらと思っています。
一発もミスできない最高レベルの戦いを潜り抜け、アテネパラリンピック以来20年ぶりの入賞に期待がかかる。そのためにも、まずは日本代表内定の吉報を待ちたい。
text by TEAM A
photo by Hiroaki Yoda