ファイターズスカウト部長が考える「子どものスポーツ離れ」の処方箋。私たち大人が今できること
子どもの体力低下が問題として取り上げられるようになって久しい。塾やゲームなどが優先され外遊びをしない、そもそも遊び場がないなど多くの理由が考えられる。
この問題を社会課題として捉え、早稲田大学のグラウンドを子どもに開放することによって解決につなげようと同大学の野球部OBたちが活動している。その中心が大渕隆氏。早稲田大学を卒業後、日本IBM勤務、高校教師を経て、プロ野球・北海道日本ハムファイターズのスカウト部長を務める異色の経歴の持ち主だ。
キーワードは「楽しさ」。プロスカウトでありながら、プライベートで「子どものスポーツ離れ」という課題に取り組む理由、私たち大人が今できることは何か、について、同氏にうかがった。
“野球を子どもに返そう”をスローガンに、野球による社会課題の解決を目指す
今や、日本のスポーツ界のヒーローと言えば、MLBロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平選手。現在の活躍の舞台はアメリカだが、日本のヒーローであることに異議を唱える人は日本は勿論、世界にもいないだろう。しかし、今、日本の現状に目を向けてみると、野球の人気はどうだろうか? 筆者が子どもの頃、テレビでは連日の野球中継は当たり前。子どもたちが将来なりたい職業の上位にはいつも野球選手が入っていた。それなのにいま、公園などで野球をしている子どもたちの姿を目にすることは滅多にない。そもそも外遊びをする子ども自体が少なくなりつつある。そんな状況を変えたいと思ったのが、早稲田大学野球部OBの面々だった。
「始まりは、OB会の活性化でした。以前は親睦会や各種営業活動など、1年に1回集まって行う忘年会のようなものが中心だったので、若手がなかなか集まらないんです。そんな中、OBで現在は東京農業大学の教授をされている勝亦陽一先生と話しているときに、お互いに野球界やスポーツ界の課題について共感することが多く、このままではいけないと。野球自体を社会課題を解決するツールにできないかと考え、子どもたちに野球の指導をすることによって上達の機会を作る、野球競技人口を増やすといった、OB会の新たな価値の確立を目的としてイベントなどを行い若手OBに声がけをしていきました」(大渕氏、以下同)
野球人口が減ったことは問題だとはいえ、その背景には指導者たちの勝利至上主義やスポーツをする場が大人主導になってしまっていることなど、スポーツを巡る状況が子どものためになっていないのが一番の問題だと、大渕氏は考えた。そして、“野球を子どもに返そう”をスローガンに、イベントをアドバルーンのように打ち上げ、メディアに取り上げてもらい広めていくといったことを2015年から始めたという。
「当初は、野球をやっている子どもたちを対象に指導をする、野球界が野球のためにだけしている典型的な野球教室でした。でも、やっぱりそれだけではだめなんですね。まさに“野球を子どもに返す”ために、指導者/監督不在の野球遊びをしたり、個人単位で参加してもらってその場でチーム分けをして、その日はじめて出会った他人同士でチームを組んで試合をするなど、その都度新しいアプローチの仕方を考えて行ってきました」
野球というより、まずは外遊びから。グラウンドで鬼ごっこをすることになった理由とは?
2015年に始まったこのプロジェクトは19年までに5回実施された。コロナ禍による2年の休止を経て、22年から再開する際、早大野球部OBによるイベントであるにもかかわらず、“野球”という言葉がメインではなくなり、“鬼ごっこ”という“外遊び”がテーマに掲げられた。はじめにバットやボールなどの遊び道具を置きグラウンドを公園のように使って自由に遊んでもらい、その後は早稲田大学野球部の選手たちとの鬼ごっこが始まる。体の大きな選手たちの間を駆け抜け、捕まりそうになるとフェイントを掛けて逃げる。なぜ“野球”から“鬼ごっこ”に主眼を置くことにしたのだろうか。
「コロナ後に再開ということになって仲間と話していたら、もう野球云々ではないんじゃないかという話になりました。スポーツをしない子どもが増えている、子どもたちの体力が低下している一番の原因は、外遊びをしなくなっていることにある。結果的にスポーツをする子どもという分母の数自体が減っている中で、各競技に振り分けられ、野球をする子どもが減っているわけです。実際、スポーツ庁のデータを調べてみると、コロナ前から子どもたちの体力は低下傾向、その一方で肥満が増加していることが分かりました。そこで、先ほどもお話しした勝亦先生から、鬼ごっこはどうだろうかという提案があってやってみることにしました」
広いグラウンドで大学生の野球選手たちと鬼ごっこ。子どもたちは外遊びの楽しさを満喫できてさぞ嬉しいだろうと思うが、一方で子どもたちと関わることで選手たちにも得るものがあるのではないだろうか。
