世界選手権で輝いた高校生スイマーの木下あいら、タッチ差で金メダルを逃すも「パリでは一番いい色を」
7月31日から8月6日までイギリスで開催されたマンチェスター2023WPS世界選手権。パリ2024パラリンピック前年のハイレベルな大会において日本代表は金メダル1個(200m平泳ぎの山口尚秀)を含む 10 個のメダルを獲得した。6人のメダリストはベテランが名を連ねるが、東京パラリンピック後に現れた新星もいる。知的障がいクラスの木下あいらだ。パリパラリンピックの金メダル候補に上り詰めたニューヒロインの戦いぶりをレポートする。
初日の200m自由形で流した涙
2歳で水泳を始めた木下がパラリンピックを目標に掲げて世界で戦うようになったのは昨年のこと。地元・大阪の四條畷学園高等学校水泳部で健常者とともに練習に励む傍ら、J-STARプロジェクトに応募したのがきっかけで日本知的障害者水泳連盟の合宿や大会に参加するようになった。彗星のごとく現れた高校生スイマーは、次々と知的障がいクラスの日本記録を塗り替え、昨年11月にオーストラリアで行われた「ブリスベン2022Virtusオセアニア・アジアゲームズ」で国際大会デビュー。200m自由形と200m個人メドレーでアジア新をマークしたが、以降は「ベストが出ない」と国内大会の現場でも言葉少なめだった。
そんなモヤモヤした気持ちは自ら払しょくした。大会初日の200m自由形。予選こそ「かなり緊張して体を動かしきれなかった」というが、午後の決勝は体もよく動き、木下は11月以来の自己ベスト更新となるアジア新(2分10秒83)をマークした。スプリント練習を重ねてスピード強化を図ってきた種目だけに、ゴールした瞬間は達成感に包まれたはずだ。
しかし、勝負は厳しく、世界の壁は高かった。順位は5番。自己ベストをマークすればメダル獲得だと信じていた木下は、5位という現実に打ちひしがれ、あふれる涙を止めることができなかった。
時間をおいて報道エリアに現れ、「今までで一番悔しいベストになった」と言葉を振り絞った。
200m個人メドレーはアジア新で銀メダル
日本選手最多の5種目に出場。リレーも合わせて今大会計12本を泳いだ木下に落ち込んでいる時間はない。スタンドには日本から応援に来た家族の姿もあり、うまく気持ちを切り替えられたのだろう。翌朝の100m背泳ぎ予選には笑顔で登場し、スタンドに向かって大きく手を振った。この日も決勝で5位。「明日は(大会5日目に行われる)個人メドレーにつながるレースをしたい」とコメントし、気持ちは得意種目の200m個人メドレーに向いていた。翌日の平泳ぎも5位と健闘。4x100mフリーリレーはベストタイムをたたき出して好調を維持した。
疲れ知らずの16歳(大会時)は「気負わずにいい泳ぎをしてメダルを獲りたいです」と来る本命種目に向けて意気込みを語った。
迎えた大会5日目の200m個人メドレー。予選1組目で1位の木下は、2組目のレースを食い入るように見つめていた。全体1位通過の木下は、顔をほころばせていったんプールを後にした。
そして、夜の決勝。スタート台に上がった木下は覚悟を決めていた。「やるしかない」。前半の木下は4番手で背泳ぎを得意とするべサニー・ファース(イギリス)がトップをいく。しかし、木下は強化してきた苦手な平泳ぎで一気に差を詰め、最後の自由形で必死に追った。「負けていると思ってがんばって体を動かした」。最後はタッチの差で2位。トップと0秒15差だった。
電光掲示板で1位とのわずかな差を知った木下は少し顔をゆがめたが、自らの持つアジア記録を2秒54も縮める2分24秒32を記録した。
「今日はベストを更新できてよかった。全力を出し切った。この結果を素直によろこびたいです」
喉から手が出るほど欲しかったメダルを手にし、ベストも出した。パリパラリンピック日本代表に内定する金メダルにはあと一歩届かなかったが、涙はない。ライバルと抱き合い、互いの健闘を称え合った木下は「負けた悔しさはあるんですけど、やっぱりそういうところが世界大会はいいなって」。
大会最終日の100mバタフライは5位。すべての種目を泳ぎ終え、充実した表情でこう話す。
「疲れたけれど、楽しい大会でした。イギリスの選手とすごく仲良くなれたことも嬉しかったです」
この日も、イギリスチームのピンバッジをプレゼントしてくれたべサニーに笑顔で手を振っていた木下。初めての世界選手権で得たかけがえのない経験がパリパラリンピックに向けた原動力になるのは間違いない。「来年までに強くなる」。そう誓って帰国した木下のさらなる飛躍が楽しみだ。
text by Asuka Senaga
photo by X-1