バスケW杯開催を誇りと自信に変えて――沖縄が目指す明るい未来とは
2023年の夏を象徴するスポーツの国際大会として、「FIBAバスケットボールワールドカップ2023」沖縄グループステージは、「AKATSUKI JAPAN」のパリ2024オリンピック出場権獲得と共に大きな盛り上がりと話題を日本全国にもたらした。男子日本代表の活躍もさることながら、一つのトピックとなったのは沖縄で初めてW杯級の国際大会が開催されたこと。沖縄にとって歴史的なイベントとなったバスケットボールW杯は現地に何を残し、そしてこれをきっかけに沖縄の街や社会、人々はどう変化していくのだろうか。大会期間中の8月27日、沖縄県、沖縄市の担当者に現地で話を聞いた。
子どもたちに“世界”と触れる機会を
日本代表が劇的な大逆転の末、“W杯で17年ぶりの勝利”という価値ある1勝を挙げた1次ラウンドのフィンランド戦からさかのぼることおよそ3時間前。沖縄アリーナは早くも熱狂に包まれていた。行われていた試合はオーストラリア対ドイツ。大きな応援が飛び交う中ですぐさま耳を奪われたのが、観客席の一角から聞こえてきた子どもたちの声だった。バスケットボールが盛んな沖縄で生まれ育った子どもたちらしく「オフェンス!」「ディフェンス!」と張り上げていたその声援は、きっとコート内の選手にも十分に届いていただろう。この “小さな応援団”は、沖縄県の取り組みとして無料で招待された子どもたちだった。
「今大会は安心安全に盛り上がって成功することはもちろんですが、開催地支援協議会としては、この大会をきっかけ・チャンスと捉えて、今後の沖縄を担っていく子どもたちに、世界に向けて視野を広げ、ビジョンを描けるようになっていただきたいという思いがあります」
そう語るのは、沖縄県文化観光スポーツ部スポーツ振興課FIBAバスケットボールワールドカップ2023開催支援室総務グループの宮平洋志さん。沖縄県、沖縄市、那覇市、宜野湾市や北谷町などで構成されるFIBAバスケットボールワールドカップ2023開催地支援協議会は、W杯の事業として沖縄グループステージが開催される10日間で子どもたちを中心に約1万人を試合に無料招待したほか、授業の一環として大会共催国インドネシアの子どもたちとオンラインで交流、バスケットボールを通じたアスリートとの交流、沖縄グループステージに出場する8カ国の料理を県内約330の小中学校で給食として提供するなど、沖縄の未来を担う子どもたちの心に残るレガシーとして何かのきっかけになればとの意図で、次世代をターゲットの中心に据えた事業を数多く企画してきた。
「本島の子どもたちもそうなのですが、それ以上に離島に住む子たち、あるいは児童養護施設の子たちは今回のような“世界”と触れ合う機会がなかなかないんです。大会を一過性のもので終わらせるのではなく、子どもたちが大会を通じて世界を感じたり、沖縄県でもこれだけの大きな大会を開催できると誇りに思ってもらいたい。また、自分たちがそれに関わったチームの一員だったということも心にとどめてもらいたいと思っています」(宮平さん)
「スポーツアイランド沖縄」を目指して
宮平さんをはじめ開催地支援協議会のそうした思いは子どもたちにも響き、大会開幕2日目にして、招待したある島の学校から生徒による手作りの感謝状が届けられた。
「いやあ、嬉しいですよね。大きなことを言えば、スポーツの力で自分たちの未来も変えることができるということを子どもたちに感じてほしいです。でも、そうした難しいことではなく、純粋にこの大会を見た子どもたちがもう少し大きくなってこの大会を振り返ったときに、これは凄いことだったんだなと感じて、自分も何か沖縄、日本、世界のために少しでもポジティブな活動をしてみようと思うきっかけになる――このW杯での体験がそうなればと思っています」(宮平さん)
世界の大きさ・広さ、または多様さをその目で見て、肌で直接感じることで、逆に自らのルーツである沖縄の社会・文化をより一層深く理解することもできるだろう。
バスケットボールW杯を見て育った子どもたちは、未来の沖縄をどのように変えていくのだろうか。今後の沖縄を考えていく上でキーワードとなるのが、県が2022年3月に策定した「第2期沖縄県スポーツ推進計画」の中で掲げた「スポーツアイランド沖縄」というコンセプト。スポーツの力で心身の健康や様々な社会課題を解決し、県全体を活性化させていこうという取り組みだ。
