アメリカで女子野球のパイオニアとなった、ある日本人女性の物語「人生のライバルは清原でした(笑)」

アメリカで女子野球のパイオニアとなった、ある日本人女性の物語「人生のライバルは清原でした(笑)」
2023.07.21.FRI 公開

近年、日本では女子野球が盛り上がりを見せている。全国高校女子公式硬式野球選手権大会は、2021年以降、毎年甲子園で決勝戦を実施し、2023年の参加チームは58校にまで増加した。また、2020年には日本野球機構(NPB)加盟球団の公認による初めての女子硬式野球クラブチーム『埼玉西武ライオンズ・レディース』が発足。翌21年には『阪神タイガース Women』、『読売ジャイアンツ女子チーム』が創設されるなど、NPBによる女子チーム支援の動きも活発化している。
一方、ベースボールの本場・アメリカにおいては、驚くほどに浸透していないばかりか、女性への差別すら感じるという。そのようなアメリカ野球社会に対し「女性でも平等に野球ができる権利を」と、長きに渡り女子野球の推進・普及に取り組み、現在も日々奮闘している一人の日本人女性がいる。福澤秋后(あきさ)さんに、アメリカ女子野球の現状、目指す社会の在り方などについて話を聞いた。

アメリカで女子野球を推進、たった一人でリーグ創設

「よく『野球が趣味なんですか?』って聞かれるんですけど、とんでもない。もう人生なんです。私の80、90%は野球でできていますから(笑)」

そう大きな笑顔を見せた福澤さんは、1994年に渡米して以降、アメリカで女子野球を推進するために様々な活動を行ってきた。現在は、かつて卒業したオハイオ大学大学院に博士課程として戻り、「あらゆる差別をなくしたい」という思いから、差別・偏見の根底にあるものは何かについて、自身の日米における経験や、女子野球に見られる差別の歴史・現状などを突き詰めているという。

そして、大学における活動は勉強、研究だけにとどまらない。

「大学に戻ったからには女子野球部を作らねば!と思い、チームを創設して今年の春で2年目になります。今は同好会のようなものですが、2年間しっかりと活動すればクラブチームに昇格するとのことですので、今はそこを目指しています。予算も組んで、すべて自分たちでやっているからビジネスの勉強にもなりますし、チームを盛り上げて、できれば日本で、日本の女子チームと試合ができたらいいなと思っているんです。日本と違って、アメリカには対戦する女子の野球チームがほとんどありませんから」

2022年、オハイオ大学の屋内練習場でトスバッティングに励む福澤さん。日本の大学を卒業後、アメリカに留学して25年以上経つ今も、現役のプレーヤーだ ※写真は本人提供

福澤さんが自ら立ち上げた女子野球チームの普及活動は、この同好会が初めてではない。2008年には同じくオハイオ州のコロンバスで、「試合がしたい」という思いから2チームによる女子野球リーグ『コロンバス ウーマンズ ベースボール リーグ』を設立。たった一人で立ち上げたリーグ兼チームだったため、当然、プレーヤーとして、また経営者として「リクルートから広告から、何から何まで」すべての分野を自らの手で担った。この女子野球リーグは2016年まで続き「最初の年は私を含めて4人しかいなかったのですが、最盛期にはちゃんと2チームに選手が埋まって試合ができたんです。その時は嬉しかったですね」。そんな日本人女性の野球愛あふれる活動は、『Apple TV』のテレビ番組『リトル・アメリカ』としても制作されたほどだ。

福澤さんのストーリーは書籍『Little America』のエピソードのひとつとして収録された。Apple TVでテレビドラマ化もされ、日本でも見ることができる

「こんな楽しいことを、私は今まで見ているだけだったのか」

人生とまで言い切る福澤さんの野球に対する情熱は、どこから来るのだろう。

「PL学園のKKコンビと同世代。清原(和博)さんが高3の夏の甲子園決勝でホームランを打って優勝したとき、インタビューで『自分が打つことで桑田を楽にしてやりたかった』と話すのを聞いて、自分と同じ高3なのにすごい!って。それ以来、憧れもありつつ、なんとなく人生のライバルだと勝手に思っていました(笑)」

福澤さんは東京・明治神宮野球場の近くで育ち、自宅のテレビではいつもプロ野球や高校野球の中継が流れていた。さらに姉は、当時大フィーバーを巻き起こしていた荒木大輔さんのファン。そんな環境の中、物心つく頃には福澤さん自身もすっかり野球の虜になっていた。そして、野球を観ることはもちろんだが、それ以上に「男の子に交じって、外で野球をするのが好き」だったという。以来、野球は自分の生活の中心にあった。

