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アイスホッケー
「アイスホッケーをやるために生まれてきた」伊藤樹が目指すパラリンピックという舞台
今と比べてパラスポーツに光が当たらなかった約13年前、当時、パラリンピックの団体競技として過去最高の銀メダルを獲得したのがアイスホッケー日本代表です。しかし、氷上という環境面の高いハードルもあって選手不足にも悩まされ、銀メダルを獲得した次のパラリンピックには出場すら叶いませんでした。再びパラリンピックのメダル獲得を目指す日本代表にとってキーマンであり、今まさに世界に羽ばたこうとしているのが伊藤樹選手です。「激しい体当たりがルールとして認められていて迫力満点、こんなにもかっこいい競技は他にありません」と目を輝かせて話す若手エースは、交通事故で脊髄を損傷する前からアイスホッケーをプレーしていた生粋のホッケーマン。感性豊かな18歳に聞きました。
伊藤 樹(いとう・いつき)|アイスホッケー
小3のときに交通事故に遭い、脊髄を損傷。小4でパラアイスホッケーを始め、中1から日本代表合宿に参加するようになり、その才能をめきめきと発揮。高3の現在は、世界トップ選手の動画を観て日々技を磨きながら、海外留学を見据えて勉学に励む。ゲームが趣味。好きなバンドはONE OK ROCK。秋田県生まれ、大阪府出身。
憧れの選手のプレーを学び、ビッグな選手に!
――2026年のミラノ・コルティナ冬季パラリンピック出場に向けた日本代表の合宿に参加するなど、多忙な毎日です。伊藤樹選手(以下、伊藤):パラアイスホッケーのクラブチーム、日本代表活動のほか、ジュニアのトップ選手らが活動するアイスホッケークラブに参加しています。世界一パラアイスホッケーが巧いデクラン・ファーマーというアメリカの選手がいるんですが、その選手のドリブルをイメージしながら練習し、動画を観て答え合わせをする……その繰り返しをすると『これだ!』と正解がわかるときがあるんです。そんなとき、成長を実感できるので、毎日が楽しいですね。
――まさにアイスホッケー中心の生活ですね。強みはなんですか?伊藤:尊敬するファーマーを研究してパックをハンドリングする技術も上達しましたし、空中で素早くスティックを持ち替えることもできるようになりましたけど、一番は“ホッケーIQ”かな。事故の前からアイスホッケーをやっていて、今もアイスホッケーをやっている……自分はバスケとかサッカーではなく、アイスホッケーをやるために生まれてきたんです!
――運命を感じますね……。伊藤:俺ってラッキーボーイなんです。周りは人柄のいい人たちばかりだし、アイスホッケーができる環境に恵まれている。小3のときに事故に遭ったのはアンラッキーだったけど、それからの人生はうまくいっているって思います。
――その前向きな性格はいつからですか?伊藤:小さいころからポジティブだったと思います。母親がすごく陽気なキャラクターだという影響もあるかも……。それにホッケーマンって氷上で声を出すことが大事だし、自分の殻に閉じこもっていたらダメだと思うので。
「チームはファミリー」
――小4のとき、スレッジ(そり)に乗るパラアイスホッケーを体験したことがきっかけでパラの世界へ。パラアイスホッケーの魅力は?伊藤:チームメートです。みんないい人で“イケオジ”ばかり(笑)年はすごく離れているのに若手の意見を聞いてくれる優しい先輩、アメフト選手みたいに体を鍛えていて尊敬できる先輩、生まれ持った運動神経とコミュニケーション能力を持つ先輩……あと、一緒に宿題をやってくれた先輩もいました。みんなと風呂入ってみんなで寝たいくらい、ファミリーだと思っています!
――目指す選手像を教えてください。伊藤:世界のスタープレーヤーの長所を集めたような選手になりたいです。僕はアイスホッケーの選手の中では障がいが重いけど、スピードのある両足切断の選手の研究もしているし、もっとうまくなります。プロ選手になってアイスホッケーで食べていきたいです。
――現在、高校3年生。代表合宿がある時は、ホテルで勉強しタブレッドで課題を提出することもあるそうですが、普段の学校生活は……?伊藤:学校は友だちが多くいて楽しいです。でも、勉強は……。授業中にいつのまにか寝てしまい『やってしまった……』と思うこともあります(苦笑)でも、これは俺の甘えだとわかっています。ホッケーも勉強も両立しているすごい選手はいますよね。本当に勉強が好きじゃなくて苦労していますが、小学生のころ公文の教室に通っていたので数学はがんばっていい点数を取れることもあります!
――ホッケーの盛んな海外に留学したいと考えているそうですね。伊藤:はい、姉もアイスホッケーをやっていて3年間カナダに行っていましたし、海外の大学に進学するつもりです。(2022年から日本チームのハイパフォーマンスディレクターを務める)元カナダ代表のブラッドリー・ボーデンにも話したら『いいね』と言ってくれたので、留学先について相談に乗ってもらっています。ホッケーセンスのある人のアドバイスは心強いです。そして、もちろんこの競技で世界一位のアメリカも留学先の候補です。今の目標は、海外留学でファーマーに会うのではなく、ファーマーと同じくらい上手くなってパラリンピックの舞台で会うことです。
近そうで遠い特別な場所
――日本代表として初めて目指したパラリンピックは、2022年の北京大会。2021年1月1日時点で15歳だった伊藤選手は年齢制限の壁に阻まれ、北京パラリンピック予選に出場できませんでした。伊藤:自分が出場できていれば日本代表が予選を勝ち抜けたとは思いません。ただ、出場したかった思いはあります。そこからトレーニングも積み重ねて、当時よりも今のほうが3億倍くらいうまくなったはず。今度こそ、自分が中心選手としてドリブルでも得点でもチームに貢献し、パラリンピックの出場権を勝ち取りたいと思います。
――伊藤選手にとってパラリンピックとは?伊藤:あと少しのがんばりで行けるのかもしれないし、今のままでは届かないかもしれない。すごく近いように見えて、パラリンピックは遠い場所です。でも、試合が終わったときにその距離に気づくのでは遅いですから。パラリンピック出場権のかかる大事な一戦、大事な一発のために、どれだけの準備をして迎えられるか。一日一日を大切にして、パラリンピック、そしてメダルに続く道を進んでいきたいです。
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取材の最後に、「俺は見栄を張っているので、強いように見えるかもしれません。でも国際経験もなくてまだ弱いです。目標もこうして口にすることで『言葉にしたんだから、ちゃんとやれよ』と自分に言い聞かせています」と、打ち明けてくれた伊藤選手。スター性を秘めた新時代のエース、そしてアイスホッケー日本代表の船出に注目しています!text by Asuka Senaga
photo by Hiroaki Yoda