「選手たちのためにもなるというのは、僕たちの意図するところです。今までは与えられた環境の中で育てられてきたけれども、これから社会に出れば逆になるんだぞということを感じる瞬間だと思います。22年は早稲田だけでやったのですが、23年は東京六大学(早稲田大学、慶応大学、法政大学、明治大学、立教大学、東京大学)で一斉に場所を開放して、プログラムやどう運営するかなど方法は大学ごとに任せました。するとある大学ではマネージャーを中心に何度も集まってミーティングを行ったと言ってましたし、僕が現地を見に行った時には、もう次の新3年生のマネージャーがいて、“来年どのようにするかはもう考えてあります”と言っていました。すごく前向きに取り組んでくれてよかったなと思います」
大渕氏がイベントを開催するに当たって大学生たちに強調したのは、「君たちは社会課題を解決できるんだ」ということ。そして、これから社会に出て「社会を変えていく立場に加わってほしい」ということだったという。あるとき、グラウンドの人工芝の上に子どもと親、そして選手の3人が座り、何か雑談している光景を目にしたのだそう。何を話しているのかは聞こえないが、親御さんが選手をきちんと大人扱いしている様子が印象に残っていると語った。大学生のお兄さんと鬼ごっこをして遊んだ子どもはもちろん、その大学生もきっとこのときの体験が後々何かの折にふと思い出されるに違いない。
スポーツが、体を動かすことが、楽しくてたまらない子どもを育てるのが大人の役割
大渕氏は、北海道日本ハムファイターズのスカウトとして18年のキャリアがある。冒頭にも述べたが、野球をする子どもたちの減少、体力低下について選手をスカウトする立場として、どのように考えているのだろうか。
「今の子どもたちにとってスポーツは、習い事なんですね。親御さんに“何をやりたい?”と訊かれて、サッカー、野球あるいは他のスポーツを答える。すると、親御さんは道具を買う、送り迎えをする、もしかしたら運営の手伝いもしなければならないかもしれないと、覚悟をするわけです。しかし、子どもはまず外遊びをするなどして、体を動かす楽しさを知る方が良い。その中で、ルールを変えたらもっと面白くなるとか、選手を入れ替えてみたらどうなるだろうとか、様々な工夫をすることは成長につながります。しかし、いきなり競技に入ってしまうから、親御さんや指導者といった大人たちは、より上手くなるには、より高いレベルを目指すにはどうしたらいいかが大事だと思ってしまう。それは子どもたちにとってはかなりつらいことだなと思います」
まずは「体を動かすことが楽しい」と思う経験をして、仲間ができれば、みんなで工夫をしてもっと面白いものを考えようと試行錯誤する。そういうステップを踏む中で、自分はこのスポーツをしたいと決める。どの競技をするかを選ぶのは中学、高校生ぐらいでいいのではないかと大渕氏は語った。
「いつだったか、少年野球の試合を見ていたんですが、小学校5年生ぐらいの女の子がネクストバッターズサークルにいて、打順が来るのを待っていました。そこに監督が近づいていって何をするのかと思ったら“バットは振るなよ(フォアボールで塁に出ろ)”と言ったんです。がっかりしましたね。今、スポーツをする子どもたちの周囲は、一事が万事なんです。勝ちたいのは大人で、子どもを第一に考えて子どもを楽しませることができていない。そばでお母さんが一生懸命写真を撮っていましたが、バットを振らない我が子の写真をどうしたいんでしょう。いったい大人たちは何をしたいのか? 子どもたちは自分が楽しいと思えなければ、何事も頑張れないんです。その競技が好きで好きでたまらないという子どもを育てるのが、育成年代に対する大人たちのやるべきことであって、それができる指導者が素晴らしい。決して勝った指導者が素晴らしいわけではないということは、スカウトとして言っておきたいと思います」
実際大渕氏がスカウトとして選手たちを見ていると、野球の好きの度合いには濃淡があるのだそう。そこまで野球は好きではないけれども、投げてみたら球が速かったというので、体の方が先に評価されてプロへの道に進む選手はいる。しかし、心から好きではないと壁にぶつかったときに我慢できなくなってしまうケースはあるのだという。
大学生の野球選手と鬼ごっこをしながら、体を動かす楽しさを知り、自分はどんな競技をしたいかのヒントを得る。スポーツに限らず、普段接する機会があまりないであろう大学生との触れあいは、子どものその後に大きな影響を与えることだってあり得る。このような場所・機会は、もっともっと増やしていくことが大事ではないだろうか。
プロ経験がないにも関わらず、IT企業や高校野球での指導経験を買われ北海道日本ハムファイターズとスカウト契約を結んだことが話題となった、ユニークな人生経験を積んできた大渕氏。“スポーツは、まずは外遊びから”“競技を決めるのは中学、高校生ぐらいからでいい”といった言葉は、まさに実体験から来るものなのだろう。このような方が教育の現場に携わると、それこそいろいろな課題が解決できるのかもしれない。当事者である子どもの視点に立って、スポーツの課題と向き合い考える。そんな大渕氏の真摯な姿勢は、学校やスポーツに限らず、さまざまな場面で人と関わる際に参考になるのではないだろうか。
text by Reiko Sadaie(Parasapo Lab)
key visual by Shutterstock