東京外国語大学に進学すると、いったんは選手として女子バスケットボール部への入部を考えたものの、「自分はプレーできなくても、マネージャーでもいいから、野球をやっている人たちのそばにいたい。そう思った翌日にはもう野球部のグラウンドにいました」と、男子の体育会硬式野球部に所属。洗濯、ボール磨き、スコア担当など、選手を支える側として野球に携わっていた。だが、1年目の夏合宿で人生を大きく変える転機が訪れる。練習の合間にマネージャーでもバッティング練習に参加できる機会があり、そこで福澤さんは見事にセンター前ヒットを放ったのだった。

「ちょうどスポット(芯)に当たったんですけど、硬球を木製バットの芯でしっかり打てた時の感覚というものが、すごく良くて……。こんなに楽しいものを、私は今まで見ているだけだったのか、これはやらねばならない!と思ったんです」

その後、福澤さんは男子野球部のマネージャーを継続しつつ、同大学で初となる女子の軟式野球部を創設。今度はプレーヤーとして野球に熱中した。その中でもう一つの大きな転機が訪れた。それは、とある雑誌社の企画で実現したロシア(当時ソビエト連邦)野球遠征。現地の少年野球チームや女子ソフトボールチームと試合を重ねることで、ある強い思いが芽生えた。

「野球を通じた国際交流。これが、自分の天命なんだ」

1991年、ロシア遠征時の1枚。ハバロフスク市アムール川のほとりに立つレーニン像の前で ※写真は本人提供

中継、報道もない女子野球「それはもう、差別でしょ」

そうした体験から、野球チームのマネジメントを学びたい、球団経営をしたいと志すようになった福澤さんは、1994年に渡米。オハイオ大学の大学院でスポーツ経営学を学んだ後、誕生したばかりの女子プロ野球チーム『コロラド・シルバーブレッツ』でインターンとして働くようになった。このシルバーブレッツは、映画『プリティ・リーグ』のモデルにもなった全米女子プロ野球リーグ(1943年~54年)以来、実に50年ぶりに創設された女子プロ野球チームだった。

「当時、さすがアメリカは凄いなと思いました。女子選手のレベルも日本とは格段に違っていましたし、球団経営も目の当たりにして勉強できましたから」

ただ、シルバーブレッツも経営難により、創設からわずか3年後の97年に解散。それ以降、アメリカには女子野球のプロチームがない。男女平等に対して世界の先端を行く国、しかもベースボールの本場であるにも関わらず、野球に関しては女子が活躍できる場がほとんどないということが意外であり、大きな驚きでもある。

「2018年の女子野球W杯はフロリダで開催され、アメリカは4位でした。でも、W杯のあのチームは本当のチームUSAではない。全米から本気でリクルートすればあんなもんじゃないはずですが、そのあたりがアメリカの女子野球に対する力の入れ方の少なさだと思います。また、ホスト国なのにお客さんはゼロ、誰も見に来ない。中継も全然なく、ESPNなどでは試合の報道すら一切なかったです。ここまで来ると、もう意図的なのではと思ってしまうくらい。メディア関係のある方に聞いたら、『それはもう、差別でしょ』って、言われましたね。日米それぞれの社会を経験してきて、アメリカが外から見られているような男女平等で夢のような社会、というのは実はだいぶ違うのかなと、内側から見て思いますね」

「女子はソフトボール」というアメリカの固定観念

また、“女子はソフトボールをするもの”という固定観念に縛られたアメリカ社会・文化にも要因があるのではないか、と福澤さんは分析している。

「だいたいアメリカでは『女子にはソフトがあるじゃん』となってしまう。アメリカ人の多くは、ソフトボールと野球が違うスポーツだと認識していないんです。そもそもソフトボールは女性や子ども向けにと発展した歴史のあるスポーツですから、逆に『女子が野球やっていいの?』と思っている人たちが結構いるんです」

アメリカ女子野球をまっすぐなまなざしで見てきた福澤さん

福澤さんによると、アメリカの大学スポーツを管理する全米体育協会(NCAA)の女子スポーツのカテゴリーに、野球は認められていない。そのため、小・中・高校と男子に交じって野球をプレーしている女子もいるのだが、“その先の進路”は男子のカレッジチームでプレーする以外ないに等しくなる。また女子野球では奨学金を得ることが難しいことから、NCAA登録大学でも野球をプレーしている女子は、NCAAが管理する最新データでは全米でわずか8人だという。これでは大学の全米女子オールスターチームを結成したとしても、試合すらできない。

「まず、“女子だからソフトボールをする”という社会観念を変えてほしいと思っています。もちろん、ソフト自体は素晴らしいスポーツですし、男女関係なくソフトをやりたいと思っている人たちがやっているから、それは問題ありません。一方で、野球をやりたいという女子がいたら、やらせてあげる環境をどういう形でもいいから作らないといけない。そのためにはどうしたらいいのだろうかと、毎日悶々と考えていますね。私の知り合いも含めて、アメリカの女子野球を頑張っている人たちもいますが、あまりにも向かい風が強すぎると言いますか……」

