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【PLAYBACK PARIS】柔道・廣瀬順子、金メダル獲得に必要だったのは「技を出し切る」ということ
パラリンピックの柔道で日本女子初の金メダルが生まれた。9月6日、柔道女子57㎏級(J2/弱視)決勝で、廣瀬順子がウズベキスタンの選手に一本勝ちで勝利を収め、頂点に立った。
東京大会での悔しさをバネに
2016年のリオ大会で銅メダリストとなった廣瀬。しかし3年前の東京大会では3位決定戦で延長の末、ジェイネプ・ジェリク(トルコ)に敗れ、忸怩たる思いでいた。
「パリでは自分の柔道を精一杯出し切って金メダルを」
そう誓ってパリまでの厳しい道のりを歩み出し、シャン・ド・マルス・アリーナの畳に立った。
2015年に結婚した悠さんは視覚障害者柔道の90㎏級元日本代表。2021年の東京大会以降は日本代表からは退き、廣瀬の練習相手になった。
「乱取りをするとき、たとえば『今日はブラジル選手をやって』とお願いすると、すごく忠実にその選手の動きをしてくれる。悠さんのおかげで対策ができている」
ライバルにかかる技を磨いた結果
パリ大会決勝の相手は、これまで1度しか勝ったことのないクムシュホン・ホジャエワ(ウズベキスタン)。試合前は「不安でいっぱいだった」。だが、研究を重ねてきた相手でもある。
「今までは引きつけられたところで焦ってしまい、私が体勢を上げたところで技をかけられて負けていた。引きつけられたときは引き合って冷静になった方がいいよと言われて、その通りに試合をしました」
そんな廣瀬が繰り出したのは、もともとこだわっていた背負い投げではなく体落としだ。
「いろんな技を練習したおかげで勝てたと思います。背負い投げと一本背負いをかけられるようにと思って練習してきて、少し調子は良くなっていました。けれど、悠さんと(ナショナルチームの)畑山元政コーチから『今まで大内刈りと体落としで戦ってきているから、基本的にはそれをベースにしたらいいんじゃない』とアドバイスされ、その通りにしました」
近年、研究される存在になったこともあり、練習してきた技が試合で通用しなくなったと感じていた。だが、約半年前から、練習してきた技がかかるようになってきたと話していた。
パラリンピックは3度目だが、「今回のパラリンピックがいちばん練習してきた技を出し切り、きちんと投げることができた」と振り返った廣瀬。
手にしたのは、金メダルだけではない。「悔いのない試合ができて本当によかった」という満足感だった。
最高のパートナーとつかんだ栄光
視覚障害者柔道は、パリ大会に向けてレギュレーションが大きく変わった。そのひとつがパラリンピック出場権をかけたポイントレース。昨夏からパラリンピック出場権に関わるポイントの比重が大きい国際大会が続いた。そのため、連戦している選手の疲労を心配する声もあった。
廣瀬も例外ではない。大会ごとに気持ちを作り直して海外遠征に向かうことがつらかった、という。
そんななか、支えたのは夫の悠さん 。昨年の世界選手権や今回のパラリンピックは現地の練習場に足を運んで直前まで廣瀬の相手をし、同行できない海外遠征でも「昼夜問わないLINE攻撃」(廣瀬)を受け止めた。
「ちょっと不安になったときとか、時間ができたときは、時差を気にせずにLINEします」と廣瀬。
「道場にいるときがコーチで、家にいるときは旦那さんという感じではなく、家と道場でまったく変わらない」。そんな安心感があるという。
「どんなときも柔道が楽しくできるように支えてくれる、最高の旦那さんだと思っています」
パリの地で、廣瀬は金メダルを胸にきらりと輝く笑顔を見せた。
text by Asuka Senaga
photo by Takamitsu Mifune