「W杯の開催をきっかけに、これだけの大会を沖縄で開催できると示すことで、プロ野球、サッカークラブなどのキャンプが行われる1月・2月だけではなく、年間を通してスポーツイベントや大会の誘致・開催といったスポーツコンベンションで地域・街の活性化を図っていきたいです。また、沖縄県は多くの離島から構成されています。離島の方たちも含め、金銭面や地理的な問題の解消を図りながら県民誰もがスポーツに参加できる機会を整えていく。そうしたスポーツの力を使って、例えば沖縄は肥満者の割合が全国平均より高いことなど、沖縄が掲げる様々な社会課題の解決につなげていきたいと考えています」(宮平さん)
沖縄に拠点を置くB.LEAGUEのプロバスケットボールチーム・琉球ゴールデンキングスが昨シーズンに悲願のリーグ初優勝を果たし、来年はB.LEAGUEのオールスター戦が沖縄で開催されることが決定、また、大ヒットした映画『THE FIRST SLAM DUNK』で主人公の宮城リョータが沖縄出身であったことが明らかになるなど、ここ1年を通してバスケットボール熱がますます高まった中でのW杯開催はまさにベストなタイミングだった。と同時に、このW杯をきっかけとした“スポーツの風”が吹き始めている今、この追い風を全身に受けて、沖縄はリゾート観光だけではない新たな価値の形成へと大きな一歩を踏み出そうとしている。
「沖縄は四方を海に囲まれています。ビーチ沿いにはバスケのリングがたくさんありますし、ビーチスポーツもできる。また、沖縄の街並みやストリートはダンス、スケートボードなどアーバンスポーツとの親和性も高いと感じています。観光の中にスポーツがあるという形ですね。これらに横串を刺していけば何か面白いことができそうだなと色々なアイデアも出ています。『スポーツアイランド沖縄』は私たちが目指す大きな道筋ですので、このW杯を契機にスポーツを大いに活用して、沖縄が経済的にも文化的にも精神的にも豊かになり、自然に盛り上がっていく形を我々はサポートしていきたいと思っています」(宮平さん)
W杯を沖縄のみんなで作りあげたレガシーに
一方、沖縄市の中心市街地であるコザゲート通りではW杯開催期間中の8月26日、27日、9月2日、3日の週末4日間にかけて『KOZA FES 2023〜Welcome to Okinawa City〜』が開催された。
当日は歩行者天国となり、W杯のパブリックビューイングをはじめ沖縄出身の人気アーティストが出演する音楽ライブ、琉球舞踊や沖縄民謡などを披露する文化ステージ、エイサー、3×3バスケットボール、ダンスなどのイベントが開催されたほか、沖縄県内の美味しい食べ物を堪能できるキッチンカーが並ぶなど、沖縄の文化、伝統芸能、音楽、グルメとバスケットボールW杯が融合。取材班が訪れた27日もお昼過ぎには年配の方から子ども、外国人まで多くの人出でにぎわっており、バスケットボールW杯という単体イベントで終わるのではなく、街全体を巻き込んだ大きな“お祭り”として盛り上がっていた。
バスケットボールW杯に合わせた市の経済効果、活性化に関する事業を担当した沖縄市経済文化部観光スポーツ振興課の宮里大八さんが、大会開催までの道のりを振り返った。
「最初に大会1000日前イベントを開催し、その後、定期的1年前、1カ月前など様々なイベントを通して、大会本番を迎えました。はじめはなかなか熱量がどうなるかという感じだったのですが(笑)、今は街なかのシティドレッシングや今回のフェスなど多くの方々が楽しんでいただいており、沖縄アリーナの熱気が街なかにもどんどん浸透しているのかなと思っています」(宮里さん)
予期せぬ新型コロナウイルス感染拡大により思うような活動ができない時期もあった。しかし、「沖縄アリーナ、W杯を地域活性化につなげていくのは行政としてのもともとの命題でもありました」と同課の桃原勇介さん。イベントだけではなく、バスケットボールを絡めた商店街や店舗のスタンプラリー、市内の各地域をつなぐシャトルバスの経路を整備するなど、W杯を契機とした地域活性化事業をコツコツと作りあげてきたという。その一つの集大成とも言えるのが、この『KOZA FES 2023』だった。