日本の女子野球をアメリカも学ぶべき

その風向きを変える一つのヒントとなり得るのが、今の日本女子野球の盛り上がりだ。

「日本の女子野球は今、皆さんが努力した結果、私が外語大でプレーしていたころに比べて競技人口が増え、甲子園でも試合が開催され、多くの人たちに注目されるようになった。追い風が吹いていますよね。素晴らしいことだと思うので、これを機にどんどん発展してほしいと思います。しかも、日本の教育制度、社会制度の中で女子野球が成長しているということは、世界の女子野球の中でもベストプラクティスだと思うんです。そこからアメリカが学べることは多いと思います。日本の女子野球には“逆黒船”になってもらいたいですよね(笑)」

そして、単に野球をプレーすることが目的ではなく、野球から多くのことを学んだ福澤さんだからこそ、自分が野球から得た「人生にも役に立つ学び」を多くのアメリカ女性たちにも経験してほしいと願っている。

「私はアメリカで野球をやっていく中で、アジア人だからと人種で差別されたことは1回もなかったのですが、女性ということで差別されたことはたくさんありました。やっぱり野球をする権利というのは性別を問わず平等だと思いますし、野球をする権利は人権、ヒューマンライツだと思うんです(笑)。ヒューマンライツを奪われるというのはとんでもないこと。なぜ、オープンにやらせてくれないの? 女子、男子に関係なく野球をやりたい人に野球をさせてよという感じです。そして、女子野球が盛り上がることをきっかけに、野球を超えて、女性の権利、女性の社会進出の追い風にもなってほしいと思っています」

夢は日米女子プロ野球対決

ボストン・レッドソックスのファンである福澤さん。2016年にはフェンウェイパークで行われた史上初の女子チーム同士のエキシビジョンゲームに2回登板し、2つの三振を奪った。もちろん日本人女性初、歴史に残る瞬間だった ※写真は本人提供

インタビューの最後に、福澤さんが今描いている“夢”を聞いたところ、

「それはもう、日米女子プロ野球対決ですね!」

と、即答で返ってきた。もちろん、そこに至るまでに越えなければいけないハードルは多い。

「日本でプロチームを作ることは心配していませんが、女性が野球をやることに対してアメリカの一般の野球ファンの方がどう捉えるのか……。マイナーリーグでプレーする女子選手が時々ニュースになることはありますが、SNSでそうした女子選手に対するコメントを見ると悲惨なものがあります。それに対する社会教育、啓蒙は一人ではできないと思いますが、そこを変えて、野球をする女性への差別や偏見をなくしていく社会にしていきたいと思っているんです」

オハイオのガレージセールで5ドルで購入したという愛用のグローブ。この相棒と共に、福澤さんはこれからどんな旅路を歩んでいくのだろうか

そして、かつてシルバーブレッツで見たような、全米最高峰の本物の“プロ”が集結する女子トップチームを結成し、日本をはじめ、世界各国のチームと対決する――そんな、今あるW杯を超えるような女子の野球大会の実現を、福澤さんは“夢”として語ってくれた。

「アメリカでは女子野球の報道も中継もないから、みんな知らないんです。野球関係者やファンが女子野球の現状を知れば、アメリカは黙っていないと言いますか(笑)、国家の全力を投入するんじゃないかと思うんですよね。そのあたり、メディアの問題や歴史を含めて、色々な要因があって今のアメリカの女子野球の現状があると思うので、どこが原因なのかをちゃんと突き止めたい」

野球が大好きだからこそ、性別関係なく誰もが好きなだけ野球を楽しむことができる社会になってほしい――野球に対するそんな純粋な気持ちは、福澤さんだけではなく、きっと多くの人が抱いていることだろう。そして福澤さんをはじめとする野球を愛する人たちの活動をきっかけに、アメリカでも女子野球に対する差別・偏見がなくなり、女性の社会進出にもつながる大きなムーブメントになることを願うばかりだ。福澤さんが夢見る『日米女子プロ野球対決』が、ほんの近い将来に実現することを期待したい。

PROFILE 福澤秋后(ふくざわ・あきさ)
東京都出身。東京外国語大学在学中に女子軟式野球部を立ち上げる。日本総合研究所退社後、留学渡米。1995年オハイオ大学スポーツ経営学修士卒業。コロラド・シルバーブレッツでインターン後、日系・米系法人、NPOへ勤務しながらオハイオ州コロンバスでアマチュア女子野球リーグを運営。2018年女子野球W杯ではテクニカル・コミッショナーを務めた。現在はオハイオ大学博士課程でDr.Hill/Dr.Thompsonのもと、日米の野球とジェンダーについて研究中。OU Women’s Baseball Team (Cherry Bombs)を設立し、学生に実習の場を提供している。

text by Atsuhiro Morinaga
photo by Sayaka Masumoto

English version is also available.【Click HERE

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『アメリカで女子野球のパイオニアとなった、ある日本人女性の物語「人生のライバルは清原でした(笑)」』