「感慨深いですね。昨年から行政と商店街で協議を重ね、ぶつかりながらも、共通のゴールを目指し、試行錯誤しながら準備をしてきました。今日(27日)が盛り上がることで来週までにはもっと話題になるでしょうし、行政と地域がタイアップして作りあげたことで行政や地域の自信になり、今後、このプライドとノウハウがつながっていけばうれしい、また外から見ても『沖縄市はすごく盛り上がっているな』と見てもらえるよう取り組んできました」(桃原さん)
W杯の経済効果がどれほどのものか具体的に分かるのは大会が終わってからになるが、大会をきっかけとした地域発展・活性化の動き、それによってもたらされるレガシーは着実に沖縄市に浸透し、根付いていく――そんな手応えが2人の表情からも感じられた。
「大会によって街がこれだけ元気になるということもそうですし、やはりW杯を受け入れることができたという一つの誇り、シビックプライドが生まれるきっかけになるのが今回の大会だと思います。そして今後、他の世界的なイベントも受け入れることができるという経験値を高めるきっかけにもなったと思いますね。私自身もW杯の事業に関わった当事者として自分の経験をどんどん伝えていきたい。また、大会に参加することでこんな楽しいことがあった、色々な文化交流ができたという経験を高めることもできたと思いますので、子どもからお年寄りも含めてより多くの人たちみんなで作りあげたレガシーとして、また次のイベントにつなげていきたいです」(宮里さん)
共生社会の実現を進めるきっかけに
もちろん、より良く発展していく街、社会は多様な人々が自分らしく生き生きと過ごせるものではなくてはならない。沖縄は古くから独自の文化を形成しており、また、米軍統治下の歴史があったことからも様々な文化や価値観をもつ人たちが暮らしている社会だ。それでもなお、沖縄市はバスケットボールW杯をきっかけに、外国人の受け入れ・おもてなしやバリアフリーなどに関して行政と地域が協力して講座や議論を重ねてきたという。
「今大会はバリアフリー、ユニバーサルデザイン、様々な食や文化に配慮したイベントとして行政、地域が一緒になって議論、検討してきました。いろいろな国からたくさんの方が来ることが想定されるので、例えば食文化の違いやヴィーガンに配慮したメニューを提供するフードエリアを設定するなどしてきました。これらの意識がまた今後にも届いて行けば、これからの共生社会のさらなる実現を視野に入れた動きにもつながっていくのではと思います。今大会はそのきっかけになったのではと思っています」(桃原さん)
「沖縄市の商店街では、『ウェルカムんちゅになろう! インバウンド対応 おもてなし講座』が開催されました。同講座では、『語学編』『接客編』としてインバウンドへの対応について学ぶ内容となっていました。また、障がいのある人に向けては、例えば車いすの方が街なかや商店街を通る際に段差のある場所はみんなでサポートするなど、どの店舗のスタッフも実践しています。やさしい街を目指して、地域の方々も取り組み始めていますね」(宮里さん)
宮里さんの説明によれば現在、沖縄市ではその国のルーツを持つ人も含めて56カ国ほどの人々が生活しているという。今大会を契機に、行政と街が一体となってアイデアを出し合い進めていった沖縄市の取り組みは、経済効果だけではなく、誰もが住みやすい街、共生社会の実現という観点からも地域を活性化させていくだろうし、今後、他都道府県の自治体が大きな国際イベントを実施する際のモデルケースともなるのではないだろうか。
そして、リゾート観光だけにとどまらないスポーツの街、また、あらゆる人々が住みよいダイバーシティ&インクルージョン(D&I)の街として将来、沖縄は多面的な魅力を日本全国はもとより世界各国へとますます発信していくだろう。バスケットボールW杯をきっかけに新たな航路へと舵を切って進み始めた沖縄の未来は、きっと今よりももっと輝くものになるはずだ。
text by Atsuhiro Morinaga(Adventurous)
photo by Tomoaki Kudaka
あわせて読みたい!
メンバーたった10名程度。バスケットボールW杯日本組織委員会が描く未来――沖縄と子どもたちにかける想い
https://www.parasapo.tokyo/topics/107989